九月朔。生田葵山君と帝国劇塲に赴く。演藝野卑陋劣観るに堪えず。 九月三日。東宮還御の当日なる由にて、花火花電車提灯行列等あり。市中雑遝甚し。夜清元会に徃く。会塲にて田村百合子に逢ふ。洋画を有嶋生馬氏に学び、また清元を好みて梅吉の門弟となれり。去年の夏帝国劇塲にて旧作三柏葉樹頭夜嵐興行中始めて相識りしなり。清元会終りて後雑沓の巷を歩み、有楽軒に入りて倶に茶を喫す。 九月四日。薄暮大雨沛然たり。夜に至りて益々降る。 九月五日。薄暮雨来ること昨日の如し。風月堂にて偶然延寿太夫夫婦に逢ふ。庄司理髪店に立寄り、銀座通に出るに道普請にて泥濘踵を没す。商舗の燈火は黯澹として行人稀なり。余東京の市街近日の状况を見るや、時々何のいはれもなく亡国の悲愁を感ず。 九月六日。綾部致軒愛児を喪ふとの報あり。午後唖々子の来るを待ち、倶に天現寺畔の寓居を訪ひ吊辞を陳ぶ。白金雷神山の麓を過ぎ、権之助阪を下り目黒不動祠の茶亭に憩ひ、浅酌黄昏に至る。 九月七日。時々驟雨あり。隂湿の天気旬余に及ぶ。世上頻に米価の騰貴を伝ふ。徹宵豪雨歇まず。 九月八日。正午の頃雨晴れたり。玄文社演劇合評会。市村座を見る。 九月九日。日本橋若松家にて玄文社合評会あり。此夕寒冷火鉢ほしきほどなり。 九月十日。与謝野寛氏雑誌明星の再刊を企つ。是夕四番町の居邸に石井柏亭、高村光太郎、平野萬里、竹友藻風の諸氏及び余を招ぎて胥議す。 九月十一日。秋の空薄く曇りて見るもの夢の如し。午後百合子訪ひ来りしかば、相携へて風月堂に徃き晩餐をなし、堀割づたひに明石町の海岸を歩む。佃島の夜景銅版画の趣あり。石垣の上にハンケチを敷き手を把り肩を接して語る。冷露雨の如く忽にして衣襟の潤ふを知る。百合子の胸中問はざるも之を察するに難からず。落花流水の趣あり。余は唯後難を慮りて悠々として迫まらず。再び手を把つて水辺を歩み、烏森停車塲に至りて別れたり。百合子は鶴見の旅亭華山荘に寓する由なり。 九月十二日。早朝百合子の手紙来る。午後母上来り訪はる。青山辺まで用事ありての帰り道なりと。夜小雨ふる。 九月十三日。百合子を見むとて鶴見に徃き華山荘を訪ふ。不在なり。折から雨降り出したれば急ぎ停車場に戻り、家に帰る。夜芝田村町の青木を訪ふ。奇事あり。 九月十四日。雨ふる。午後百合子来る。手を把つて長椅子に坐して語る。倶に出で々虎の門に至り、余は別れて風月堂に徃き、独食事をなし有楽座に久米氏を訪ふ。松山画伯里見醇?とプランタン酒亭に至る。花月画伯猿之助を伴ひて来るに逢ひ、笑語覚えず夜半に及ぶ。 九月十五日。雨歇まず。蟋蟀いつか長椅子の下に潜み夜をも待たず幽かに鳴く音を立つ。平素書斎の塵を掃はざるもこの一徳あり。独居の幽趣亦棄つべきにあらず。明夜は中秋なりといへど思ふに月無かるべし。枕上クローデルの戯曲ペールユーミリヱーを読む。 九月十六日。午後より空次第に晴来りて意外なる良夜となれり。不願醒客と風月堂に会し、月中漫歩、九段の妓窩?に徃きて大に飲む。 九月十七日。午後百合子来る。十六夜の月を観むとて相携へて愛宕山に登る。清光水の如く品海都市斎しく蒼然たり。芝山内の林間を歩み新橋停車塲に至りて手を分ちぬ。 九月十八日。細雨糠の如し。書窗黯澹薄暮に似たり。雑誌明星第一号原稾〆切の日迫り来りし故、草稿をつくらむと筆をとりしが感興来らず。苦心惨澹たり。夜半豪雨嘈嘈として屋を撲つ。 九月十九日。朝来大雨懸淙の如し。午後一天俄に晴れ風あたたく[#「あたたく」はママ]頭痛を催さしむ。晩間風月堂にて食事をなし、有楽座に長唄研精会を聴く。演奏凡て巧妙ならず。小三郎一派の長唄も追々盛りを過ぎて頽廃し行くものゝ如し。帰宅の後枕上マルセルブーランヂヱーの小説マルグリツトを読む。 九月二十日。秋暑甚し。華氏八十度を越ゆ。晩間風月堂にて偶然鬼太郎君に逢ふ。 九月廿一日。帝国劇塲、本日より十日間俄国人歌劇を興行す。一昨年来朝せし一座なり。 九月廿二日。百合子と風月堂にて晩餐を共にし、送つて停車塲に至る。独帝国劇塲に立寄りカルメンを聴く。深更驟雨あり。 九月廿四日。日比谷の横町に俄国人の営めるカツフヱーウクライナといふ酒亭あり。平岡画伯と劇塲聴歌の帰途、入りて憩ふ。歌劇一座の俄国人男女数名来りて頻にウオトカ酒を飲む。画伯遠客を慰めむとて盛に三鞭酒を抜いて盃を勧む。彼等其の好意を謝し、盃を挙げて一斎に故郷の歌を唱ふ。言語の通ぜざるを憾む。 九月廿六日。連宵オペラを聴く。聊か疲労を覚えたり。 九月廿七日。秋陰の天気漫歩するによし。江戸川を歩み関口の滝に憩ひ、神楽阪に飯して帰る。 |