昭和十一年十二月三十日。 晴。東北の風強し。午後土州橋の病院に徃き注射をなし、乗合バスにて小名木川に抵る。漫歩中川大橋をわたり、其あたりの風景を写真にうつす。小名木川くさやと云ふ汽船乗場に十七八の田舎娘髪を桃われに結ひ盛装して桟橋に立ち舩(ふね)の来るを待つ。思ふに浦安辺の漁家の娘の東京に出で工場に雇はれたるが、親の病気を見舞はむとするにやあらむ。然らずば大島町あたりの貧家の娘の近在に行きて酌婦とならんとするなるべし。五ノ橋の大通に至りて乗合バスを待つに、若き職工風の男その妻らしき女に子を負はせ、二人とも大なる風呂敷包を携へ三輪行の車の来るを待つ。凡てこのあたりの街上のさま銀座とは異なりて何ともつかず物哀れにて情味深し。燈刻尾張町に至りさくら家にて広瀬女史に逢ふ。宮崎万本の二氏来りたれば共に鳥屋喜仙に登りて夕餉を食す。帰宅の後春水の『三日月お専』をよむ。切店(=遊郭)の光景を描写したる一章最妙なり。
寒さきびしき折から其の後御変はりなく元気に御暮しの事でせうね |