十月一日。午後知恩院楼門にて野外劇の催?あり。劇は松葉子の信長なり。観客数万人に及び演技は雑沓のため中止の已むなきに至らむとせしが、辛じて定刻に終るを得たり。此夕大谷竹次郎俳優文人一同を祇園の万亭に招ぎ盛宴を張る。 十月二日。秋雨霏ゝ。終日ホテルに在り。夜松莚子に招がれて伊勢長に飲み、更に又先斗町の某亭に飲む。 十月三日。午後南座初日。夜清潭子と木屋町の西村屋に飲む。月下鴨水東山の眺望可憐を極む。 十月四日。午後吉井君と島原の角屋に飲む。夜九時半の汽車にて帰京の途に つく。此夜月またよし。 十月五日。朝十時新橋に着す。初めて市中コレラ病流行の由を知る。 十月七日。此夜仲秋月なし。 十月九日。夜九時半の汽車にて再び京都に徃く。 十月十日。東山ミヤコホテルに投宿す。夜新京極松竹活動写真館?にて知恩院楼門演劇の写真?を見る。 十月十一日。南禅寺境内を歩む。夜松莚君及其一座の俳優と四条河原の酒亭千茂登に飲む。 十月十二日。松莚子夫婦と自働車を与にして洛外の醍醐寺を訪ふ。堂舎の古雅、林泉の幽邃(ゆうすい)、倶に塵寰の物ならず。 十月十三日。夜、清元秀梅大阪の実家に用事ありて昨夜東京を出発し唯今京都の停車場に下車したりとて余が旅館に電話をかけ来る。京極の翁屋といふ牛肉屋に飯し三条通の旅亭に憩ふ。深更秀梅寝乱れ髪のまゝにて大阪に赴きぬ。 十月十四日。微雨。鹿ケ谷法然院及銀閣寺を訪ふ。夜祇園練舞場にみやび会踊さらひを観る。帰途荒次郎長十郎と玉川屋に一酌す。旅館に帰れば夜五更を過ぎ東天既に明かなり。 十月十六日。東山に登り将軍塚の茶亭に憩ひ、横臥読書黄昏に至る。夜玉川屋に一酌す。 十月十七日。朝南禅寺後丘の松林を歩む。夜十時半の汽車に乗る。 十月十八日。正午の頃新橋に着するに秋雨霏々たり。 十月十九日。雨歇む。松莚子神戸興行先?より書を寄す。清元秀梅既に帰りて東京に在り。烏森の某亭に飲む。 十月二十日。留守中諸方へ下女雇入を依頼し置きしが遂に来るべき様子もなし。自炊の不便を避けんとて近鄰の山形ホテルに宿泊す。 十月廿四日。曇天。山形ホテルを引払ひて偏奇館に帰る。夜半雨声頻なり。眠ること能はず。 十月廿八日。日々天気晴朗。 十月廿九日。タゴル?の詩集La Fugitive?を読む。内田魯庵翁に旧著『腕くらべ』を贈る。 十月卅一日。午後深川公園より浅野セメント工場?の裏手を歩み、此頃開放せられし岩崎男爵別邸の庭園?に憩ひ、薄暮に至るを俟(ま)ち明治座前の八新に徃く。松莚子招飲の約ありたればなり。帰途半輪の月明なり。* |