五月初一。(旧三月廿九日)晴。北風歇まず。夜文子を伴うて真砂屋に飰す。(尾台文子といふは震災前三年町に在りしマツサーヂの弟子にて其後上海に在り時〻東京に帰り来る其社会にては名高き女なり) 五月二日。陰晴定まらず風いよ/\寒し。終日困臥。日の暮るゝを待つて銀座に往く。尾張町天金の店頭に葬送の花環多くならびたるを見る。キユペルに至るに葵山氏在り。帰途柴口ガード下を行過る時天皇機関説直輸入元祖一木喜徳郎を斬れといふ印刷ビラ貼りて在り。此日早朝籾山梓月君来訪せられしが入口の戸鍵をかけたるまゝにて余は猶眠より覚めざりしかば名刺を留めてかへらる。
[欄外朱書]都下各方面の暴力団無頼漢千七八百人捕縛 ●五月三日。晴。薄暮驟雨。新聞に荒木古童行年五十七にて歿せし記事あり。余十八九のころ荒木竹翁及その門弟福城可童?に就きて琴古流の尺八を学びしことあり。故に古童を知れり。古童は竹翁の男。少年のころ画を志し松本楓湖の門に遊びしが十八歳のころより其父に就きて尺八を吹き初めしなり。十九歳にて一才年上の女と結婚したり。新吉原中米楼の娘なりと云ふ。余が竹翁の許に通ひし頃竹翁は浅草代地河岸に住みたり。竹翁の没年其他の事は余程なく尺八の稽古をやめたる故知らず。 五月四日。晴。掃庭半日。薄暮銀座に往きて飰す。 五月五日。晴。(日曜日) 五月六日。晴。夜半雨(夕刻銀座不二あいすにて偶然島中雄作氏に逢ふ) 五月七日。晴又陰。終日ハアンの神国日本を読む。夜きゆぺるに遊ぶ。空曇りて雨ならむと欲す。 五月八日。半隠半晴。風爽なり。終日読書例の如し。夜きゆうぺるにて久留島?氏(故小波門人)築風?(琵琶師?)に逢ふ。 ●五月九日。晴れて風烈し。夜渡辺と麴巷の秋草舎?に飲む。富士見町電車通りの角に九段小劇場とかきたる幟二流立ちたり。道行く人に問へば先ほど改築せし芸者見番の階上を演劇場となし賃貸しをなすためなりといふ。もと井伊伯爵の屋敷跡にはセメントづくりの小住宅建ちならびたり。二、三年見ぬ間にこのあたりの町のさまもまた変りぬ。 五月十日。曇りて風なし。いはゆるわか葉ぐもりの静なる日なり。暮近く鐘の音きこゆ。東南の方より響き来るを以て芝山内の鐘なるを知る。飛行機自動車ラヂオ蓄音機などの響絶え間もなき今の世に折々鐘の音を耳にする事を得るは何よりも嬉しきかぎりなり。山内の鐘は眠られぬ夜の枕にも折々響き来ることあり。短夜のあけ行くころにも聞ゆることあり。秋より冬に至れば風の音騒しきゆゑか聞ゆること稀なり。桜ちる頃より若葉の時節を過ぎ梅雨のころまでは或時は耳元ちかく響き来ることあり。われより外には人なき家にありて鐘の音をきくとき、わが身はさながら江戸時代のむかしにあるが如き心地す。〔この間一行弱抹消。以下行間補〕今日の如き時勢にありて安全に身を保たむとするには〔以上補〕江戸時代の人の如く悟りと諦めとの観念を養はざるべからず。三縁山の鐘の音は余が心にこの事を告げ教ふるものなるべし。 五月十一日。曇りて風冷なり。終日読書す。初夜銀座に往く。土曜日なれば学生の泥酔して街上に嘔吐するもの多し。新橋の欄干に身をよせ水上に嘔吐するものもあり。銀座食堂に飰して後きゆぺるに憩ふ。偶然藤林?の老妓褒姒に逢ふ。旧事をかたりて夜半に至る。 五月十二日。冷風秋の如し(日曜日) 五月十三日。冷風昨の如し。夜茶屋きゆうぺるにて偶然葵山人に逢ふ。葵山人曰く藤間静枝のために樽屋おせんを脚色して踊の地をつくる計画あり。作詞家の署名に余が名前を借用したしと。余堅くこれを拒絶す。近年葵山人の行動ほど心得がたきものはなし。 五月十四日。陰。薄暮小雨。御徒町吉田書店より左の書を送り来る
五月十五日。南風驟雨。午後に ●五月十六日。快晴風あり。長崎図書館〻員増田氏来訪。閑談刻を移す。夜尾台を伴ひ根岸の某亭に飲む。 五月十七日。小雨烟の如し。吉井君拙著冬の蠅の批評を読売新聞に掲載せさると云ふ。夜喫茶店きゆうぺるにて京都の山田黄道氏に逢ふ。其新著配偶を贈らる。 五月十八日。雨晩に 五月十九日。晴。後に陰る。隣家の桐花満開なり。黄昏銀座に行き尾張町不二氷菓店に飰して後キユペルに憩ふ。邦枝完二林和の二氏に逢ふ。葵山の事につきて警告するところあり。芝口の金兵衛に立寄りてかへる。(日曜日) 五月二十日。くもりて風冷なり。五月に入りてより快晴の日少し。晡下日本橋研究所編集者平井氏雑誌日本橋第一号を贈らる。初夜尾張町竹葉亭に飰して後きゆぺるに憩ふ。帰宅後田口鼎軒の日本開化小史を読む。 五月二十一日。午後雷鳴り驟雨来り大粒の雹降り来る。硝子窓破れはせぬかと思はるゝばかりなり。半時間ほどにて空晴る。牛込台町まで用事ありて行く。台町とは近年名づけられしものなるべし。もと市ヶ谷谷町監獄所跡の町なり。余丁町なる我が旧邸の門前を過ぎたれば富久町のばつ[「ばつ」はママ]れ抜弁天の前なる専福寺を訪ふ。門に白蓮灋窟といふ白字の額をかけたり。書体古雅なり。門内老松二株あり。樹下に榊原忠誠碑あり(明治二十九年十二月桂太郎撰文)この寺には月岡芳年の墓あることを知りゐたれば、折好く井戸のほとりに物洗ひゐたる寺男に案内させて香華を手向けたり。芳年の伝並に墳墓のことは 五月廿二日。乍陰乍晴。午後雷雨降雹。昨日の如し。雑誌浮世絵志所載。山中古洞の芳年の伝をよむ。 ●五月廿三日。晴。晩間渡辺生と真砂屋に飲む。帰途金兵衛の門口にて清潭段四郎杉野の諸子に逢ふ。 五月廿四日。晴。気候順調となる。正午改造社〻員佐藤績氏来る。猶蓐中に在りしを以て面せず。 五月廿五日。晴。植木屋来りて庭を掃ふ。午後児玉?氏小著再販見本本を持参せらる。晡時佐藤君来訪。小泉八雲の尖塔登攀記(佐藤氏訳)妖魔詩話(小泉一雄編著)を恵贈せらる。枕上ジヤルーの小説Soleils disparuを読む。 五月廿六日。晴。近日大掃除執行の為台處其他掃塵半日を消す。晩間銀座通藻波に飰して後キユペルを過ぐ。偶然澤田氏及佐藤氏(慵斎君弟)に逢ふ。 五月廿八日。陰晴定まらず。暴に暑し。晩間銀座に往く。街上にて田嶋淳氏に逢ひ共にきゆうぺるに憩ふ。微雨。
五月廿九日。曇りて蒸暑し。隣家の卯木花開く。夜杏花君招飲の約に赴く。大伍清潭の二子在り。岡君は来らず。諧語いつもの如く夜半に至る。帰途微雨あり。
●五月三十日。晴。溽暑昨日の如し。夜渡辺と烏森に飲む。長崎の増田氏陶雅堂の小皿を贈らる。 五月卅一日。晴。午後改造社〻長山本氏来訪。京屋印刷所児玉?氏来訪。拙著冬の蠅五月二十日迄に参百部売れたりと云ふ。晩間尾張町竹葉亭に飰して後きゆうぺるに少憩してかへる。 |