二月初四。立春 晴れて良き日なり。薄暮浅草に徃きオペラ館踊子らと森永に夕餉を食す。楽屋に至るに朝鮮の踊子一座ありて日本の流行唄をうたふ。声がらに一種の哀愁あり。朝鮮語にて朝鮮の民謡うたはせなば嘸ぞよかるべしと思ひてその由を告げしに、公開の墓所にて朝鮮語を用ひまた民謡を歌ふことは厳禁せられゐと 荅 へさして憤激する様子もなし。余は言ひがたき悲痛の感に打たれざるを得ざりき。彼国の王は東京に幽閉せられて再びその国にかへるの機会なく、その国民は祖先伝来の言語歌謡を禁止せらる。悲しむべきの限りにあらずや。余は日本人の海外発展に対して歓喜の情を催すこと能はず。むしろ嫌悪と恐怖とを感じてやまざるなり。余かつて米国にありし時米国人はキューバ島の民のその国の言語を使用しその民謡を歌ふことを禁ぜざりし事を聞きぬ。余は自由の国に永遠の勝利と光栄とのあらんことを願ふものなり。
二月念四。晴れて暖なれば午後草稿を携へて中央公論社を訪ふ。社員中余の知るもの皆外出してあらず。浅草に行き寺島町?を歩む。時あたかも五時になりしとおぼしく色町組合の男ちりんちりんと鐘を鳴らして路地を歩み廻れり。昨年よりこの里も五時前には客を引く事禁止となりしなり。馴染の家に立ち寄るに飯焚の老婆茶をすすめながら、昔はどこへ行かうがお米とおてんと様はついて廻はると言ひましたが、今はそうも行かなくなりました。お米は西洋へ売るから足りなくなるといふ話だが困つたものだと言へり。怨嗟の声かくの如き陋巷にまで聞かるるやうになりしなり。軍人執政の世もいよいよ末近くなりぬ。浅草公園に戻りて米作に飰してオペラ館に至り見るに、菅原永井智子?あり。地下鉄を共にしてかへる。