カフェー・タイガー。大正末から昭和にかけて荷風先生のお気にいり、ホームグランド。先生は日記にはこの「太牙」「太訝」の表記を使う。女給がたくさんいた模様。キャバクラ? 「タイガーといえば、尾張町の角のライオンと共に、東京で最大のカフェーであって、一時は女給の二百人もいた店であった。此家では女給を赤組青組紫組その他の組々にわけ、店内を区切って、その働く場所を日毎に移動させた。組々に古参の者がナンバー・ワンとして采配を振り、せいぜい部下を督励して、ビールの売り高を競った。」『考証永井荷風』p.370、木村壮八編『銀座界隈』(昭和29年)所収の「カフェー繁盛記」の引用。 1935年9月10日閉店。 |