昭和十六(一九四二)年 昭和十六年辛巳正月起稿 荷風散人年六拾三 正月一日。旧十二月四日 風なく晴れてあたたかなり。炭もガスも乏しければ湯湯婆を抱き寝床の中に一日をおくりぬ。昼は昨夜金兵衛の主人より貰ひたる餅を焼き夕は麵麭と林檎とに飢をしのぐ。思へば四畳半の女中部屋に自炊のくらしをなしてより早くも四年の歳月を過ごしたり。始は物好きにてなせし事なれど去年の秋ごろより軍人政府の専横一層甚だしく世の中遂に一変せし今日になりて見れば、むさくるしくまた不便なる自炊の生活その折々の感慨に適応し今はなかなか改めがたきまで嬉しき心地のせらるる事多くなり行けり。時雨ふる夕、古下駄のゆるみし鼻緒切れはせぬかと気遣ひながら崖道づたひ谷町の横丁に行き葱醤油など買うて帰る折など、何とも言へぬ思のすることあり。哀愁の美感に酔ふことあり。かくのごとき心の自由空想の自由のみはいかに暴虐なる政府の権力とてもこれを束縛すること能はず。人の命のあるかぎり自由は滅びざるなり。 一月十日。陰。午後南総隠士来話。昏暮小野すみといふ婦人来話。旧臘北越糸魚川より小説の草稿を送り来りしものなり。在京中は故大槻如電の孫某氏の家心やすき由にて厄介になれるなりといふ。南総氏と共に銀座に 一拙老死去の節ハ従弟大嶋加寿夫子孫ノ中適当ナル者ヲ選ミ拙者ノ家督ヲ相続セシムルコト。ソノ手続ソノ他万事ハ従弟大嶋加寿夫ニ一任 一拙老死去ノ節葬式執行不致候。 西暦千九百四十年十二月廿五日夜半 一月十六日。晴れ。北風吹すさみて寒し。ドーデの『ロベール・エルモン寂しき人の日記』 {戦争/日記} をよむ。仏蘭西国民の北狄に侵略せらるることもこの度の惨禍を思へば免れがたき宿命といふべきにや。 一月十七日。晴れ。今日は風やみて暖なり。晡時南総子来話。金兵衛に飰して共に浅草に至る。流行歌芸人和気某らと森永に少憩してかへる。 一月廿三日。陰晴不定風暖なり。 一月廿四日。くもりて夜雨。 一月廿五日。暮方より空くもりて風 一月廿六日。 {日曜/日} 晴天。底冷する日なり。午後町会の爺会費を集めに来りて言ふ。三月よりも白米も切符制となるはずにて目下その仕度中なり。労働者は一日一人につき二合九勺普通の人は二合半。女は二合の割当なるべしと。むかし捨扶持二合半と言ひしことも思合はされて哀れなり。夜物買ひにと銀座に行く。日曜日の人出おびただしきが中に法華宗の題目かきたる 一月廿七日。晴れて風しずかなり。午後土州橋に徃きて健康診断を乞ふ。血圧別状なしとなり。日はなほ傾かずかつまた今日は陰暦の正月元日なれば急ぎて浅草金龍山?に至る。去年秋ころより観音堂の御籤ひきたしと思ひながら、いつも日の短くて、ここに来る時は堂の扉とざされし後なり。今日も既に四時過となりしが夕陽あきらかにして、鳩の豆売る婆四、五人、露台をかたづけ初めしのみ。豆も米もここは不自由せざるが如く鳩は皆胸をふくらませ鳴きつつ 第九十二吉 自幼常為旅 {いとけなきよりたびを/なすとは住所もかはるべし} 〇ぐわんもう叶ふべし〇病人本ぶくす〇うせおのいづる〇まち人きたる |