八月七日。夜に入るも風なし。勉強して筆を執る。 八月八日。松莚子細君蓮模様中形浴衣を仕立て、小包郵便にて送り来らる。厚情謝するに辞なし。此日西風飄々。夜虫語を聞く。 八月九日。曇りて風涼し。森夫子の逝かれし日なれば香華を手向けむと向島弘福寺に赴く。門内の花屋にて墳墓を問ふに、墓標は遺骨と共に本堂に安置せられしまゝにて未墓地には移されずといふ。寺僧に請ひ位牌を拝して帰らむとせしが、思直して香華を森先生が先人の墓に供へてせめての心やりとなしぬ。墓地は一坪あまりにて生垣をめぐらし石三基あり。右は森静男之墓。即先生の厳君なり。中央の石は小さく文字明かならず。左の石は稍新しく森篤次郎墓と刻し、両側に不律兌の三字を刻み添へたり。書体にて察するに先生の筆跡なり。* 八月十日。玄文社合評会。 八月十一日。仏蘭西人アベル、シユワレイ?著現代英国小説史を読む。 八月十二日毎日驟雨来らむとして来らず溽暑甚し。深夜に至るも流汗寝衣を潤す。 八月十三日。天気前日の如し。 八月十六日。残暑甚しく机に凭りがたし。 八月十七日。秋暑甚し。樹下の榻に坐してロスタンの戯曲ドンフワンの最後を読む。 八月十九日。終日風。 八月廿一日。夜有楽座に徃きしが炎蒸久しく坐するに堪えず。葵山子と共に出でゝて帰る。 八月廿三日。久しく雨ふらず。庭の土煉瓦の如くになりしが、此日早朝より驟雨の 八月廿四日夜来の風雨終日歇まず。本所深川出水ありといふ。夕刻風雨歇む。新富座この日千秋楽に当りしが風雨の為閉塲したる由。松莚子と風月堂に会飲す。帰宅の後明星の原稾をつくる。虫声雨晴れて俄にしげくなりぬ。 八月廿五日。日暮風重ねて来る。夜に入つてますます*甚し。 八月廿七日。晩涼を待ち仏蘭西書院に徃きしが、日曜日にて戸を閉しゐたり。 八月廿八日。西風飄飄。秋漸く 八月廿九日。夕刻より七草会、中洲の酒楼松茂登に開かる。来会するもの松莚、松葉、鬼太郎、紫紅、錦花、吉井及余の八人なり。鶴屋南北作謎帯一寸徳兵衛の上塲につきて胥議す。酒楼松茂登は大石君の病院に鄰接す。病院は余の多年徃きて診療を請ふところなり。此夕病院の門に入らず、鄰楼の酒家に登りて盃を挙ぐ。 八月三十日。晴。夜清元秀梅と牛込の田原屋に飲む。秀梅酔態妖艶さながら春本中の女師匠なり。毘沙門祠後の待合岡目に往きて復び飲む。秀梅欷歔啼泣する事頻なり。其声半庭の虫語に和す。是亦春本中の光景ならずや。* 八月卅一日。木曜会小集。 |