六月二日。苗売門外を過ぐ。夕顔?糸瓜?紅蜀葵の苗を購ふ。偏奇館西南に向ひたる崖上に立ちたれば、秋になりて夕陽甚しかるべきを慮り、夕顔棚を架せむと思ふなり。 六月四日。病大によし。夜有楽座に徃く。有楽座過日帝国劇場に合併し久米秀治氏事務を執れり。 六月五日。風雨終日歇まず。 六月六日。巌谷氏?邸内の千里閣三年祭を行ふ由。通知に接したれど、新居家具整理のため赴き得ず。午後母上来らる。 六月七日。午後九穂子来る。少婢お房転宅の際より手つだひに来りしが此日四谷姉の許に帰る。晩間九穂子と共に銀座清新軒に至りて飲む。帰途風冷にして星冴えわたりしさま冬夜の如し。 六月八日。居宅と共に衣類に至るまで悉く西洋風になしたれば、起臥軽便にして又漫歩するに好し。写真機を携へ牛込を歩む。逢阪上に旗本の長屋門らしきもの残りたるを見、後日の参考にもとて撮影したり。 六月十一日。連日風冷なる故心地さわやかならず。夜玄文社合評会に徃く。 六月十二日。堀口大学ブラヂルの首都に在り。レニヱーの新著イストワル・アンセルテン?一巻を郵寄せらる。堀口君余がレニヱーを愛読するを知り、其の新著出る毎に巴里の書肆に命じて郵送せらるゝなり。厚情謝すべし。 六月十三日。晴。 六月十四日。陰。有楽座に徃き文楽座?の人形を看る。此夜初日。 六月十五日。全集第六巻校正半終る。 六月十六日。終日東北の風烈しく雨窗を撲つ。夜深益甚し。 六月十七日。帝国劇塲支配人山本氏?余を赤阪の待合長谷川に招ぎ、尾上梅幸を紹介して、同優のために脚本執筆の事を依頼せらる。余甚光栄に感ずれども、当世の劇場は既に藝術の天地にあらざれば、余は唯当惑するのみなり。余が脚本に執筆するは、三味線をならひ、清元薗八?を語る程度のものにて、其の折の座興に過きず。数日前春陽堂に送りたる開化一夜草?の如きは即その一例なり。夜久米秀治に誘はれ三田文学茶話会に赴く。此日俄に暑し。 六月十九日。半陰半晴。偏奇館の窗に倚りて対面の崖を眺むるに、新樹の間に紫陽花の蒼白く咲き出でたる、又枇杷の実の黄色に熟したるさま、田家の庭を見るが如し。夜有楽座人形芝居二ノ替初日を看る。 六月二十一日。雨ふる。茟秉らむとせしが感興来らず。去年の古団扇に発句を書す。 六月廿二日。曇天。腹中軽痛あり。心地爽快ならず。 六月廿四日。曇る。午後氷川神社境内を歩む。日暮唖々子来る。相携へて木曜会に徃く。 六月廿五日。午後榛原紙舗に徃き団扇を購ふ。東仲通の古着屋丸八の店頭を過ぐ。店構改築せられ縫模様の裲襠硝子戸の内に陳列せられしさま博物館の如し。 六月廿六日。九穂子と冨士見町に飲む。妓鶴代?を招ぐ。此の地にて誰知らぬものなき滛物なりといふ。 六月廿八日。南風吹きて心地わろし。 六月廿九日。晴。 |