昭和十年歳次乙亥正月起筆 荷風散人年五十又七 正月一日。雨 ●正月二日。昨来暖気例ならず。今朝も火の気なき書斎の寒暑計を見るに華氏六十八度を示したり。名古屋の安藤氏汲古?第六巻を贈らる。午後旧稿を添削す。昏暮銀座に至り不二氷菓店に夕餉を食す。大入にて空席殆なし。真砂屋に立ち寄りて帰る。
正月三日。晴れてあたゝかなり。カルコの小説Mémoires d'une autre vieを讀む。燈刻銀座に往き竹葉亭に飰す。本年三個日とも銀座通の雑遝去年よりも甚し。浅草公園の人出もおびたゞしき由なり。東京の人口激增したる故ならん歟。茶店亜凡にて歌川高橋の二氏に逢ふ。 正月四日。今日も晴れてあたゝかなり。眠を貪つて午後に覺む。書齋の塵を掃ひ終りて煙草のめば日は早くも晡なり。晩間銀座食堂に飰して後亜凡に至るに安藤竹下万本樋田歌川杉野の諸氏あり。三更家に還る。 ●正月五日。くもりて西北の風強し。正午起き出でゝ舊稿を刪定す。晡下渡邊春子來る。車にて雷門に至り鳥屋金田にて夕餉をなす。向嶋の連込宿夢香莊?といふ家スチームを引きありて暖なりといふ事、兼ねて聞きたれば、車を
美童岡田は狐の化身なりしにや。さてまたこの春子の時折逢ふことを樂しみとする男には、前田男爵あり、画工×××あり。×××しかたにも色々秘術ありと云ふ。 正月六日。快晴風しづまりてまた暖なり。午後日高君來訪。また五叟氏來訪。この日神田邊の古本屋なりとて電話をかけ來りしものあり。その言ふ所を聞くに先生が紐育にて蒐集したりしオペラ?脚本の綴込本二冊の中一冊を手に入れたり 大正七年大久保引拂の際賣却せしものなり 若し買戻しの御心あらば早速御送りいたすべしとなり。その價を聞くに金八拾圓なりといふ。そんな高價な古本は用なしとてそのまゝ止めにしたり。夕餉をなさんとて銀座に行くに人出おびたゞしく百貨店の入口あたりは押返さるゝるほどなり。竹葉亭に飰し京橋より電車にてかへる此日日曜日 正月七日。晴。初めて氷を見る。終日困臥。夜茶店亜盆にて竹下安藤万本の三氏に逢ふ。 正月八日。晴。燈刻平山生来訪。刻煙草を贈らる。風月堂に飰す。燈下執筆四更に至る。 正月九日快晴。気味悪き暖さなり。甘寝午に及ぶ。晡下大石医院に往き電車にて亀戸に至り私娼窟を歩む。柳島よりまた電車にて銀座に來り竹葉亭に夕餉を食す。帰宅の後Christian Sénéchal?: Les Grands courants de la littérature française contemporaineを読む。 ●正月十日。寒雨霏〻たり。夜真砂屋に往きて夕餉を食す。帰途雨歇みて風暖なり。大曲駒村新年の句を寄せられし故葉書にて
正月十一日。快晴。寒中とは思はれぬ暖気なり。昭和七年の正月あたゝかなりしこと ●正月十二日。快晴。昨日よりもまた更に暖なり。晡後銀座を歩む。松坂屋入口にて偶然美代子に逢ひ松喜に飰す。風吹き起りて稍〻寒し。読書入浴五更寝に就く。 正月十三日。正午起床。暖気春の如し。中央公論社再び余が全集刊行のことを催促し来る。今はその時に非らざる旨返書す。薄暮銀座に行き黒麵麭を購ひ竹葉亭に飰してかへる。夜読書暁に至る。 正月十四日。半陰半陽。セネシャルの『現代仏文学史』を読むに、戦後著名の作者多くは余と同庚、また余よりも年少なるものあり。アポリネール、マルクオルラン[マルクオルランに「〔ママ〕」の注記]、ウィルドラック、ジュール・ロマン、カルコ、ブノワの如き名家皆余よりも年少にして、すでに翰林院学士たるもあり。日仏その国情を異にすといへども、余は才藻の貧弱なるを省み嘆息せざるを得ざるなり。燈刻銀座食堂に至りて飰す。茶店亜凡を過るに竹下氏菊池姉妹?万本浦上?の諸氏あり。オリンピックに少憩してかへる。細雨そそぎ来る。 正月十七日。晴れて風強し。小品文章稿を中央公論社に郵送す。清元梅吉池の端にて近日さらひを催す手紙を寄す。夜土橋の栄湾に飰して亜盆を過ぐ。竹下杉野神代の三氏に逢ふ。寒月皎々。 ●正月十八日。晴。晡下美代子来りし故に共に銀座に行き竹葉亭に飰す。寒月あきらかなり。 正月十九日。快晴。寒中の寒さなり終日蓐中に書を読む。燈刻銀座食堂に飰す。途上杉野氏に逢ふ。十二月十五夜の月よし。草稾を繕写して黎明に至る。 正月二十日。快晴風静なり。日脚著しく長くなりて五時に至るも日猶没せず。崖向なる馬越?氏邸中の樹頭に在り。晩霞染むるが如し。六時頃門を出るに明月大村伯邸址の樹頭に懸かる。白雲月光を浴びて銀鱗の如し。銀座に至るに日曜日にて人多し。竹葉亭に飰して後新川洋服店に立ち寄りて帰る。 正月廿一日。晴。晡下大石医院に行く。冬牆君数日前脳溢血にて卒倒せしが其後の経過悪しからずと云ふ。余これを聞きて愕然たり。大槻?氏の見舞いに来るに逢ふ。鼎亭に立寄り銀座松喜に飰す。偶然猪場氏に逢ふ。茶店亜凡にて竹下安藤万本の三氏及び駒子に逢ひ金兵衛に小酌してかへる。 正月廿二日。晴れて暖なり。猪場氏余が旧稾を浄写して送達せらる。夜真砂屋にして後亜盆を過ぐ。杉野竹下生田の三氏に逢ふ。 正月廿三日。晴。午後三菱銀行に往く。一たび家に帰りて後黄昏再び門を出づ。銀座竹葉亭に夕餉を食し亜凡に立寄りしが知る人在らざればバスにてかへる。風起りて夜寒し。燈下小品集断腸花出版の草稿を理す。 正月廿四日。晴。正午起床。読書半日を消す。昏晩銀座食堂に飰し亜凡に立寄るに竹下君在り。余が旧稿楽屋十二時またつくりばなしの二種を浄写して持参せらる。深切謝すべし。高橋邦氏来し故相携へてオリンピクに至り款語刻を移す。此の夜寒気昨夜に比すれば稍緩なり。 ●正月二十五日。快晴。寒気甚しからず。午に近く起出で掃塵例の如し。昨夜竹下君より受取りたる旧稿を添削*す。夕刻美代子より電話あり。芝口の一膳飯屋金兵衛に到り共に寄鍋を食す。家に帰り入浴一睡を試む。十時頃電話頻に鳴る。受話器を耳にするに大石医院の会計大崎氏の声にて院長の病遽に革みたりと云ふ。美代子の帰るを送り共に門を出で自働車を土洲橋に走らす。阿部簡野其他の博士四五名詰めかけたり。諸医熟議して日本酒の灌腸をなす。一時小康を得たりと云ふ。一時過辞して帰る。大石君は中学生の頃予が亡弟貞二郎と同級なりき。余が始めて大石君の診察を受けたるは大正五年の夏なるべし。其事は籾山庭後が断腸亭記に詳なり。余大石君の調薬を服すること大正五六年以来今日に至る。数れば二十年なり。大石君の病一時小康を得るといへども其命は既に定まれるものなるべし。悲しみに堪ざるなり。 正月廿六日。晴れて暖なり。終日困臥。燈刻起出で銀座に飰す、茶店亜凡にて竹下氏に逢ふ。片岡半蔵来る。澤田教授来る。谷崎氏の消息を伝ふ。蕎麦屋よし田に立寄りてかへる。夜一時。 正月二十七日。晴。大石君昨六日午後没せし由葉書の通知あり。燈刻杏花君が招飲の約に赴く。岡池田の二氏既に在り。清潭子は来らず款語いつもの如く夜半に至る。是日日曜日なり。 正月二十八日晴れて暖なり。午後一時青山斎場大石君告別式に赴く。法諡を見むと欲せしが祭壇遠くして文字を読み得ず。銀座に徃き不二氷店に昼餉を食し第百銀行に立寄りて帰る。一睡して後燈刻再び銀座に徃き竹葉に飰し亜凡に憩ふ。竹下高橋杉野の三氏に逢ふ。
正月三十日。晴。午後中央公論編集佐藤氏校正刷を持参す。燈刻銀座に往き竹葉亭に飰して後、茶店亜凡に立寄りしが知る人在らざれば歩みて帰る。十時過雨声を聞く。夜暖にして点滴の音しめやかなる事暮春の如し。長崎の増田氏再び書あり。 ●正月三十一日。晴又陰。燈刻真砂屋に飰す。米子来りて老婆の病を看護せんがため当分田舎に帰ると云ふ。夜半帰宅。夜暖にて炭摺る手も凍らざれば増田氏依頼の額を書す。三時過寝に就く。是日先考の写真を横浜郵船会社支店長金鞍栄一[「栄一」はママ]の許に送る。同支店はこの代〻の支店長の肖像を応接室にかかぐる由なり。先考の同支店に長たりしは明治三十三年二月一日より明治四十三年二月四日までなる由。金鞍氏の手紙に書きてあり。 |