山形ホテル。荷風先生が毎日飯を食っていた。 http://www.tokyo-kurenaidan.com/kafu-henkikan1.htm 「山形ホテルは、大正六年に、山形巌というロンドン帰りの人物によって建てられた。」p.136 巌氏の息子山形勲氏「そのころの荷風は、実におしゃれな紳士でしたよ。昼になると食事に来ましたが、夏など、白い麻の服を来て、子ども心にも、おしゃれなんだなと思いました。」「あの時代、泊り客でもないのに、毎日のように食堂に来て、きちんと西洋式にナイフとフォークを使って食事をしていた日本人は、荷風先生ぐらいでしょう。」p.138 「二階建てで、部屋数は二十から三十のあいだ。……小さな個人ホテルだった。それでもバーもあったし、食堂もあった。食堂は、別に出入口があり、泊り客でなくても自由に出入り出来た。」p.138 以上『荷風と東京』 |