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九月十三日 雨後の空澄渡りて風冷なり、綾部致軒氏宿痾癒えざるを以て郷里に帰臥する由、端書にて通知し来れり、文辞甚悲痛なるものあり、氏は嘗て独力にて京橋滝山町辺に通信社を経営せしことあり、毎夕?やまと国民等の新聞社に入り軍事通信の記者たりし事もあり、余は木曜会の俳席にて氏と相識りしなり、氏は別号を野圃、名は勉といふ、九州高鍋の人なり。