五月朔。隂雨空濛たり。 五月三日。西南の風烈しく遽に薄暑を催す。冬の衣類を取片つけ袷を着る。衣類のこと男の身一つにては不自由かぎりなく、季節の変目毎に衣を更るたび/\腹立しくなりて人を怨むことあり。されど平常気随気儘の身を思返して聊か慰めとなす。 五月四日。築地けいこの道すがら麹町通にて台湾生蕃人の一行を見る。巡査らしき帯剣の役人七八名之を引率し我こそ文明人なれと高慢なる顔したり。生蕃人の容貌日本の巡査に比すればいづれも温和にて隂険ならず。今の世には人喰ふものより遥に恐るべき人種あるを知らずや。晡下大石国手久振にて診察に来る。実は米刃堂より依頼の用談を兼てなり。昨日にもまさりて風烈しく黄昏に至り黒雲天を覆ひ驟雨屡来る。蒸暑きこと甚し。夜窗を開きて風を迎ふるに後庭頻に蛙の鳴くを聞く。河骨を植えたる水瓶の中にて鳴くものの如し。 五月五日。母上粽を携へて病を問はる。昼過四時頃驟雨雷鳴。夜に及んで益甚し。電燈明滅二三回に及ぶ。初更花月第一号新橋堂より到着す。 五月十日。烟雨軽寒を催す。服部歌舟子が関口の邸に招がる。躑躅満開。園林幽邃。雨中一段の趣を添ふ。山彦栄子三味線にて歌舟子河東節邯鄲を語る。歌舟子は日本橋堀留の紙問屋湊屋の主人なり。是日柳橋の名妓数名酒間を斡旋す。 五月十一日。終日門を出でず。花月の原稾を整理す。薄暮久米氏来りて新福亭経営甚困難なる由を告ぐ。金百円貸す。 五月十二日。午後新福亭にて唖々子と相会し花月第二号の編輯を終る。 五月十三日。八ツ手の若芽舒ぶ。秋海棠の芽出づ。四月末種まきたる草花皆芽を発す。無花果の実鳩の卵ほどの大さになれり。枇杷も亦熟す。菖蒲花開かむとし、錦木花をつく。松の花風に従つて飛ぶこと烟の如し。貝母枯れ、芍薬の蕾漸く綻びむとす。虎耳草猶花なし。 五月十六日。夜十時旧監獄署跡新開町より失火。余烟断膓亭を蔽ふ。 五月十七日。終日大雨。風冷なり。小品文夏ころも?を草す。枕上随園詩話?を繙いて眠る。 五月廿五日。毎日風冷にして雨ふる。梅花の時節と思誤りてや此日頻に鶯の啼くを聞きぬ。 五月廿七日。薔薇花満開。夜唖々子来談。花月第一号純益四拾弐円ばかりの由。 五月三十日。空晴れて俄に暑し。人々早くも浴衣をきる。 |