教員生活」カテゴリーアーカイブ

服装・身だしなみ(1)

このエントリ書いてる時点で、会社での服装その他について、あるCMをきっかけに炎上しているんですがそういうのとは関係なく。

まあ仕事するときの服装っていうのはむずかしいっすね。私自身は服ってのものにずっとなんの関心ももたずに生きていて、まあ寒くなければいいなあ、程度。悪名高い百万遍大学で、貧乏でお金もなかったしでぜんぜん服とか気を使わず、それだけでなく髪やヒゲをちゃんと手入れする習慣もなく、寝癖無精髭あたりまえ、みたいなのでずっと生きて決ました。

でも世間様や学生様はそれでは許してくれないかもしれない。

そういうことに気づきはじめたのは、学生様の就活の応援についていろいろ考えはじめた頃で、ああいう局面では見た目の印象というのはおそらくすごく重要なんですよね。美人かそうじゃないか、とかそういう問題ではない。要はきちんと服を着ることができる人は仕事できそうな印象がある。そしてそれは印象だけではないかもしれず、実際に服や身だしなみをソツなくやってる学生様は他のことをやらせてもソツなくやってくれる傾向がある。まあそれも私の「印象」にすぎないけど。

でもそういう「印象」はすごく重要なんですわね。

私が好きなのはジーパンにシャツにジョギング用のスニーカーみたいな服装。もう楽ならなんでもいいや。髪やもみあげ、ヒゲなんかもほったらかしのときが多くて、基本的にだらしない印象。そういうだらしない服装をしている人は、やっぱりやることなすことだらしがない。私のだめさについてはネットとかでよく見てくれていることだと思います。タバコも捨っちゃうし。部屋もぐしゃぐしゃだし。

まあだらしないのはそれなりの魅力があって、別に意識しているわけではないにしても、だらしないけど実はいい人、実はできる人、みたいなのを目指しているわけですね。昔の『美味しんぼ』の山岡さんとか、ああいう感じ。そいういう人も社会には必要だ。

でもそれも場合によりけりでねえ。服装にだらしないひとは、それに見合うなにかをもってないとならない。隠されたすごい能力をもってるとか(山岡さん)、明るくてかわいいとか、とにかくポジティブでフレンドリーだとか。

たいした長所や能力もないのに表情が暗く、人見知りしていつもネガティブなことを言っていてかつ見た目が汚い、とかっていうのはもうだめ。さらに早口で難しいことを言い、一人でわけわからない冗談らしきことを言ってヒヒヒと笑い、時々「私語するなー」とか怒鳴るとか、もう学生様から見てつきあう気になれないじゃないですか。

見た目をちゃんとしないってのはある種のセルフハンディキャップで、そういうハンデキャップがあっても俺は魅力があるとか、そういうことを言う自信がある人だけの特権ですわね。それは『男一匹ガキ大将』の世界ですわ。素人にはおすすめできない。

まあ話をもどして、ある時期、ゼミで学生様には「やっぱり身だしなみは大事だから就活前に就活ファッションショーをやろう」ってことになったんですわ。これはおもしろい。ただのリクスーでもいろいろな着方があって、私は口出さずにお互いにチェック入れてもらう。「ここが気になる」みたいな。なるほどいろいろあるのだなあ、みたいなことを言ってると、学生様から「お前もなんとかしろ」みたいなつっこみが入るようになりましたね。

もうちょっと正直に書くと、そういうときに「んじゃ私もスーツで行くし」ってことになったんですが、「んじゃ私から。どうでしょうか」「そのスーツはおかしい」「かっこ悪すぎる」と猛烈にダメ出しくらったんですね。「とにかくサイズが合ってない」「実は前から言いたかったのだが、お前はいつもセーターでずっとおかしいと思っておったのじゃ」「そもそもお前は一人で歩いているの表情が暗くていまにも死にそうだ」とか。

なるほど。「んじゃこの次はちゃんとしてくるわい」ということでとりあえず本読んで、これはたしかにだめだってことで洋服屋でスーツ作ってもらったんだったかな。

 

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健康第一

大学教員に一番必要なのはまちがいなく健康です。健康ではじまり健康で終る。

体調悪いと頭まわらないし、気分も落ちるし、生きてること自体が苦しいし。なにがなんでも健康を維持しましょう。まあ正直、授業の調子が悪いとき、準備がうまく進まないとき、っていうのはほとんど体調悪いときですわ。特にストレスたまってくるとそれをお酒でごまかしたりして次の日がさらに厳しくなったり。だいたい大学教壇に立ちはじめるのは30才ぐらいだと思うですが、それくらいの年齢だと生活パターンが乱れてたり、深酒したり、論文とかで徹夜とかしてもなんとかなるんですが、そういうは長くは続かないんですよね。教壇に立って話するっていうのもけっこう体力が必要で、私2コマぐらい授業するとヘトヘトですね。足が棒のようになる感じ。こういうのはほっとくとどんどん疲れがたまる。疲労回復にいいのはもちろんとにかく寝ることです。7時間、できれば8時間の睡眠は確保したい1)私はロングスリーパーなのでもっと寝たい。9時間だ!。我々は頭使う商売なんだから寝不足は一番の敵。授業準備で夜遅くなった、なんてよりもう準備は適当にして早く寝た方が授業はずっとよくなります。

でもいずれ睡眠だけでは回復しないようになる。エクササイズが必要です。いろいろ試しましたが、疲労回復に一番いいのはプールですね。これはエクササイズの王様。バタ足とか5〜10分もすれば足の疲れは一気になくなるし、肩凝りなんかもしなくなる。非常によいものです。

ジムとかそういうのはお金がかかるのでお金のない時期は通いにくいですが、意外に高いものではなくたいてい8000円ぐらい、安いところでは(いろいろ制約あることもあるけど)6000円ぐらいなのでモトはとれると思います。

水泳、泳げない人はお金出して習う価値がある。私は三十代に「踏水会」という京都の名門スイミングスクールに通う機会があり、ほとんど泳げない状態から泳げるようにしてもらいました。ああいうところは大人向けのは無理させなくていいですよね。「そのうち泳げるようになります」みたいな。まわりの人もまあよぼよぼのオバアサンとかそういう人々のなので、これまで体力とかスポーツとか自信なかった人も、体型に自信ない人もぜんぜん平気です。

あとジムやスクール系統がいいのは、ストレッチの正しい方法を教えてもらえることですね。踏水会では1時間の水泳教室の前に30分みっちりストレッチするんですが、これがよかった。というか「むしろこっちの方が価値があるなあ」みたいな感じがしました。家でストレッチとかするっていっても、5分や10分ぐらいで手早くすませようとしちゃうじゃないですか。でもそれじゃだめなんよね。ちゃんと「いーち、にー、さーん、息吐いてー、ごー」とかやってもらうと伸びる感じがする。私肩は大丈夫なんですが背中おかしくなることがあるんですが、ちゃんとストレッチすれば大丈夫。しばらく習うと家でもまあだいたいその手順でできるようになる。何事も先達は重要。

あとスクール系統がおもしろいのは、我々はいつも「教える側」なんだけど「教わる側」になってみるといろいろ発見があるわけですわ。「この先生は教えかたうまい」とか「なんかなあ」みたいなのはいつも意識するようになる。体育会系の文化っていうのも我々はあんまり知らないのでそういうのを見るのも勉強になる。

お金払いたくない場合はウォーキングかジョギングみたいなのになるでしょうね。私自身は水泳は退屈なんですが、ジョギングなら音楽とか落語とか聞きながらできて好きなのはそっち。私の感じでは歩くだけではちょっと疲労回復とかには足りないと思う。体温と心拍がちょっと上がるようじゃないと足の疲れは抜けない感じ。ただし、走るのは非常にケガが多いのでかなり用心が必要だと思います。ちゃんとストレッチしてから走るとか、スニーカーは高いちゃんとしたの買うとか。

適切なコース見つけるのも難しい。車とか近くを通ると危いし、事故にまきこまれることはなくてもいろいろ気をつかってうざい。信号とかも面倒なもので、そういうのがあると走るのが楽しくなくなる。私は鴨川べりを走ってます。あとRunKeeperっていうiPhoneアプリで記録していてモチベーションにもなってます。

おすすめは上のような泳ぐ、歩く、走るっていう有酸素呼吸運動系統なんですが、筋トレの方が楽しいという人たちもいるし、体型を気にするなら筋トレが絶対必要。たしかに筋トレ系統の方が「すかっ」っとする感じを味わえるかもしれない。でも私苦手なんでパス。いちおうジムでは時々マシン使ったりしているけど、いつまでたっても苦手な感じはぬけない。

まあこういうエクササイズ系統については、雑誌の『ターザン』みたいなのを見て勉強する価値は十分にあると思います。エクササイズすると体調がよくなるし、なにより気分がよくなる。

最近有酸素運動で見つけたおもしろいのがZumbaですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BA%E3%83%B3%E3%83%90
基本的にダンスエアロビなんだけど、音楽が多彩でおもしろい。ジムでもクラスに参加してみてます。

まあyoutubeでzumbaで検索して、適当なのに合わせて体を動かすだけでちょっとした気分転換になるし、3〜4本、20分程度踊るだけで十分疲労回復できると思うです。おすすめ。ビデオ高いけど買う価値がある。

まあとにかく、教員として、そして研究者(なりたいな)としてがんばるためにエクササイズなんかしているヒマはない、みたいに考えちゃって息がつまってしまうんですが、なにがなんでも1日1時間ぐらいの「運動の時間」を確保したいです。私は他のすべてを投げすてててもならんかのエクササイズすることにしました。それが今年度学んだ一番大事なことだったかな。

 

 

 

 

References   [ + ]

1. 私はロングスリーパーなのでもっと寝たい。9時間だ!

書類は確認してちゃんと出そう

 

1年間教員をお休みして、新年度からまた教員生活がはじまるわけすが、非常勤講師は20年以上、専任教員も15年やってここらへんで教員としての自分を見直してみるべきですわね。教員生活後半戦、教員江口シーズンIII。(Iは非常勤講師時代、IIは若手教員時代)

久しぶりに関西の大学としては先進的ところでの非常勤もありますので、そこらへんも踏まえていろいろ学びつついきたい。

はじめて大学教員とかやる場合は必ず名古屋大の名作「成長するティプス先生」読んどくべきですね。 今回私ももう一度見直してみたい。他にも同じように役に立つのがあれば教えてください。

まあ私はティプスやハウツーを提供するというよりは、みっともなくみじめな失敗をくりかえす大学教員の姿をさらけだすことになると思われるのですが、そういう情報はあんまりないような気がするので1年がんばってみたい。

3月のこの時期、非常勤講師にはいろいろ「非常勤講師ハンドブック」とか「開講案内」とかまわってくるわけですが、とりあえず「出せ」と言われた書類は早めに出しときましょう。大学教員というのはルーズな人間なので書類は締切までに出さないのがデフォルトみたいになってしまってますが、いかんですね。2〜3割の人はいつも書類出せない印象。もちろん私もその一人。よくこれで教育とかできますよね。いかん。

教員は書類ちゃんと出さなくてもなかなか不利益を受けない状態なのでそうなっちゃうんですかね。いつも遅れてると事務の人も印象悪くなります。今年はぜんぶ期限前に出しますよ(いややっぱり無理かも)

 

給与振込口座とか交通費とかライブラリカードの申請とかですね。こういうのほうっておくと4月になってから「あれ」「出してください」みたいなことになって時間とられちゃうのですぐに出す。

あと、特に非常勤やってる場合には、自分が担当するコマが、その学部・学科のカリキュラムでどういう位置づけなのかちゃんと確認しておくことが大事ですね。予想される授業規模や、何年生向けか、複数の学部向けか単独の学部・学科向けか、さらにその下の「〜専攻」向けかってのでやっぱりやりかたはぜんぜん違います。一般に大人数向けの方が浅く広くになる。レジュメやスライドなんかの準備もかなり綿密にしとかないとならん。少人数で専門向けだったら、まあ相手の顔を見てからの方がうまくいくこともある。でも準備はしとかないとね。

一番大事なのは「必修」なのか「選択」なのか。特に「必修」の場合は単位落すにはかなりの覚悟と証拠が必要なので評価方法をちゃんと練っておく必要がある。まあここらへんはシラバス書いたときに考えておかなきゃならんのだけど。

まあ非常勤の先生はその学部学科のカリキュラム全体についてはよく知らない場合が多い。某大学A(仮に御所大学と呼びます)某大学B(同じく衣笠大学)の両方とも、送られてきた書類にはカリキュラムについての説明がない。まあそういうのは事務的には、非常勤を世話してくれたその学部の専任の先生から説明があったはずだっていうことなんでしょうが、専任の方ではだいたいそういうのまで考えてないのがふつう。ばたばたしてるうちに忘れちゃったりするし、説明しても非常勤の方としてもあんまり注意して聞いてなかったりする。カリキュラム表と学生向け時間割(意外に重要)を入手しといた方がよい。「あ、私のこの授業の前に某先生のあれがあるのか、んじゃ続けて履修する学生もいるわけだな」「あれ、某先生も今年ここで非常勤なのか、んじゃアレの話もするんだろうな」みたいなのもけっこう役に立つ。

シラバスが出たら関係近そうな先生たちのシラバスも見とくといいかもしれませんね。「〜先生の出てる?どうおもしろい?」「この前〜先生は〜の話してました」みたいな話も学生様との会話ではけっこう出るものです。

 

 

 

 

ゼミニューズレター2013年度

先日卒業式があり、京都女子大学現代社会学部11期生が無事卒業しました。江口のゼミ卒業生も増えてきたこともあり、Web上ではありますがニューズレターなどを発行して、ゼミ卒業生の皆様に江口ゼミの最近の様子をお知らせしようと思います。

早くも11期生の卒業を見送る時期になりました。現代社会学部創設のときのメンバーで残っているのは7人だけで、若手教員だったはずがいつの間にか古株教員になってしまっています。

今年はいつも通り3回生〜4回生連続のゼミ13人にくわえ、前年退職された槇村先生の3回生ゼミ14人のクラスをひきついで担当しました。途中からでしたし、教えられることも槇村先生とはちがうことになってしまうので万全だったとは言えませんが、なんとか卒業してもらうことができました。

卒論テーマは以下のようでした。

  • ときめきはいつまでも:『婦人公論』で見る女性の婚外恋愛
  • 楽しく働くにはどうすればよいか:内発的動機づけとフロー理論を活かしてより良い働き方を考える
  • 生物学から見るジャニーズアイドルの魅力:イケメンの歌と踊りはなぜ多くの女性を魅了するのだろうか
  • うわさと上手に付き合うために
  • エステサロン・美容整形と自意識
  • においはどれくらい大切か:ヒトフェロモンから考える
  • しあわせは誰が決める?GDPに代わる指標から見る人間の幸福
  • 零れ落ちる命:動物福祉論から見るペット産業の問題点
  • なぜ「なるほど」は面白いのか:ユーモア生起と自尊心のケアにおける共感の可能性
  • なぜ精神障害者は許されるのか:刑法三九条の是非について
  • 映画の視覚効果:映画分析『ドラゴン・タトゥーの女』

就職は以下のようなところに決まりました。

東京海上、みずほ証券、富士キメラ総研、日興證券、パソナ、大和証券、日本カルミック、村上開明堂、杏林製薬、静銀ビジネスクリエイト、中部国際空港などです。槇村先生のゼミからは、ゼミ卒業生も働いているあいおい損保やシャルレにも就職がきまっています。

例年どおり夏に3、4回生合同で鳥取砂丘をまわって湯村温泉に行きました。今年は芦原温泉に卒業旅行にも行きました。江口としては温泉につれていってもらってたいへんよござんした。

卒業式では江口はいつものようにいつもの歌をちょっと歌い、ゼミ生主導でAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」を踊りました。踊り方を簡単に説明してからのパフォーマンスで会場を巻き込むのに成功して、けっこうもりあがりました。

httpv://youtu.be/irhv8IUFz_s

httpv://youtu.be/14XDPuckHdo

この時期になると、「女の人生なにがあるかわからんよな」なんてことを考えます。ゼミ卒業生の方々も、ぜひメールやFacebook等でけっこうですので近況などお知らせください。

なお、江口は4月から1年間「国内研究員」という制度を使って、京大で研修することになりました。京女での授業はもたないので、基本的に京女の研究室などは使えません。実際には、自宅か京大でゆっくり勉強しなおしたいと思っています。時間的には余裕が有るはずですので、京都にお越しの際は一声かけてください。

 

非常勤問題と正義

私は で不用意に
「大学こそは昔から「不平等」という意味での不正義のスクツです」
とか書いちゃったら、http://d.hatena.ne.jp/satoshi_kodama/20080806#1218005891
で正義ってなんだって(暗に)つっこまれてしまったわけだが、ちょっと考えてみないとな。

非常勤の待遇が「正義に反してる」っていう感覚はどっから来てるのか
ってことだわね。
たしかに労働基準法に反しているわけでも、第三者によるひどい賃金ピンハネがあるわけでも、
格差そのものが不正だといっているわけでもない。好きなこと好きにする金を出せと
言っているわけでもない。んじゃ何か?私が「正義に反するなあ」とか書きたくなった
ときに私の頭にあったものはなにか。

児玉先生があげているなかでは、搾取とか、だめ中年が女子大でうはうはいってるのに
優秀な若者が職につけない不公正とかがポイントな気がするんだが、まあ
誰かが「正義」とかもちだすときはもうちょっと別のことを主張しようとしてる
可能性があるんじゃないかと思っている。

私が「正義」について議論されているのを見聞きするときに一番強く感じるのは、
「正義」ってのはたんなるルールの問題ではないかもしれんってことだわなあ。
ある種の倫理学者や政治学者は、適正な手続きにもとづいていれば
それが「正義」だってことを簡単に認めすぎる。「正義」について語るとき、
「正義のルール」ではなく「正義という感情」について語っているのかもしれない。

またミル先生出しちゃうけど(もう本当になんとかの一つおぼえなんだけど、使いやすいんだわな)。

To recapitulate: the idea of justice supposes two things; a rule of conduct, and a
sentiment which sanctions the rule. The first must be supposed common to all mankind, and
intended for their good. The other (the sentiment) is a desire that punishment may be
suffered by those who infringe the rule. There is involved, in addition, the conception of
some definite person who suffers by the infringement; whose rights (to use the expression
appropriated to the case) are violated by it. And the sentiment of justice appears to me
to be, the animal desire to repel or retaliate a hurt or damage to oneself, or to those
with whom one sympathises, widened so as to include all persons, by the human capacity of
enlarged sympathy, and the human conception of intelligent self-interest. From the latter
elements, the feeling derives its morality; from the former, its peculiar impressiveness,
and energy of self-assertion.

要約すると次のようになる。
正義の観念は二つのものを前提している。行動のルールと、そのルールを是認する心情である。前
者は人類全部に共通で、人類の善をめざすものであると想定されていなければならない。後者はその
ルールを侵そうとするものは罰を与えられてもかまわないという欲求である。さらに、(正義の観念
には)その侵害によって苦しんでいる特定の人の観念—そのひとの権利が侵害された—も含まれて
いる。そして正義の心情とは、自分または自分が共感をいだいている人びとに対してなされた危害や
損害に対して反撃し仕返ししようという動物的な欲求が、人類の拡張された共感能力と、知的な自己
利益の観念によって、すべての人を含むほど拡大されたものであると、私には思える。
正義の感情は、後者の要素[共感や利己心]から、その道徳性をひきだしており、また
前者の要素[復讐心]からその特有の強烈さと自己肯定のエネルギーを得ているのである。 ミル『功利主義論』第5章*1

「正義に反してるぞ」とか「正義を実現しろ」とか言うときってのは、 なんかその背後には強い憤りのような感情がある*2
さらにその憤りは、誰かの権利が侵害されているとか、誰かが傷つけられているとかって
認識がある。それが共感とかによって拡張されているのが正義の感覚と。

んで、ちょっと前の記事で大学の非常勤の扱いは正義に反していると
私が書いてしまったときには、どうも常勤職の待遇と比べてあまりにも不平等だってことだけじゃなくて
なんか専業非常勤って仕事自体が人を傷つけるところがあると感じてたみたい。
はてブ見てたら
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20060429/p1
がそこらへん重要なところに触れているように思う。

まああんまり自分でもはっきり意識してなかったけど、猿虎先生のようなことは
いろいろ感じていて、それが一昨日のエントリ

の細かい改善箇所なんかに反映しているように思う。たとえば猿虎の人は
「同僚がいない」って孤独感を述べてるけど、これほんとに深刻なんよね。居場所がない。 常にアウェーでホームがない*3。大学行っても
いる場所がないし、講師控え室とかお互いにストレンジャーどうしの透明人間の部屋。
大学関係者が一番孤独を感じる場所は大学非常勤控室だ。
いまはまあどこの大学行こうが平気だけど、むかしはずいぶんつらい思いをした記憶がある。
(あ、行ってたの名誉のために書いておくと、どこもまともでちゃんと配慮してもらってるところばっかりだったけど、それでもけっこうつらかった)
専業非常勤講師ってのは他にもほんのちょっとしたことに傷つく弱い存在なんだわな。 専業非常勤とかやってるとなにかが蝕まれていく感覚がある*4

まあ私の場合は出身研究室の組織がしっかりしていたし、出入り自由にさせてもらったり人びとと顔合わせる機会を作ってもら
ってたんでなんとか生きていけたけど、研究室組織が弱いところ、ばらばらのところ、そこと
うまくやってけないひとなんかは生きていくのもしんどいだろう。読書会や研究会も重要だわね。
でも学生さんと年はなれちゃうと顔も出しにくくなるだろうし、勉強するまとまった時間がとれないとそういうところにも顔出しにくくなって出られなくなっていって死にそうになる。

あれ、なんかまとまらなくなってきたな。えーと。

つまりね、「正義に反する」とかってときに言われているのは
単に行動や分配のルールだけじゃないかもしれないわけだ。むしろ
傷つきやすさやそれに対する配慮にもとづいたもんかもしれんし、 そしてそれが欠けていることに対する怒りだったりする*5
「正義」がたんなるルールや分配の手続的な公正さに関するものだと思いこんでしまうのは非常に危険に
見える。そこらへんで先月やってた「ケアの~」「耳をかたむけて~」とかやりたい人びとが考えていることには
共感しないでもないわな、とか。そういうこと考えた。なんか頭の調子悪くていつもにもまして
まとまりがわるすぎるけどまあメモ。

*1:中公の訳はこの部分かなりあやしいので訳しなおした。

*2:もしかしたら「処罰感情」は強すぎるかもしれない。

*3:いまどこいっても平気なのはホームがあるから。

*4:同じことは他のいろんな仕事についても言えると思う。日雇いバイトはつらい。私の場合、自分で物理的・社会的環境を変えていくことができないときに特にとてもつらい。

*5:「正義」なんて曖昧な言葉を使わず、そこらへんちゃんと書くべきだったかもしれん。

非常勤問題その後

私だったら何要求するかなあ。
とりあえず

  • 賃上げ。1コマあたり月額4万円ぐらいが妥当な気がする。5万は経営的には多すぎるかもしれん。
    各種保険とかまでなんらかの方法で面倒見てくれるならもっと少なくても納得するかも。

  • 授業準備にかかる時間へもなんらかの手当?
  • 図書費。1コマ年間5万円*1で終了時に図書館に返却。消耗品あつかいの雑誌・図書とかはそのまんま。もちろん他に専任もってる人には不要。
  • コマ減・雇いやめの場合の事前通告。せめて半年前には通知しないと。
  • なんらかの失業保障。難しい?
  • 退職金?
  • 大人数授業に対する手当、配慮。っていうか巨大授業や1回生配当でのしつけとかは必ず経験つんだ常勤がやらないと。
  • 控室(準備室)の充実。
  • 図書館への十分なアクセス。
  • 健康施設への十分なアクセス。
  • 授業期間中物品置いておけるロッカー等。
  • 奨学金返還の免除。難しい?なんかありそう。雇い先が一部返還するとか。
  • 常勤もってる人間は非常勤しちゃだめ。→ はい。
  • 変則的な授業曜日設定だめ。
  • 週1しか大学来ないことへの配慮。
  • 常勤に対する非常勤の可視化。← 非常に重要。おそらく一番重要。常勤には目に見えない存在。
  • もっとあるな。まあぜんぶ http://www.hijokin.org/en2007/6.html#6 に書いてるわな。

*1:おそらく2コマだったら8万、3コマで10万とかそういう感じにするべきかも。

専業非常勤講師の人にはやさしくしよう

とか見て、あんまり一般には知られてないかもしれないので書いとくか。

大学で授業をしている人びとは二種類に分けられます。常勤職をもっているひとと、そうでないひと。学生さんにとっては、授業している教員が非常勤であろうが常勤であろうがあんまり関係ない(特に講義形式の場合)わけですが、その生活や待遇にはとんでもない差があります。

基本的に大学に職をもっているひとは、同年齢のサラリーマンの平均とかよりかなり上の給料をもらっているわけですが、職をもっていない非常勤の先生はとんでもなく貧乏です。上のページを見りゃわかると思いますが、10年前のある専業非常勤の人の生活の一部を紹介してみましょう。

この人は1997年2月ごろの日記にこう書いています。

1997/02/01
支払       源泉徴収額
某学習塾 1677500     53100
某大学    234400     16408
某大学    228600     16002
某大学    290400     20328
某大学     83200      5824
計       2514100    111662
うーむ。他にも源泉徴収されないような収入も
あったわけだが、
それにしても少なすぎる。もうちょっとあると思っていたが。
去年は塾を減らしたのが痛かったな。
しかし、税も健康保険も払っていないから、何も控除するものがない。
いくらか返ってくるか?へたすると追加徴税されるか?

おそらくのころ、この人は確定申告のための書類をそろえていたのででしょう。この方はおそらく31~2才だと推測されるのですが、年収税込251万円。どういう生活をしていたのでしょうか?実際この記述にあるように、地方税や年金や健康保険をほうっておいたのでたいへんなことになります。(ガス止められるのは日常、電気止められたこともあったらしい。役所から電話を差しおさえられそうになったこともあるようです。)

当時の資料からははっきりしたことは言えないのですが、次の年に授業コマ数についての記述があります。(このひとは前年ぐらいに学習塾関係で仕事するのをやめて大学教師一本で食っていこうと無謀な計画を立てました)

1998年1月某日。

××の某××校は、来年は後輩にやってもらうことにした。
しんどかったなあ。問題は、某××大が来年どうなるかよくわかっていないことだな。
カリキュラムを再編しているらしく、何コマ働けるのかまだ確定していない。
実際困っている。

1998年度前期時間割
1 2 3 4 5
A大 (60) A大 (60) B大 (300)
C大 (50)
D大(120) D大 (80) E大 (300+)
F? (100) G大 (100)
A大 (60) A大 (60) E大 (70) E大(200)

括弧内は推定の単位登録人数をこのブログを書いている人間が補足しました。
勤務先は関西一円に広がっているようです。移動だけでもたいへんだったでしょう。
別の資料によれば、たとえば月曜日のA大まで、自宅から2時間、そこからB大まで1時間30分ほどかかっているようです。
帰宅にまた2時間かかります。

この時期この人は13コマ担当していますが、当時大学の非常勤講師の給料は、私立大学の場合一月約25000円程度だったはずです。(今もたいして変わってないでしょう。)国公立の場合は完全時給制です。したがって、こんだけ授業して一月にもらえるのは325千円ぐらいで、国公立の授業がないときはもっと減る。後期はもっと少ないと推測されます。年収350万そこら、学生さんにはけっこう多く見えるかもしれないけど、ボーナスとかないし、健康保険とか年金とか自前だからこりゃもうたいへんなもんです。暗黒の時代とはいえ、同時期に金融行ってた友人とかは3倍近くもらってたかもしれません。

非常勤専業の人の問題のもうひとつは、研究費・図書費がまったくないことなのね。大学の先生ってのは勉強するのが仕事の一部なわけだし、授業するためにもいろんな資料が必要なわけです。どこかの大学に職をもらっている場合はそこの予算を使うことができるわけですが、非常勤のひとはそういうのを一銭ももってない。だから自分のお金で本買ったりコピーとったりするわけだ。どういう授業してても最低月3、4万円分ぐらいは必要だろうし、この人はもっと買ってたようです。収入の半分は本にしてたんじゃないかな。

現在も状況はほとんど変わってないでしょう。

というわけで、非常勤のひとはほんとうにたいへんです。この人も半期で1000人以上の学生さんを相手にしていて、誰が誰やらさっぱり わからない状況だったはずです。時々調子悪い授業になっても許してあげてください。*1

それに比べたら大学に職もらっている人はとてつもなく優遇されてるし、たいして仕事もしてないので (ふつうの私立大学の授業負担は週6、7コマでしょう*2)、どんどん要求してかまわんです。

まあこの人がそういう状態におちいったのは無能とか自業自得ってところがある*3。もっとまともな人はこんなところでは働かない。だから優秀な人は大学じゃなくて別のところにいることの方が多い。でも、もっとまともな先生たちもいまでもまだまだもっといろいろ苦しんでいます。http://www.hijokin.org/

http://www.hijokin.org/~tokai/
も見てみてください。大学で働いている人びとの一部はいわゆる「負け組」であり、大学こそは昔から「不平等」という意味での不正義のスクツです。そんなところで働いている人びとが労働とか平等とかそういう問題についてごちゃごちゃ言ってることは、私にはすぐには信じられないですね。(もちろんよいことを言っているひとはたくさんいますが、注意してください。)

でもどんな大学でも授業コマの半分ぐらいは非常勤の人に頼らざるをえない。まあとにかく、こういう状態だと精神状態もかなりやばくなります。もしレポートとかコピペとかされると、「いったい大金もらってる常勤はなに指導してんだ!」とか「学生死ね死ね」とかそういうのをブログに書いちゃったりする。実際には専業非常勤の人が学生の単位ぼろぼろ落としたりするといろいろ問題になるのでやりにくい。非常にやばいのが現在の大学。上の人は1997年の時点で日記に次のように書いてます。

1997/4/18

(略)

たとえば某大学の学生の授業料を90万と仮定すると、
15コマ出席することにして1コマあたり年間60000円。30回授業があると
想定すると授業1コマ1回2000円。むう。私は1割ももらえていないのだな。

やっぱり非常勤ってはワリにあわないんだなということを実感してしまった。
やっぱり職をさがさねば。(いままで実感がなかったし、
自分の身分についてまじめに考えたこと
なかったんだよね)

以上の事実からの暫定的洞察

  • 日本の大学教育・経営をささえているのは非常勤講師である。
  • どの大学にも所属しない「プロの非常勤講師」は数多く存在していると思うが、
    無理である。非常勤講師は、どこか他の大学で研究費を
    もらっている人間が行なうべきである。非常勤だけでやろうとすると
    書籍費だけで足が出る。
  • たいていの大学では授業料に見合うような授業は行っていない。
    (実際、行なえない)
    むしろ履歴書に書く「看板料」とみなすべきである。

まあ気づくのが遅すぎるよね。それにこの人はほんとに頭悪い。
大学の授業料は授業だけのためにあるのではありません。でも
まあ、学生さんは自分が1コマあたりいくら払っているか考えて、それに
みあう教育を受けているかどうか考えてみるべきだとは思います。

追記 8/6

  • はてブにもあるように、上のひとはかなり幸運な方。いまはこんな非常勤集められない。一人でこんな
    集めてたら不正。
  • 上みたいなことが可能だったのは、まわりに非常勤コマもらうのに競合する人が少なかった幸運な時期だったからだと思う。(先輩がバタバタ就職決まってコマがだぶついてたのもある?)
  • いまは大学院重点化とかわけわからん政策によってOD爆発的に増えてるはず。
  • 非常勤が一個もないと奨学金の返還とかでたいへんなことになるからたいへん。
  • とくに非常勤最初の一個を手に入れるのがかなり苦しそうだ。
  • 自宅から片道5時間かけて非常勤行ってた人とか知ってる。時給は同じ、なのかな。
  • 非常勤はほぼ完全にコネやツテの世界(最近は公募するところも出てきた)。まあ
    先生や先輩などの上の人にお世話になる世界ってことだ。面倒見てくれた人には
    足向けて寝られない。
  • いっぽうで、そういうのはいろいろ弊害もあるわな。
  • ふつうは予備校・学習塾で糊口を凌ぐわけだが、このひとはそれはまずいと思ったみたい。
    受験産業もかなりおもしろい仕事なんだけど、おもしろすぎると感じたみたい。そっちが本業になってしまい
    そうなのに不安を感じて「非常勤一本」とかにしようとしたみたい。
  • いまはおそらく予備校産業もとんでもなく厳しいわね。90年代はまだマシだった。
  • でも上ぐらい授業担当しちゃうと自分の勉強する時間もうとれないわね。ばか。
  • でもおそらくどの大学でも、たいたい非常勤の人の方がいろいろ熱心だと思う。安いからこそ
    自発的にいっしょうけんめいやっちゃうんだよね。そういう人びとによって大学は支えられてる。
  • 最近は学振様の枠がひろがったみたいで事情はちょっと違うのかな。
  • まあ上の人は当時自分の人生とかについてちゃんと考えてなかったから、滅びてもしょうがないくらいだと思う。*4
  • 私自身は、社会で売れないものを作ったり、みんな関心のないことを研究して平気でいる、ってのはなんかおかしい感じはする。もちろん好きなことやっていいんだけど、それとまともな経済生活が一致することを要求するのはやっぱりおかしいだろう。さすがに自分にその資格があるとは思えない*5
  • 非常勤の人は大人数教室もたされることも少なくない。上の人は支配欲や権力指向がかなり強いので、大人数教室で私語怒鳴ったりするのはそんな苦手じゃなかったみたいだけど、そういうのが苦手な人はまったく耐えられない職場だと思う。
  • 塾や予備校で学力下から上までまんべんなく教育経験したのもとても幸運だった。
    中の下より下教えるのも嫌いじゃない。っていうかわりと好き。
  • とにかく金がないやつは大学での研究生活とか目指しちゃだめ。そこそこ勉強が好きだとかできるぐらいじゃぜんぜんだめ。おそらくよっぽど能力あってもだめ。これは昔からそうだと思う。
  • だいたい、常勤にせよ非常勤にせよ、人文系の人間が自分の好きなことを授業するのはかなり難しいかもしれない。
    上の人の場合、自分で勉強したいことと大学で教えたいことがほぼ完全に一致してたからすごく幸運。なにやるかも自分で決めることができて幸せ。そうじゃないともうなにやってるかわからんようになったと思う。

*1:ブックマークもらってから気づきましたが、これは誤解をまねく表現だったかもしれません。非常勤の人の授業がぐだぐだということではないです。この10年前のひとの授業がグダグダだったのはごめんなさいね、ということで。

*2:もちろん大学教員の仕事は授業だけではないです。それは1/3ぐらい。

*3:いま幸せになってるといいなあ

*4:ほんとに人に迷惑かけずに幸せになってるといいなあ。

*5:ここに嫉妬や不公平感の問題がからんで来るような気がする。そのうち考えたい。

京都新聞の書評欄

私が授業したりするレベルの大学・回生では、レポートや卒論で書誌データがちゃんと書けない学生がほとんど。典型的には下のようになる。(□は空白)

「生命倫理学と功利主義」□伊勢田哲治□著□2006年□ナカニシヤ出版

あるいは、次のように書く学生もいる。

書名:「生命倫理学と功利主義」
著者:伊勢田□哲治
出版社: ナカニシヤ出版
出版年:2006

なぜなんだろうとずーっと不思議に思ってたのだが、今日京都新聞の
書評欄を読んでたら気づいたことがある。

まず新聞レベルでなにもポリシーがないんだな。

今週はよくある「今年のお薦めは」なのだが、たとえば9面の井上章一先生の欄では

「壬申の乱」□吉川弘文堂・2625円。

という形であげられてて(タイトル部分ゴチック)、著者の名前は本文を読むまでわからない。

一方、9面左上の囲みでは

図説□アルール・ヌーヴォー建築

橋本隆文著

になってて(タイトル部分ゴチック)、出版社とかは本部の最後に

(河出書房新社・1890円)

という形になっている。タイトルには括弧はつけられてない。その下の記事「年間ベストセラー」では、

坂東眞理子著「女性の品格」(PHP研究所・756円)

になっているが、その下の「新刊の本棚」では

日本のマラーノ文学
四方田犬彦□著

著者名がゴチックになり、右の8面での「文庫の本棚」では

篠田節子著「秋の花火」

と全部ゴチックになっている。

つまりこの新聞は、8〜9面の書評欄でさっぱり統一されてないのね。

担当者が複数いるのだろうが、そういうものは統一されてないとかっこわるいとは思ってないわけだ。そりゃ学生もこれを習ってレポート書くわなあ。せめて署名は『』にしてほしいんだけど、まあ無理だわなあ。学生が「~著」にしたくなるのも、こういうのからだよね。

それにしても「お薦め」の最初に著者名が出てこないのは許しがたいな。著者よりもタイトルが重要とみるその意識のあり方が、なんか活字になっているものは信用できるっていう態度をあらわにしてしまっているような気がすんだわ。

ゼミなんかで「ふむ、その根拠は?」とたずねると、学生に「本に書いてありました」とかしれっと答えられてしまって、「いったい誰が書いた本なんだ!」とかイラっとしてしまう場面を思いだしてしまう。名無しさんが書いた本なんてのはありえない。書名より著者名の方が重要なくらいだろうよ。まあ新聞は文字数が限られたメディアだし、物理的に広い紙面で注目させるためにゴチック使ったりするのもわかるから、ある程度不統一はしょうがない。

でも英米の新聞の日曜版なんかだと、そういう場合でもとにかく文章のあとに詳しい書誌データ(総ページ数や文献リストの有無とかまで)があるような気がするが、ここらへんの違いがアレなのかもなあ。まあがんばれ京都新聞。(今日の毎日新聞には書評欄がなかったので比べられなかった)