十二月朔。午後南葵文庫に赴き武鑑を閲覧す。夜大沼芳樹?女史を訪ふ。 十二月二日。草稾を大阪太陽堂に郵送す。午後風なく暖なれば、お栄を伴ひ銀座を歩む。松山画伯の珈琲店、銀座通旧西澤旅館焼跡の仮小屋に移り頗盛況なり。但し珈琲の味無きこと従前に異らず。 十二月三日。屋根の霜雪の如し。華氏四十五度の寒さなり。 十二月四日。寒甚し。災後今日に至るも瓦斯稀薄にて炉火暖ならず、火鉢に炭火を置き机に凭る。夜小星を伴ひ銀座に徃く。商舗は皆仮小屋に電燈を点じ、物貨を路傍に陳列するさま博覧会売店の如し。帰途電車にて青園子に逢ふ。 十二月五日。いつもなれば駿台の松莚子に招がれ、冬日の庭に葉鶏頭の枯残りたるを眺めて打語らふ日なれど、今年はこの歓会もなし。午後お栄を伴ひ四谷を歩む。 十二月七日。独居の頃は下女も雇はざりし故、書留速達郵便など配達せらるゝ毎に、二階を上下する事の煩しく、階下の一室に机案を置きゐたりしが、この度家事を執るものを得たれば、移居当初の如く書篋筆硯を階上に運び上げたり。晡時酒井君来り訪はる。微雨須臾にして歇む。 十二月八日。晴れて暖なり。掃塵半日。晩間お栄を携へて神楽阪田原屋に晩餐をなし、自働車を倩ひ其祖母を目白落合村に訪ふ。夜半家に帰る。 十二月九日。日午ならむとする時酒井君来る。微雨須臾にして歇む。 十二月十日。雨ふりて夜静なり。燈下余は星巌集?を読む。小星は炉辺に草稾の罫紙を摺る。清福限りなし。 十二月十一日。午後南葵文庫に武鑑を閲覧す。風あり。雨黄昏に至りて 十二月十二日。夜小星を伴ひ母上を訪ふ。甥郁太郎来る。帰途四谷通を歩む。外濠の電車一昨日十日より運転す。 十二月十四日。午後南葵文庫に徃く。夜お栄を伴ひ銀座を歩み田屋支店にて帽子を購う。金弐拾七円。ただし五分引きの由。お栄は手巾六枚を買ふ。金八円なり。帰途木挽町の焼跡を歩み本願寺前の電車に乗る。 十二月十五日。午後南葵文庫に松浦北海の『北蝦夷余誌』その他の著書を 十二月十六日。快晴。風静なり。南紀文庫に寺門静軒の痴談を読む。夜銀座散策。川尻清潭子に逢ふ。 十二月十八日。尾州丹羽郡鷲津順光翁の返書を得たり。午後南葵文庫に赴く。お栄病む。 十二月十九日。午後南葵文庫にて三縁山志を読みゐたるに、一人の老人あり。椅子に坐し読書する中、突然嘔吐し、顔色土の如くになれり。文庫の役員来り、医師を招ぎ診察せしむる間もなく、息絶えたり。脳充血とのことなり。嗚呼子は何人と雖免れがたし。古書に対して老眼鏡を掛けしまゝ登仙するは寧羨むべし。 十二月二十日。快晴。午後芝公園散歩。三縁山学頭寮の跡を尋ぬ。 十二月廿一日。快晴。毎日昼餉の後南葵文庫に赴き、夜は家に在りて執筆す。また余事なし。 十二月廿二日。晩間松莚子細君を携へ山形ホテルに来り宿す。木村錦花、城戸四郎、梨尾?某亦来る。談笑深更に及ぶ。此日微雨晩に霽る。 十二月廿三日。夜お栄と銀座を歩む。襟円店頭にて妓山勇俳優登茂江に逢ふ。 十二月廿四日。夜お栄と神田神保町の古書肆を歴訪す。いづれも仮小屋にて品物もかなり備へたり。大に人意を強くす。松雲堂及村口にて武鑑数冊を獲たり。此夜風死して寒気激甚。道路の水凍る。 十二月廿五日。夜山形ホテルに徃き、清潭山勇と松莚子の居室に款語す。 十二月廿六日。午後松莚子細君と共に訪はる。夜銀座を歩む。 十二月廿七日。夜お栄と三田通を歩む。赤羽橋の仏書肆にて東江源鱗の千字文を獲たり。 十二月廿八日。午後散歩。麹町を過ぎ猿楽町通の書店を見歩き、雉子橋より城内代官町を過ぎ、平川町に出で葵橋を下り家に帰る。 十二月三十日。晴天旬余に及ぶ。午後赤羽橋に服部南郭が旧居の跡を尋ねしが得ず。森元町新網町辺より新門前町の辺人家多く倒潰するを見る。赤羽川の沿岸土地柔きがためなるべし。夜執筆深更に至る。 十二月卅一日。午後三菱銀行に徃き銀座を歩みて帰る。日比谷より下町へかけて塵埃烟の如く、自働車来るや咫尺を辯ぜず。況んや連日の晴天、路上人馬絡繹、黄塵濛々たり。帰宅の後炉辺に桜痴先生の懐徃事談?を読む。晩飯を喫して後お栄を伴ひ、山形ホテルに松莚子を訪ふ。荒次郎、長十郎、鶴男等来る。細君福茶を煮る。款語の中除夜の鐘を聞き辞して帰る。 |