六月一日。雨歇まず。気温六十二度に下る。 六月二日。大久保辺にて運転手李某とよべる韓人乱酒なし、刀を振つて道路を行くもの十七人を斬りしといふ。我政府の虐政に対する韓人の怨恨、既に此の如し。王化は遂に雞林に及ぼす事なし。 六月三日。雨晴れしが風寒し。 六月四日。数日来天候不順なり。微邪。肩張りて痛し。夕餉の後芝公園を歩む。枕上仮名垣魯文の富士詣をよむ。 六月五日。午後岡鬼太郎君来訪。其著脚本集の序を需めらる。銀座にて麦藁帽を買ふ。 六月六日。正午頃大雨沛然たり。薄暮に至るも歇まず。 六月九日。中洲病院に徃きて健康診断を乞ふ。尿中糖分多しといふ。現在の境遇にては日々飲食物の制限は実行しがたきところなり。憂愁禁ずべからず。 六月十一日。この日より入梅。朝より雨ふる。大石国手日本橋出張所に徃き再び診察を請ふ。帰途丸善にて洋書二三冊を買ふ。 六月十二日。時々雨あり。荷風全集最後の一集校正終了す。此れにて余が旧著の改版も終りしなり。余は生前著作の全集など出すべき心なかりしが、大正七年の春、米刃堂余が著書の印刷紙型及出版権を他店に売却したき由相談に来りしより、已むことを得ず春陽堂に改刻の交渉をなせしなり。病来久しく筆硯に親しまざるの時、旧著全集の改版完了せるを見る。余の身既に世になきが如き思ひあり。 六月十三日。雨晴る。山王御祭礼。 六月十六日。空くもりしが雨なし。夜に入り凉風颯々。半月樹頭に懸かる。風光秋の如し。 六月十七日。日本橋に大石国手を訪ふ。途次榛原帋舗の前を通過ぎし故、雁皮紙罫引帳面を購はむとせしに、近頃雁皮の製本をなす職人少くなり、又之を求むる顧客も稀になりたれば、出来合の品売切になりしまゝ備へ置かずといふ。是亦時勢推移の一現象なり。雨を恐れしが雨来らず。 六月十八日。雨午後に晴る。夜月さへわたりて風秋の如し。 六月廿一日。夜、雨ふりしきりて門巷寂寞。下駄の音犬の声も聞えず。山間の旅亭に在るが如し。 六月廿二日。大石国手を訪ふ。魚河岸の晩晴、広重の筆致を連想せしむ。 六月廿三日。快晴。書斎の窗をあけ放ちて風を迎ふ。 六月廿四日。書架を整理す。伊東橋塘、花笠文京等、明治十四五年頃の小説を閲読す。 六月廿五日。梅雨中腹具合例によつてよろしからず。 六月廿六日。雨の晴れ間に庭の雑草を除く。 六月廿八日。午前大日本私立衛生会委員筱崎氏といへる人来りて、七月三日丸の内なる衛生会楼上にて、徃年統計恊会に関係ありし人々の追善紀念会を執行するにつき、先考の写真遺墨のたぐひをも借受けて陳列したしと語らる。筱崎氏は徃年小石川の家にて幼きころの余をも見知りたりと言はる。午後雨中大石君を訪ふ。尿中糖分全く去りしといふ。始めて安堵の思をなす。 六月二十九日。午後雨なきを幸に丸の内に徃き用件をすまし、有楽座に久米秀治を訪ふ。久保田萬太郎来合せ、談話興を催す。風月堂に赴くに恰も松莚子細君と共に在り。談笑更に興を添ふ。 六月三十日。夕餉の後神田仏蘭西書院に徃く。帰途風雨来らむとす。此夜燈前筆を把るに、たま/\興あり。小品文をつくる。題して砂糖といふ。 |