●十月十八日。晴又陰。午前洋装の一婦人来訪し取次の下女に用向を認めたる手書を置きて去る。手紙を見るに先年カツフヱータイガにて光子と云ひし女給なりと云ふ。小説をかきたれば一度見ていたゞきたしと云ふ文言なり。憶出せば光子といふは昭和三年頃太訝を去りその隣屋ブレツト?と云ふ薬舗の楼上にジヤポン?といふカツフヱーを開きし女なるべし。夜水天祠畔の叶家に往き夕飯を食し大川端を歩む。空墨の如く曇りたれど幸にして雨とならず。今宵は銀座に立ち寄らずして家に帰る。燈下慊堂の日歴を読む。 十月廿五日。小春の好き日なり。終日困臥為す事なし。燈刻起出でゝ顔を洗ひ、晩飯を食せむとて銀座に徃く。久振にて二丁目オリンピクに入る。半年前の雑遝に比すれば頗落莫の感あり。食後いつもの如く喫茶店きゆうぺるに抵(いた)る。山田歌川の二子在り。二子に就いて近年流行する俗謡の盛衰を問ふ。大に益を得たり。生田葵山子来り一老人を紹介す。月刊雑誌銀座の主筆西村酔香氏なり。銀座を題となす俳句又は雑文を需めらる。喫茶店の主人{道明氏}所蔵の諸家短冊折帖を示さる。披見るに子規竹冷漱石小波諸老の墨蹟あり。十一時頃葵山子去り高橋{邦太}杉本の二子来る。十二時閉店の時を待ち、諸子と共に芝口の佃茂に徃く。サロンハルの三女{すみ鈴ゆたか}は既に来りて二階にゐたり。笑語尽きず。この夜もまた二時となる。疲労甚し。
蓄音機売店には流行唄及民謡に関する出版物数多あり。又『婦人公論』某号の附録もあり。いづれも作家の名並に歌詞を載すと云ふ。
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