WikiPedia:文芸協会およびその前身であった易風会のことか。 大久保余丁町にあった坪内邸(荷風先生の旧居の近くですね)には易風会結成以前から演劇用の舞台が設けられていたらしい。この坪内邸や赤城神社境内などで演劇改革の研究や早稲田卒業生の茶話会などがなされるようになっていた。 明治38年に易風会、明治39年に前期文芸協会結成。明治42年には後期文芸協会結成に合わせて坪内邸に文芸協会演劇研究所が設けられ、明治44年には本格的な劇場と舞台が増設された。大正9年坪内逍遥が熱海に移り解散。 正宗白鳥『流浪の人』に易風会立ち上げのころの坪内邸の様子が描かれている。隣家に陸軍少将が住んでいて、坪内邸で朝から三味線を弾いたりしているのをけしからんことだと怒っていたそうだ。 |