文献表

G. Hardinの「共有地の悲劇」は翻訳がある。シュレーダー・フレチェット編『環境の倫理(下)』晃洋書房。絶版?

James Williamsの『プラグマティズム』は岩波文庫じゃなかったか。

G. RyleのThe Concept of Mindは『心の概念』(坂本百大他訳、みすず書房)。

WhiteheadのAdventures of Ideasは翻訳がある。『観念の冒険』

『自由は進化する』誤訳さがし(1)

自由は進化する

自由は進化する

原文イタリックを強調しそこねているところが多数ある。挙げきれない。意図的なものなのかな。

p. 207 (ペーパーバック p.147)

「自然界において協調めいたものが起こるにはすべて何らかの理由がある」。→「協調」は強調されている。

→「自然界において協調めいたものが起こるなら、なにか説明が必要なはずだ」とか。

p. 208の「おひとよし sucker」とかも原文強調。

p. 221 「七歳まで子どもを任せてくれたら、その人物の本性を見せてあげよう。」

→ Give me a child until he is seven, and I will show you the man.

「七歳「までに」子どもをよこしたら、ほんとうの人間ってものを見せてあげるよ」「ちゃんとした人にしてあげるよ」じゃないのかなあ。→うーん、どうもやっぱり「七才まで子どもをまかせてくれたら」で正しいようだ。難しい。

p. 225 「情報豊かな欲求」→informed disire 「ちゃんと情報をふまえた上での欲求」

「最善策と次善策の区別がつけられるほどかれらの調査は有効かつ徹底的だ」

← Their search procedure will be as good as exhautive, and they will be able to tell the best moves from the second-best. “as good as”はいわゆる「熟語」。これはちょっと恥ずかしい誤訳かも。「かれらの調査はほぼ徹底的だろうし、最善策と次善策の区別もつけられるだろう。」

エピステモロジーその後

不勉強なので、

ではじめて知った「エピステモロジー」。
ぱらっとめくった『哲学の歴史〈第11巻〉論理・数学・言語 20世紀2』で最初に出てきたページで金森修先生が解説してくれていたので買って帰る。

この章では、フーコーが「知、合理性、概念の哲学」と呼んだ流れに列挙していた人たちのなかからカヴァイエスを除いた残りの三人、つまりバシュラール、コイレ、カンギレムを取り上げて、彼らの業績の概要を確認することを目指す。「概念の哲学」の唱道者たちの伝統は、ごく簡単に「エピステモロジー」(epistémologie)、または「フランス科学認識論」と呼ばれる。(エピステモロジーとは、ギリシア語で科学的で正確な認識を表すエピステーメーと、論理や学問のことを指すロゴスとを合体させた造語である)。エピステモロジーは日本では導入や咀嚼が依然として遅れているが、繰り返すなら、フランスで独自の展開を遂げたエピステモロジーへの周到な目配りなくしては、二〇世紀のフランス思想史を十全に理解することはとうてい不可能なのだ。 (pp. 533-4)

ということらしい。

んでまあ、これを呼んで、「ぎゃ!エピステモロジーって最初からフランス語だったのか!」とかあわててしまったのだが、手元の仏和を見ると「英語から」と書いてある。それに「エピステモロジー」なるものがフランスでそんなに盛んで、それくらいはっきりと一部の伝統を指すのかと思いこんでしまったのだが、おフランスWikipedia http://fr.wikipedia.org/wiki/Epistemologie を見てみるとそういうわけでもなさそうだ。

Le terme d’origine anglaise est attesté la première fois en 1856, et
apparaît en 1906 dans un dictionnaire français comme “critique des sciences”; c’est-à-dire en tant que discipline de remise en
question de la connaissance et des méthodologies scientifiques.

フランス語は読めないが、

このイギリス起源の言葉は、1856年にはじめて現れており、1906年に「科学(学問)の批判」としてフランス語辞書に現れている。つまり、認識や科学(学問)の方法についての問題を整理する学問分野である。

ぐらいか。

ちなみに英語のepistemologyはスコットランドの哲学者J. F. フェリア が1854年に作ったとか。カントのあと、19世紀はじめぐらいかという漠然とした印象はあったが知らなかった。2年後にフランスまで伝わったわけか。まあありそう。

まあ正確どうかかはよくわからん。あとでOED見てみよう。

その下の「エピステモロジ」の三つの受容以下は正確に訳せるかどうか自信がないのでやめとくが、フランス語でエピステモロジといえば20世紀前半のそこらへん(バシュラールやらコイレやらカンギレムやら)を指すというわけではなさそうな気がするが、ぶっちゃけ、どうなんだろうなあ。だれか教えてください。詳しく読むことはできないけど、フランスwikipediaでも「中立性には気をつかってるけどまだ途中」のようなことが書いてあるような気がするから、この言葉をどう使うかは議論の的なのかもな。どうなんだろう。国内では金森先生が「エピステモロジーとは」と言いはじめたんじゃないかという気がするので調査してみるべきかもしれないが、私にそんな力はないので誰かやってください。

それにしてもこのシリーズ、内容は立派で野心的だとは思うのだが組版が読みにくいよ。欄外使うのなら一回り大きい判型にしてほしかった。傍注も縦組だとうるさいんだよな。横書きでよかったような気がするし、縦書きでも『中公世界の名著』の形なら大丈夫なのに。まあ全体に装丁とか紙とかフランスな感じを出したかったのかな。表紙にもHistoire de la philosophieって書いてるし。奥付の装丁等の説明がデザイナーのこだわりを反映しているのか。沢部均・山田信也。pTeX使っているような気がする。まあ中公はずーっと応援している。がんばれー。

ひさしぶりにgoogleから「エピステモロジー フランス」でサーフィンしてみる。んー、金森先生と独立のやつはあんまりないようだな。http://logicomathematique.blog52.fc2.com/blog-date-200610.html
がまさにフランス留学中のようでモロにエピステモロジーしているようだ。参考になるが、この記述だけではまあいわゆる「認識論」(われわれはいかにして真理や実在や外的事物や他者の心の存在を知るかとか)ではなく、「(自然)科学論・科学哲学・科学基礎論・科学史」一般を指しているってだけで、特定の見方や立場をとる伝統を指しているわけではないようにも思える。フランスではふつうの(日本語や英語の)認識論はなんていうんだろう。謎は深まる。