五月一日。早朝井阪梅雪子来訪。余が旧作旅姿思掛稲といへる浄瑠璃を帝国劇場六月興行の中幕に出したき由相談せらる。午後木挽町に徃き仏蘭西画家の製作品を見る。 五月二日。細雨軽寒。少しく腹痛を覚ゆ。浄瑠璃を訂正して梅雪子の許に送る。夜旧稾雨瀟瀟花火其他の小篇を訂正し一巻となして春陽堂に送る。 五月四日。風月堂にて小宮豊隆氏に逢ふ。独芝山内を歩む。木曜日なれど会の有無判別せざるが故赴かず。風冷なり。 五月七日。微雨歇み夕陽雨後の新緑に映ず。夕餉の後樹下の榻に坐し新着の仏蘭西論評をよみ昏黒に至る。 五月九日。陰影定りなし。正午また強震あり。夜に至り南風激しく雲脚穏ならず。 五月十日。曇りて蒸暑し。新演藝合評会に徃く。帰途細雨烟の如し。人皆地震を虞る。 五月十二日。正午山王下尾上梅幸宅に徃き浄瑠璃旅姿の節付を聴く。羽左衛門も来る。節付は常磐津文字兵衛なり。三時過家に帰る。この日朝より腹痛を催す。懐炉を抱き明星原稾に筆を執る。 正月十四日。七草会例会。築地の支那料理酔仙亭に開かる。以前花本といふ待合の跡なる由。頃日新に支那料理を開くもの明石町の上海亭其他二三軒に及ぶといふ。漢文学の廃棄せらるる今の世に、支那料理の流行、何の故なるを知らず。其国の文物礼法を知らずして猥に飲食す。果して味あるや否や。 五月十七日。晴。 五月十九日。曇りて涼し。清元秀梅と神楽阪の某亭に会す。帰途微雨。 五月廿一日。陰。 五月廿二日。頃日神経衰弱甚しく読書創作共に意の如くにならず。薬石既に効なきを知ると雖、また打棄てゝもおかれぬ故、午後大石君を訪ひ診察を乞ふ。 五月廿三日。一昨年この日麻布に移居せしなり。老来いよいよ*光陰の速なるに驚くのみ。終日雨ふる。 五月廿四日。快晴。帝国劇場稽古場に赴く。浄瑠璃旅姿藤間勘翁の振付を見る。夜平沢氏来訪。田村百合子書を寄す。 五月廿六日。晴。正午再び帝国劇場稽古を見る。小説雨瀟々校正。 五月廿八日。風なく溽暑甚し。夕刻松莚子に招かれて風月堂に徃く。偶然市村可江子に逢ふ。 |