不如意ブログ

プリンス関連作品

Child of the Sun

Child of the Sun

もちろん私はプリンス様の音楽が大好きで、神のようにあがめているのだが、プリンス様の音楽について語りはじめるとどうにもまとまらないので好きなプロデュース作品ということももと妻のMayteのChild of the Sun。なんといっても2曲目の”In Your Gracious Name”が猛烈によい。これと同じくらいよい曲ってのはプリンス様の曲でも思いうかべるのが難しいほどだ。

1-800-Funk

1-800-Funk

このアルバムのMagie Coxの”Standing the Alter”とNona Gayeの”Love Sign”もすばらしい。こういう曲を軽々と作るんだから天才。(この「はまぞう」の表記はまちがっているような気がする。1-800-NEW-FUNKが正しいアルバム名なんじゃないのか)

エピステモロジーその後

不勉強なので、

ではじめて知った「エピステモロジー」。
ぱらっとめくった『哲学の歴史〈第11巻〉論理・数学・言語 20世紀2』で最初に出てきたページで金森修先生が解説してくれていたので買って帰る。

この章では、フーコーが「知、合理性、概念の哲学」と呼んだ流れに列挙していた人たちのなかからカヴァイエスを除いた残りの三人、つまりバシュラール、コイレ、カンギレムを取り上げて、彼らの業績の概要を確認することを目指す。「概念の哲学」の唱道者たちの伝統は、ごく簡単に「エピステモロジー」(epistémologie)、または「フランス科学認識論」と呼ばれる。(エピステモロジーとは、ギリシア語で科学的で正確な認識を表すエピステーメーと、論理や学問のことを指すロゴスとを合体させた造語である)。エピステモロジーは日本では導入や咀嚼が依然として遅れているが、繰り返すなら、フランスで独自の展開を遂げたエピステモロジーへの周到な目配りなくしては、二〇世紀のフランス思想史を十全に理解することはとうてい不可能なのだ。 (pp. 533-4)

ということらしい。

んでまあ、これを呼んで、「ぎゃ!エピステモロジーって最初からフランス語だったのか!」とかあわててしまったのだが、手元の仏和を見ると「英語から」と書いてある。それに「エピステモロジー」なるものがフランスでそんなに盛んで、それくらいはっきりと一部の伝統を指すのかと思いこんでしまったのだが、おフランスWikipedia http://fr.wikipedia.org/wiki/Epistemologie を見てみるとそういうわけでもなさそうだ。

Le terme d’origine anglaise est attesté la première fois en 1856, et
apparaît en 1906 dans un dictionnaire français comme “critique des sciences”; c’est-à-dire en tant que discipline de remise en
question de la connaissance et des méthodologies scientifiques.

フランス語は読めないが、

このイギリス起源の言葉は、1856年にはじめて現れており、1906年に「科学(学問)の批判」としてフランス語辞書に現れている。つまり、認識や科学(学問)の方法についての問題を整理する学問分野である。

ぐらいか。

ちなみに英語のepistemologyはスコットランドの哲学者J. F. フェリア が1854年に作ったとか。カントのあと、19世紀はじめぐらいかという漠然とした印象はあったが知らなかった。2年後にフランスまで伝わったわけか。まあありそう。

まあ正確どうかかはよくわからん。あとでOED見てみよう。

その下の「エピステモロジ」の三つの受容以下は正確に訳せるかどうか自信がないのでやめとくが、フランス語でエピステモロジといえば20世紀前半のそこらへん(バシュラールやらコイレやらカンギレムやら)を指すというわけではなさそうな気がするが、ぶっちゃけ、どうなんだろうなあ。だれか教えてください。詳しく読むことはできないけど、フランスwikipediaでも「中立性には気をつかってるけどまだ途中」のようなことが書いてあるような気がするから、この言葉をどう使うかは議論の的なのかもな。どうなんだろう。国内では金森先生が「エピステモロジーとは」と言いはじめたんじゃないかという気がするので調査してみるべきかもしれないが、私にそんな力はないので誰かやってください。

それにしてもこのシリーズ、内容は立派で野心的だとは思うのだが組版が読みにくいよ。欄外使うのなら一回り大きい判型にしてほしかった。傍注も縦組だとうるさいんだよな。横書きでよかったような気がするし、縦書きでも『中公世界の名著』の形なら大丈夫なのに。まあ全体に装丁とか紙とかフランスな感じを出したかったのかな。表紙にもHistoire de la philosophieって書いてるし。奥付の装丁等の説明がデザイナーのこだわりを反映しているのか。沢部均・山田信也。pTeX使っているような気がする。まあ中公はずーっと応援している。がんばれー。

ひさしぶりにgoogleから「エピステモロジー フランス」でサーフィンしてみる。んー、金森先生と独立のやつはあんまりないようだな。http://logicomathematique.blog52.fc2.com/blog-date-200610.html
がまさにフランス留学中のようでモロにエピステモロジーしているようだ。参考になるが、この記述だけではまあいわゆる「認識論」(われわれはいかにして真理や実在や外的事物や他者の心の存在を知るかとか)ではなく、「(自然)科学論・科学哲学・科学基礎論・科学史」一般を指しているってだけで、特定の見方や立場をとる伝統を指しているわけではないようにも思える。フランスではふつうの(日本語や英語の)認識論はなんていうんだろう。謎は深まる。

 

やっぱりジミヘンは好きだったり

ひさしぶりにジミ・ヘンドリックスのAll Along the Watchtower聴いてビリビリ来た。

秋にはまた楽器板で人を集めてジミヘンジャムバンドでオフ会というかライブというか公開ジャムセッションしたいなあ。

  1. Purple Haze
  2. Red House
  3. All Along the Watchtower
  4. Little Wing
  5. Stone Free

 

追記

その後もうちょっと考えて、こんな感じだな。おそらく機材出し入れあわせて30分しかないから。

  1. Foxy Lady
  2. Red House
  3. Little Wing
  4. All Along the Watchtower

Little Wingはこういうアレンジと替え歌でやりたいが、誰も許してくれないだろうな。ジミヘン先生ごめんなさい。・・・いや、Foxy Ladyも歌詞考えてパクリ曲にするか。Red Houseは何歌ってもいいしな。

 

Bootsy Collins

Ultra Wave

Ultra Wave

仕事しながら鯖監視中。

とにかくファンクが何であるかを知りたかったら、このアルバムの “F Encounter”を聞け。忙しくなって仕事に疲れると私はこの曲を聞く。”I’m working man, need a job!”

Stretchin Out in Ahh the Name Is Bootsy Baby ブーチー・コリンズといえばダンサブルなブリブリファンクベースと言われているが、私は実はセンチなスローナンバーのサウンド設計やボーカルワークの方がうまいと思う。単なるダンス用Funkだともっと好きな(シンプルな)P-Funkベーシストがいる。しかしここらへんの少年少女向けおセンチファンク”What’s a tellephone bill?”とか”Love Vibes”、”Physical Love”とかもうたまらん。ここらへん聞かないで人生終わるのはもったいないと思う。

ファンクだよ全員集合!! あとこのアルバムの”Groove Eternal” (プリンス風)とかよく聴いている。

好きなCD:カーラ・ブレイのセクステット

Sextet

Sextet

Carla BleyのSextet。今日iPodでシャッフルしていて久しぶりに聴いて感動した。

ドラム、ベースに2本のギター、オルガン、ピアノという変わった編成のいわゆるフュージョン。ECMらしい耽美な世界。1曲目の”More Brahms”とか”Lawns”とかすばらしくアレンジされていて美しい。このひとが歌物をまじめに書いたらキャロル・キングのようにポピュラーになれたんではないかと思うのだが、芸術家だからそういうのには背を向けてるっていうかそういう感じなんだろうか。このひとのアルバムは4、5枚もってるのだがこれが一番よい。

リアルブック(ジャズの有名な楽譜集)とかにはこの人の曲がたくさん載っていて、70年代後半~80年代に強い影響力を持っていたことがわかる。当時の私は「フュージョン」は悪いものだと思いこまされていたので聴いていなかった。そういやECMにも偏見持ってたな。アルバム揃えよう。

『音楽未来形』

音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ
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  • 「たとえば、マイナー・ペンタトニック(音階)やCオーギュメント13th(コード)やワルツ(リズム)は、誰かが生み出した音楽的素材であろう」(p. 247)→「Cオーギュメント13th」はかっこ悪いなあ。こういう記述を見ると萎える。「Cドミナント7thフラット13th」ぐらいにしといた方がいいのに。
  • 「楽音レイヤー」と「サウンドレイヤー」って言葉使いが区別しにくくて誤解をまねきそうだ。著作権がつくのは「記譜」されるようなものなのだから、「記譜レイヤー」と「楽音レイヤー」じゃないのかなあ。
  • 書物の場合は著作権で保護されるのは「表現」であり「アイディア」ではない。音楽の場合、メロディーの断片、歌詞の一部、コード進行、リズム感、構成、音色などが「表現」なのか「アイディア」なのかがよくわからんのが問題だということを指摘してほしかった。わたしはそういうのは「アイディア」ととらえたい。いや、無理かな。少なくともサンプリングは書物でいう「引用」にあたると思うのだが、現状ではぜんぶ保護しちゃうから問題。
  • 「楽音のレベルに著作物の「原型」を見て取ることは、メディアの水準で楽譜が作品の「起源」とされることと並行している。・・・その名残りが著作権制度に反映されている。」(p.241) 正しい。っていうか最初から音楽と出版物を同じ法規で扱おうとしたのが失敗というか。
  • 「楽音とサウンドのレベルは、耳で聴くことのできる現象のレベルであって、その現象を実際に担保しているのは、耳に聴こえないデジタル・データである。」(p.241) デジタルは関係ないんじゃないかな。
  • 「楽譜の水準に音楽の原型が存在すると見なす著作権の音楽観は実情とそぐわなくなっている。」(p.241)その通り。しかしそもそも著作隣接権が設定された時点で実情とそぐわなくなったんじゃないかなあ。ジャズミュージシャンはずっとそういう問題をかかえていたはずだ。
  • p. 248。サンプリング作品では「演奏者」が「作者」にカウントされることがないという指摘は重要。実際サンプルするのはたとえばジミーペイジの楽曲ではなくてジョン・ボーナムのバスドラをエンジニアが録音した振動なわけだからね。ジョンボーナムやエンジニアに金をはらってもいいが、ジミー・ペイジにまで払う必要があるかどうか。ジャボ・スタークスに払ってもいいがジェームズブラ
    ウンにも払わなきゃだめか。だから現状の著作権制度はちょっとおかしいよ、と結論してはくれないのだろうか。
  • 「デジタル・コピー問題とは、「文化の危機」なのではなく、「文化産業の危機」なのだ」はその通りだと思うのだが、創作したり演奏したりする「自由」の問題をもっとはっきりさせてほしかったような気がする。まあ「世間でよく言われているのは実は経済の問題にすぎないんだよ」と主張することによってそのうらがえしで「独創性」と自由の問題を扱っているわけか。独創性の問題さえ疑ってみてもいいと思うんだが、どうなんだろうか。
  • わたしのように楽曲をコピーしたりカバーしたりネトラジで遊んだりしているアマチュアにとっては、むしろ著作隣接権や同一性保持権の方が問題だったり。
  • 「大地讃頌」事件はもうちょっとつっこんでほしかったな。筆者の立場が明確でない。
  • ジャック・アタリの話とか、どうなんだろうか。「現代思想」とか好きなひとはこういう議論が好きなんだろうが、おおげさでグリップがないような気がするけどなあ。まあ趣味の問題か。
  • たとえば、「音楽はまず、神話的な社会秩序を維持するため、神に捧げられる犠牲として生じた」とか。うそくさい。普遍性もないだろうし。こういうを簡単に援用しちゃうのはいかがなものか。「供犠」→「演奏」→「反復」→「作曲」の「レゾー」なんて、話としてはおもしろいのかもしれないけど、ただのお話じゃないのかなあ。現代思想とかってのの悪い側面が出ているような気がする。
  • 大昔からワシらムージさんは自分の好きなように楽曲をかなでてきたし、真似したり個人用テープをやりとりしてきたりしてきたのじゃ。それがむしろテクノロジーで管理されつるある方が問題だ、っていうレッシグの問題意識の方がわたしはみぢかだな。
  • ベトベンが市民社会で演奏会と楽譜売上で生きていこうとしてなかば成功したこと、レコードが商品として流通しはじめたことは大きな出来事だったろうけど。でもそれに比べて、DJカルチャーというかサンプリングは本当に新しい問題なんだろうか?どう新しい問題なんだろうか?ちょっと考えてみよう。
  • けっきょくデジタルコピーの問題はiTunesMusicStoreのような形のものがちゃんと機能するようになればうまく回るようになる気がする。私が関心があるのは演奏や創作にかかわるもっと違う問題だ。