二月朔。千春病痊えたる由にて薗八節けいこ始まる。お半をならふ。哥沢節家元芝金姉妹も薗八のけいこに来れり。妓八郎この日弟子入して鳥辺山三味線けいこす。 二月二日。采女町河岸通の小玉亭?に薗八節師匠宮薗千春を招ぐ。小玉亭は櫓下にて踊の上手といはれたる妓小玉?の営むところ。去年十一月頃に開店せし由なり。 二月四日。節分なり。妓八郎と桜木に徃き追儺の豆まきをなす。午後温暖蒸すが如し。夜に至り寒気俄に甚しく、深更烈風吹起り路地の陋屋を揺かす。眠ること能はず。 二月五日。空晴れて風歇まず。朝電話局の工夫来り電話機を設置す。 二月七日。春陽堂主人来り余が拙句を木板摺にして販売したしと請ふ。辞すれども聴かざれば揮毫左の如し。
二月八日。東仲通を歩み、矢沢の店に立寄りしが別に買ふべきものもなし。此の通は十年来歩み馴れて、今は両側の古着屋道具屋の店の者、余が面を見知りて挨拶するものもある程なり。家に帰るに全集校正摺おびたゝしく到着しゐたれば、加朱夜半に至る。 二月九日。正午の頃より小雪ちら/\と降出し次第に烈しく、夕方には歩み難き程つもりたり。 二月十七日。晴れて暖なり。八郎にすゝめられ倶に市村座に徃く。播磨屋兄弟のお園六助大出来。菊五郎の高時天狗舞不出来にて見るに堪えず。二階食堂にて図らず小山内君に会ふ。帰途八郎と春日に飲む。 二月十八日。有楽座に徃き赤阪藝者さらひを観る。此夜雨。 二月十九日。風なくて暖なり。酒井好古堂兼て誂へ置きたる国周の錦画開化三十六会席を持来る。 二月廿四日。清元会。帰途雨に逢ふ。清元会の夜多くは雨なり。築地の待合桐屋に飲む。浮世絵商諏訪の世話する女の近頃開業せし家なり。 二月廿五日。三田文学会数寄屋橋外笹屋に開かる。風ありしが寒気甚しからず。帰途久米氏と銀座を歩み、平岡君の病を問ふ。 二月廿六日。暖気四月の如し。 二月廿七日。市川猿之助訪ひ来りて近日欧米漫遊の途に上るべしとて、旅装の用意其他万端の事を問ふ。たま/\櫓下の妓千代菊、八郎の二人、清元けいこの帰りがけなりとて訪ひ来り。猿之助の在るを見て大に喜び、談笑俄に興を添ふ。 二月廿八日。三十間堀春日にて猿之助千代菊八郎等と晩餐を倶にす。春風日を追ふに従つていよ/\暖なり。されど路地の陋屋梅花の消息を知るによしなし。 |