二月五日 雪もよいの空なり、日高氏の書を得たれば直に返書をしたゝめて送る、薄暮お歌夕餉の惣菜を携へ来ること毎夜の如し、此の女芸者せしものには似ず正直にて深切なり、去年の秋より余つらつらその性行を視るに心より満足して余に事へむとするものゝ如し、女といふものは実に不思議なものなり、お歌年はまだ二十を二ツ三ツ越したる若き身にてありながら、年五十になりてしかも平生病み勝ちなる余をたよりになし、更に悲しむ様子もなくいつも機嫌よく笑うて日を送れり、むかしは斯くの如き妾気質の女も珍しき事にてはあらざりしならむ、されど近世に至り反抗思想の普及してより、東京と称する民権主義の都会に、かくの如きむかし風なる女の猶残存せるは実に意想外の事なり、絶えて無くして僅に有るものと謂ふべし、余曾て遊びざかりの頃、若き女の年寄りたる旦那一人を後生大事に浮気一つせずおとなしく暮しゐるを見る時は、是利欲のために二度とはなき青春の月日を無駄にして惜しむ事を知らざる馬鹿な女なりと、甚しく之を卑しみたり、然れども今日にいたりてよくよく思へば一概にさうとも言ひ難き所あるが如し、かゝる女は生来気心弱く意地張り少く、人中に出でゝさまざまなる辛き日を見むよりは生涯日かげの身にてよければ情深き人をたよりて唯安らかに穏なる日を送らむことを望むなり、生まれながらにして進取の精神なく奮闘の意気なく自然に忍辱の悟りを開きゐたるなり、是文化の爛熟せる国ならでは見られぬものなり、されば西洋にても紐育市俄古あたりには斯くの如き女は絶えて少く、巴里に在ては屢之を見るべし、余既に老境に及び芸術上の野心も全く消え失せし折柄、且はまたわが国現代の婦人の文学政治などに熱中して身をあやまる者多きを見、心ひそかに慨嘆する折柄、こゝに偶然かくの如き可憐なる女に行会ひしは誠に老後の幸福といふべし、人生の行路につかれ果てたる夕ふと巡礼の女の歌うたふ声に無限の安慰と哀愁とを覚えたるが如き心地にもたとふべし、* 二月六日 昨夜十一時お歌帰り去らむとする時雪まじりの小雨降り出でしかば、電話にて車を呼び寄せけり、今朝ねむりより寤めて窗外を看るに、雪はつもりし上に猶紛々として降りしきりたり、午頃より雨まじりとなる、清潭子の手紙来りしかば直に返書をしたゝめて郵送す、薄暮お歌牛肉の佃煮を持参す、街上水を含みたる雪つもりて殆ど歩みがたしといふ、風邪の気味既に去りたりれば二更の頃お歌帰りし後沐浴し、臥牀に横りて俳諧十論発蒙を読む、夜はしんしん*とふけ渡り、雪解の水の雨樋つたひて落る音物さびしく、窗前の椎の木屋後の竹の梢より雪のすべり落る響き折々聞ゆ、眠られぬがまゝに発句を思ひしかど得ず、ふと窗外を看るに空いつか晴れ月の光雪に照り添ひて殊更に明なり、 二月廿二日 朝曇りしが次第に晴れわたりて風あたゝかなり、成嶋柳北の書簡航薇日記獄中詩稾その他凡て大嶋氏より借りたりし文書を整理し使の者に持たせて同氏の手許に返送す、午後日高君来訪、銀𫝶に出て酒肆太牙に登りて笑語半日を消す、風月堂に立寄り晩餐を食して帰る、 二月二十六日 快晴、早朝森銑三氏来訪せられしが余いまだ眠よりさめざりしかば空しく帰られしといふ、蒲生褧亭の近世偉人伝を読む、此の書は維新前後の英雄志士学者奇人の伝を叙し暗に著者平生の抱負不平を漏せしものなり、余も亦今日の時世に対して心平なることを能はざるものあり、此の書に倣つて平素私淑する諸名家の畧伝をつくらむかとこの頃窃に思ひを凝らしつゝあるなり、昼餉の箸置きし時大嶋隆一氏来訪す、この頃浮世絵をあつめて研究せらるゝ由、閒話 →昭和3年3月?
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