九月朔。曶爽雨歇みしが風猶烈し。空折々掻曇りて細雨烟の来るが如し。日将に午ならむとする時天地忽鳴動す。予書架の下に坐し『嚶鳴館遺草』を読みゐたりしが架上の書帙頭上に落来るに驚き、立つて窗を開く。門外塵烟濛々殆咫尺を弁ぜず。児女雞犬の声頻なり。塵烟は門外人家の瓦の雨下したるが為なり。予も亦 九月二日。昨夜は長十郎と庭上に月を眺め暁の来るを待ちたり。長十郎は老母を扶け赤阪一木なる権十郎の家に行きぬ。予は一睡の後氷川を過ぎ権十郎を訪ひ、夕餉の馳走になり、九時頃家に帰り樹下に露宿す。地震ふこと幾回なるを知らず。* 九月三日。微雨。白昼処々に放火するものありとて人心 大正十二年九月四日。曶爽家を出で青山権田原を過ぎ西大久保に母上を訪ふ。近巷平安無事常日の如し。下谷鷲津氏の一家上野博覧会自治館跡の建物に避難すと聞き、徒歩して上野公園に赴き、処ゝ尋歩みしが見当らず、空しく大久保に戻りし時は夜も九時過ぎなり。疲労して一宿す。この日初めて威三郎の妻を見る。威三郎とは大正三年以後義絶の間柄なれば、其妻子と言語を交る事は予の甚快しとなさゞる所なれど、非常の際なれば已む事を得ざりしなり。* 九月五日。午後鷲津牧師大久保に来る。谷中三崎に避難したりといふ。相見て無事を賀す。晩間大久保を辞し、四谷荒木町の妓窩を過ぎ、阿房の家に憩ひ甘酒を飲む。塩町郵便局裏木原といふ女の家を訪ひ、夕餉を食し、九時家に帰る。途中雨に 九月六日。疲労して家を出る力なし。横臥して小原鉄心の『亦奇録』を読む。* 九月九日。午前小山内吉井両君太陽堂番頭根本氏と相携へ見舞に来る。小山内君西洋探検家の如き軽装をなし、片腕に東京日々新聞記者と書きたる白布を結びたり。午後平沢夫婦来訪。つゞいて浅利生来り、松莚子滝野川の避難先より野方村に移りし由を告ぐ。此日地震数回。夜驟雨あり。* 大正十二年九月十日。昨夜中洲の平沢夫婦三河台内田信哉の邸内に赴きたり。早朝徃きて訪ふ。雨中相携へて東大久保に避難せる今村といふ婦人を訪ふ。平沢の知人にて美人なり。電車昨日より山の手の処々運転を開始す。不在中市川莚升河原崎長十郎来訪。* 九月十一日。雨晴る。平沢今村の二家偏奇館に滞留することゝなる。* 九月十三日。大久保より使の者来り下谷の伯父母大久保に来り宿せる由を告ぐ。* 九月十四日。早朝大久保に赴き鷲津伯父母を問安す。夕刻家に帰る。* 大正十二年九月十六日。午後松莚子細君を伴ひ来り訪はる。野方村新居の近鄰秋色賞すべきものありとて頻に来遊を勧めらる。松莚君このたびの震災にて多年蒐集に力めたる稀書絵画のたぐひ、悉く灰燼になせし由。されど元気依然として溌剌たるは大いに慶賀すべし。* 九月十七日。両三日前より麻布谷町通風呂屋開業せり。今村令嬢平沢生と倶に行きて浴す。心気頗爽快を覚ゆ。* 九月十八日。災後心何となくおちつかず、庭を歩むこともなかりしが、今朝始めて箒を取りて雨後の落ち葉を掃ふ。郁子からみたる窗の下を見るに、毛虫の糞おびたゞしく落ちたり。郁子には毛虫のつくこと稀なるに今年はいかなる故にや怪しむべき事なり。正午再び今村令嬢と谷町の銭湯に徃く。* 九月十九日。旦暮新寒脉々たり。萩の花咲きこぼれ、紅蜀葵の花漸く尽きむとす。虫声 九月二十日。午前河原崎権十郎、同長十郎、川尻清潭、相携へて来り訪はる。午後驟雨あり。小野湖山の『火後憶得詩?』を読む。門前の椿に毛虫つきたるを見、竹竿の先に燭火を点じて焼く。* 九月廿二日。雨後俄に冷なり。十月末の如し。感冒を虞れ冬の洋服を着る。月あきらかなり。* 大正十二年九月廿三日。朝今村お栄と谷町の風呂屋に赴く。途上偶然平岡画伯に邂逅す。其一家皆健勝なりといふ。午後菅茶山が筆のすさみを読む。曇りて風寒し。少しく腹痛あり。夜電燈点火せず。平沢夫婦今村母子一同と湯殿の前なる四畳半の一室に集り、膝を接して暗き燈火の下に雑談す。窗外風雨の声頻なり。今村お栄は今年二十五歳なりといふ。実父は故ありて家を別にし房州に在り、実母は芸者にてお栄を生みし頃既に行衛不明なりし由。お栄は父方の祖母に引取られ虎の門の女学館に学び、一たび貿易商に嫁し子まで設けしが、離婚して再び祖母の家に帰りて今日に至りしなり。其間に書家高林五峯俳優河合の妾になりゐたる事もありと平沢生の談なり。祖母は多年木挽町一丁目万安の裏に住み、近鄰に貸家多く持ち安楽に暮しゐたりしが、此の度の災火にて家作は一軒残らず烏有となり、行末心細き様子なり。お栄はもともと芸者の児にて下町に住みたれば言語風俗も芸者そのまゝなり。此夜薄暗き蠟燭の光に其姿は日頃にまさりて妖艶に見え、江戸風の瓜実顔に後れ毛のたれかゝりしさま、錦絵ならば国貞か栄泉の画美人といふところなり。お栄この月十日頃、平沢生と共にわが家に来りてより朝夕食事を共にし、折々地震の来る毎に手を把り扶けて庭に出るなど、俄に美しき妹か、又はわかき恋人をかくまひしが如き心地せられ、野心漸く勃然たり。ヱドモン・ジヤルーの小説Incertaineの記事も思合されてこの後のなりゆき測り難し。* 九月廿四日。昨来の風雨終日歇まず。寒冷初冬の如し。夜のふくるに従ひ風雨いよいよ烈しくなりぬ。偏奇館屋瓦崩れ落ちたる後、 九月廿五日。昨夜の風雨にて庭のプラタン?樹一株倒れたり。その他別に被害なし。正午岩村数雄?来る。松莚子門弟一座の者に衣食の道を得せしめんがため、近日関西に引移る由。岩村生の語るところなり。此日一天拭ふが如く日光清澄なり。夜に入り月光また 九月廿六日。本月十七八日頃の新聞紙に、予が名儀にて老母死去の広告文ありし由、弔辞を寄せらるゝ人尠からず。推察するに是予と同姓同名なる上野桜木町の永井氏の誤なるべし。本年五月同名異人とは知らずして、浅草の高利貸予が家に三百代言を差向けたることもあり。諺にも二度あることは三度ありといへば、此の次はいかなる事の起来るや知るべからず。此日快晴日色夏の如し。午後食料品を購はむとて渋谷道玄阪を歩み、其の辺の待合に憩ひて一酌す。既望の月昼の如し。地震昼夜にわたりて四五回あり。* 大正十二年九月廿七日。心身疲労を覚え、終日睡眠を催す。読書に堪えざれば近巷を散歩し、丹波谷の中村を訪ふ。私娼の周旋屋なり。此夜月また佳し。* 九月廿九日。中野なる松莚子が僑居を訪はむと家を出でしが電車雑沓して乗ること能はず。新宿より空しく帰る。* 九月三十日。曇りて午後より小雨ふる。植木屋福次郎来りて災後荒蕪の庭を掃ひ、倒れし樹木を起したり。夜豪雨。枕上柳里恭の『雲萍漫筆?』を読む。* |