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yonosuke昔話(9) 2ちゃんねる赤の他人バンドでステージに出る

んで、このときのジャムセッションの感じがとてもよかったので、このままライブしてしまえ、ってことに。

その場で「こういう企画があって」って説明して2回ぐらいリハして出よう、みたいな感じ。実際に練習したのは2回だったか3回だったか。ギター3、キーボード1、ベース、私ボーカル、みたいな。

時間なかったけどみんな腕利きだから「こういう感じにしたい」っていうとやってくれるすばらしい状態でした。でも全員そろって練習できたときはなかったんだったかな。特にハンター・Kさんは私と同じくらいの年齢で実質的にバンマスというか方向性教えてくれてよかた。

2003年11月3日の学園祭。雨ふってたけど強行。

ハンター・K、蔵土、ふりっぷ教授(以上ギター)、べーかも(ベース)、でほ(ドラム)、やや(キーボード)。

ステージの1番手だったのでサウンドチェックがあったのですが、みんなパープルのBurnを弾きはじめてすごかった。はじめてやってるのに完コピ。なにごとかと人集ってきておかしかったです。

客寄せファンク  http://yonosuke.net/yonosuke/20031103-1.mp3 かっこいい。
J-A-S-RAC ← http://yonosuke.net/yonosuke/20031103-2.mp3 まあこんな感じか
ちょっと待って ← http://yonosuke.net/yonosuke/20031103-3.mp3 リズムギターがうらがえってしまってうまくいかなかった。私が求めてるノリみたいなのもリハでうまく伝わらなかったのが残念。ハンターKとふりっぷ教授のギターバトルさせよう、っていうのは成功。
みのむし(←夏はボサボサから進化した) ← http://yonosuke.net/yonosuke/20031103-4.mp3 いまでも好き。歌詞その他気にいってる。ソロはもうひとりのギターの蔵土さん。
ラチラチ ← http://yonosuke.net/yonosuke/20031103-5.mp3 まあ最後はこういう感じでおわろう。

まあリハ不足でちょっとあれだけど、私としては満足。次はきちっとやろう、みたいな。


yonosuke昔話 (8) 自分で人を集める

「ジャムセッション」から半年、くだらない音源を作りつつ、いろいろ想を練ったわけです。とりあえず前年コピバンで学園祭に出たから、こんどは自分のバンドで出たい。しかし友達バンドは技術が足りない。

てんでやっぱり楽器板の連中とやりたい。

というわけで、夏に今度は自分でジャムセッションを企画しました。前は大阪だったけど、京都でやる。んでそこに集まった連中をバンドにして学園祭に出てしまおう、というそういう邪悪な計画。

このセッションはおもしろかったですね。集まった人はみんな腕がいいし、「こうしたい」っていうとやってくれる。

私がスタジオ代出してるから王様。「しゃべってるとき音出すのやめよーぜー」とか。

その場で曲を作ることさえできました。まあアイディアはもっていったんだけど。

1曲は、そのころJASRACがネットで話題になってたので、ビートルズのTaxmanを替え歌にしてJASRACの歌にしたらおもしろいだろう、みたいな。アイディアだけだったんだけど、その場で録音までできた。ベースの人がTaxmanをよく知ってたんよね。

http://yonosuke.net/yonosuke/jasrac.mp3

尊敬する毒薬仁先生

その場で書いた歌詞。「俺の名前を知ってるか」はジョージ秋山先生の『くどき屋ジョー』『WHO ARE YOU?』から。

俺の名前を知ってるかい
俺の名前を知ってるかい
俺はJASRAC、泣く子も黙るJASRAC

歌歌うんなら金払え
ギター弾くなら金払え
俺はJASRAC、泣く子も黙るJASRAC

この時点で、ライブでふりつけしようと決めた。

その場で歌詞書いたりしたんよね。最初のギターソロは私。

だんだん皆帰ってしまって人が少なくなってから、ドラムとギターと私だけになったんだけど、ギターの人がジャズの勉強しているってんで、私がピアノ弾いてこれもできた。

http://yonosuke.net/yonosuke/201308bosa.mp3

このセッションは自分にとって非常に実りがありましたね。私はコンポーザー/バンドリーダーとしてやってけるかもしれない。


yonosuke昔話(7) 2ちゃんねる楽器板の「ジャムセッション」に参加してみる

えーと、2002年の夏に共作にチャレンジしたところまでね。

そのあと秋から冬にかけて、ネット上ではかなりいろいろやってたんですが、ちょっと飛ばして生身の活動を。2002年の秋には、友達の哲学者バンドで学園祭出たんですわ。ビートルズとかのコピバン。これ音源がなくてあんまり語れない。演奏もまあそういう感じであんまり語るべきものもない。まあふつうのコピバン。

でもだんだん自信がついてきて、2002年の12月に2ちゃんねる楽器板で、大阪でジャムセッションオフミするぞってんで賑やかしに参加したんですね。オフミとか出ることはめったにないのでいろいろ緊張しました。ベースがいないってんでベースもってくことにしたんだけど、もってるベースは中学生がヘビメタすご飯るのに使うような8000円の先っちょが尖ったやつしかないので中古楽器屋でもうすこしまともなやつを入手。あとパーカッションちょっともってたかな。

んで参加してみると、これがなかなか厳しい場だったんですね。

9人か10人ぐらいいたと思うんだけど、20代男子中心。10代もいた。ドラム2人、キーボード1人、ベース1人(私)、ギター5人? 雑談とかもせずすぐに「んじゃやりますか」ってんで誰か弾きだしてそれにあわせる、みたいな。しかしキーも構成も決まってなくてどうしたらいいかわからない。ギターの人たちが4人ぐらいいて大音量で鳴らすもんだからなにやってるかわかんない。ジャムセッションというのはこういうのものなのか!みたいな。まあおかしいですよね。困りました。

とりあえずワンコードでなんかしたいのかな、とか。でもギタラーは自分しか聞いてないからどうにもこうにも。いやすごい困りました。その後知ることになったのですが、ギターの人というのはどこでもそうなんですよね。打ちあわせとか相談としかしているときもピロピロ弾く。あれなんなんでしょうね。

んで、まあ私が一番年嵩みたいだったら、「とりあえずAのブルースやりましょうよ」「誰がソロとるかはっきりしましょう」「ソロのあいだはバッキング控えめに」とか声かけたんだったかなあ。まあブルース進行やってたらなんとかなります。とりあえず司会係を決めて、手のあいてる人は他に指示して、みたいな。でも技術的にはいちばん下なのであんまり指導的なことはできない。

こんな感じ。カオス。まあでもベースは権力がある。
http://yonosuke.net/yonosuke/200212jam1.mp3

ベースが私。とにかくギターの人は弾きたいんよね。でも3人も4人もいるならバッキングする必要はないと思うのだが。

クリスマスシーズンだったので、赤鼻のトナカイとかいろいろやってみたり。とにかくカオス。

http://yonosuke.net/yonosuke/201212rock.mp3
http://yonosuke.net/yonosuke/201212samba.mp3

まあこの時の経験については、いろいろ考えましたねえ。とにかく音楽はコミュニケーションであり、お互いを聞きあわないとならん。あと、バンドするには、とにかくギタラーを支配しなければならんということを意識するようになりました。強力なリーダーシップが必要だ。


yonosuke昔話(6) 音楽制作猿状態

ええと、2002年の夏に初の共作を経験したところまでかな。ここらへんに来るとなんか音楽作るのが楽しくてしょうがない状態。

ちょうど2ちゃんねるに「夏限定 なんでもうpスレ!」とか立ったのでもうなんでもうp。音源用の掲示板立てたのはその前だよな。このころの2ちゃんねるはほんとうにおもしろかった。もう12年前かー。それまで聞くことができなかったヘタクソ素人たちの音源を聞いて楽しい。このスレを立てた「激厨房」またの名を「黒豹」はほんとに素敵な奴だった。おそらく大学関係者だと思うんだけど、どこでなにしてるんだろう。あれほどの創造性と文章力があるんだから、ツイッタとかで見かけてるんじゃないかという気がする。

あ、そうか。音源用の掲示板を立てたのは2002年の9月10日ぐらい。 http://melisande.cs.kyoto-wu.ac.jp/eguchi/wp-content/uploads/2013/09/b961499bf72131fd2857d56deff4b86e.pdf

それまでは数メガバイトの巨大ファイル(当時は数MBのMP3音源でさえ巨大だった)を長期間置いとける掲示板がなかったんよね。んで最初は無料ウェブサーバを使ってCGI動かして、すぐに足りなくなるから自宅サーバーを立てたのであった。けっこうみんなに重宝してもらってうれしかった。

アドリブ用のオケを用意してくれる人とかいて、フルート吹いてみたり。http://yonosuke.net/yonosuke/jazz.mp3 

まあそんな感じで、とりあえず録音してはアップする、みたいん。9月はじめにはこんなの録音している。 http://yonosuke.net/yonosuke/sep.mp3 ははは。恥とかそういうのがなくなっていて、ウケを狙う。でもなんというか、人生で本当に自由っていうのを感じたのはこの頃なんちゃうかな。このころになるとコード進行やベースラインとかも、簡単なものなら耳コピちょっとはできるようになっててそういうのもうれしかった。それまではどうやって作ってるかわからない、ただすごいなーって聞くだけの音楽ってものが、なんとかすれば手の届くところまで来た感じ。

まあこういうのはやっぱり機材買ったりするお給料をもらえるようになってこそできたわけだけど、その職場はいろいろ問題があったんよね。とにかく会議が長いし、おじさんおばさんがモメていて、これが社会なのだなあ、みたいな。この曲「難曲ペンギン」はそういう会議を歌ったもの。 http://yonosuke.net/yonosuke/penguin3.mp3 歌詞とかよくできてて、今でも気にいっている。自分で作ってみてから、怒りとかいらだちとかてのも音楽になるのだ、とか、むしろそういう音楽もけっこうあるのだということに気づいて聞き方が変わった。やっぱり実作してみないとわからないことっていうのがあることに気づいた。

自信がついてきたから、ライブバンドもやろうってことになった。ビートルズとかのコピーをして遊ぶってのは2001年にはすでにやってたんだよな。メンバーは全部自分の業界人。


プリンス様と私 (1)

最近ふたたびプリンス様にはまっていて、延々聞いております。プリンス様はyoutubeにあんまり音源ないから残念。

プリンス様を知ったのは大学1年生のときですわね。パーポーレインの大ヒットの時ですな。1984年。

ゲームセンターでバイトしているときには館内には自分の趣味で洋楽流していて、特にプリンスとスタイルカウンシル(のMy ever changing moods)は大音量にしておりました。

曲としてはPurple Rainよりも、それをきっかけに流れていたLittle Red Corvetteの方が好きだった気がする。Purple Rainもそうだけど、コード進行とかは基本はごく普通なんすよね。

パープルレインは | Bb (add 9)| Gm7 | F | Eb |  (I – VIm7- V – IV)だけだし、
コルヴェットの方は | Gb | Ab | Bm7 | 、サビは | Bb | Ab | Db | だけのはず。

しかしああいうギター弾きまくりっていうのはポップ界隈ではあんまりなかったし、コルヴェットの方はコードが進行しないのがなんというか黒人音楽をかいまみた感じ。映画も楽しんだな。パーポーレインより、最後のI would die for youとBaby, I’m a Starがいいんよね。アルバム1999だとLady Cab Driveが好きだった。ドラムがいい。あの暴れるドラムはなんかプリンス様本人じゃないかなあ。

チャカカーンがカバーしたI feel for youもよく流れてました。これは1984年ですか。「あの曲もプリンスらしいよ」「へー」みたいな。まあまだよく知らん。ダンスがダサかっこいいです。



Purple Rainはビニール盤買った。ピクチュア盤だから今売ったらお金にならないだろうか。でもその次に買ったAround the world in a dayはああいう実験的な音だったんでよくわからん、みたいな感じ。

まわりでも人気があって、知り合いの軽音コピバンがLet’s go crazyとかやってたな。下手だたけどうらやましかった。

Paradeも買ってたと思うけど、これもよくわかってなかったんじゃないかな。1986年のParade Tourは大阪城ホールにはじめていったんだよな。3回生かな。友人男と2人で。最上段の席で、まわりは空席だらけだった記憶がある。そういうコンサートはあんまり行ったことなくて、途中まであんまり楽しめなかったり。パープルレインじゃなくてファンク大会になってたんよね。20分ぐらいやってる曲もあった気がする。おそらくErotic Cityあたり。まわりはみんな座ってて、国内でのああいう音楽の受容はまだまだだったんではないかな。プリンス様遠くてちっちゃくてよく見えない。でも最後はまわりを気にせず立って踊ってた気がする。

まあ学部時代はもっぱらジャズ喫茶でジャズの勉強してて、買うのもそっち系統だったんで、そっち系統のはおっかけてなかった。本当にプリンス様にはまったのは1988年のLovesexy。これは本当にはまった。おそらく5回生の6月だわね。


当時ジャズ喫茶のバイトしているときに親しくさせてもらっている先輩がいて(今大学教員している)、彼の車に乗る機会があったんだな。んで「プリンスの新譜でたで」っていって聞かせてもらった。最初の曲のEye Knowはやっぱりよくわからん複雑な曲だったわけだけど、2曲目のAlphabet Streetにはまった。ギターのカッティングの音がすごい新鮮でたまらん。この音なんだ?みたいな。ギターってだいたい歪んでたりするわけだったけど、この曲のギターはクリーンサウンド。いまおもえばふつうのシングルコイルをコンソールに直結かなんかだろうけど、すごい音がしてた。しびれた。

すぐさまLovesexyをCDで買って、もうエンドレスで何十回も聞きましたね。このころに知りあった某もこのCDをもっていて、話があうことを確認するきっかけになったり。まあそこらへん個人的な追憶もけっこうあったり。

今ひろってみると、 G | C | A7 | D | と |G | Bb | C | みたいな感じですか。しかしとにかくリズムアレンジがすごくて、もうとんでもないアルバムだと思いますね。

Lovesexyツアーも行きました。これはよかった。すばらしい。ステージに自動車動かして登場したりして。席もよかったし、遠くてもプリンス様ぜんぜん小さく見えない。っていうかむしろ巨人。生涯最高のコンサートですね。

関係ないけど、ミシェル・ンデゲオチェロ先生がプロデュースしたチャカカーンのNever Miss the Waterいいすよね。


途中のベースのパートで引用しているのはChicのRebels are Weって曲。





yonosuke昔話(5) 仲間との共作を経験する

えーと。まあ録音機買って「ちょっと待って」でいちおうやりたいことを終えたんだなこれがその年の夏。

ここらへんになると、自分で楽曲作るのが楽しくなっている。2ちゃんねる楽器板の人びとには本当にお世話になった。実はいちおう自分がやっていることの意味とかも考えていた気がする。楽器はうまく弾けないけど、情熱をもって作ったものは誰かに聞いてもらえるかもしれない、みたいな。それに別にうまく弾けなくても自分が考えている「感じ」みたいなのを形にしてみるのはたのしい。バンドやってる人びとはそういうなかでいろいろやるわけだけど、録音機があれば自分だけでできる。

んでやってみたのがコール・ポーターの名曲をトレイシーソーンがカバーしたあの曲。

別のエントリで書いたけど、この曲は高校3年生ぐらいに聞いて衝撃を受けたんよね。こんなギター弾けたらいいな、みたいな。コードがすごく複雑に聞こえて、それまで聞いてたロックとはぜんぜん違う。ジャズっていうのでもない。

コード拾ったりごまかしたりしてやってみたのがこんな感じ。サビのとこはいまだによくわからない。がんばればできるかもしれないけど。高校生のころはどうやってるかわからなかったけど、このころになると楽器とかコードとか少しわかってきてなんとか拾えるところある。

あら、youtubeだめだわ。 http://www.yonosuke.net/yonosuke/and0724.mp3

まあ本当に楽器弾ける人からするとあれなのがすぐわかるだろうけど、気分だけはわかるだろう、みたいな。この程度のもそのころの楽器板ではあれだったので気分よかった。自分一人でいろいろやることができる、ってことはこのころわかった。

そんで8月の京都の大文字の時期に、ネットで知りあったトーマスさんと遊ぶってことになったんだよな。web日記時代に知りあった方で、2、3回オフミみたいなのをして会ってた。自分以外の人と曲を作る、っていうのをやってみたかった。やっぱり演奏技術はいろいろ問題があるし、共作ってのがどんなのかも知りたかったと思う。

昼ぐらいにドラムとかある某所に来てもらったんだよな。この某所はふつうは入ってはいかん場所なんだけど、まあ夏休みだし大丈夫だろう、みたいな。んで「なんか作りましょう」みたいな。どういうわけかなにかできるんじゃないかと思ってた。歌詞もなにも用意してなかった気がする。いや、「ヒートアイランド」というコンセプトだけは用意してたんだたかな。思い出せない。

トーマスさんはエレキガッットギターを最近買った、とかでもってきたんだったかな。二人でギターかかえてDm7-G7とかよくある弾いいて適当に「こんな感じのノリ」とかやったと思う。トーマスさんは山下達郎とかそこらへんが好きな人で、気分はそういうノリ。んでそのノリを私のドラムと彼のベースで出してみましょう、みたいな。ベースもその部屋のを使わせてもらったと思う。すみませんすみません。私のドラムはモタってるけど、彼のベースのキレがいい。

んでどうしたんだったかな。尺もよくわからない状態でとりあえずドラムとベース録音して、ギター二人で重ねて、そのあと時間もらって歌詞書いたんだな。なんか椅子の上で歌詞書いたのをおぼえている。ここらへんまでで2時間ちょっとぐらい。サビは私のアイディアだけど、Aメロディーラインはトーマスさんがその場で歌詞を見て歌ってる。それがすぐにメロディーになってるのですごく驚いた(このテイクはちょっと歌詞とあってないところがあるけど、愛嬌)。アウフタクトでメロディーをはじめるっていうのが自分では思いつかなくて、すごく新鮮だった。誰かと曲を作るのはすばらしい。もう気分はレノン/マッカートニーかジャガー/リチャーズか、って感じですわね。私たちは作詞作曲能力がある。その部屋では1コーラス分しか歌詞作れなくてラップもどきでごまかしたのがテイク1。ガットギターがトーマスさん、ストラトが私。

その部屋であんまり長くあれしているのはあれなので歌とったとこまでで引き上げて別の部屋でトーマスさんのリードギターとったんだな。

http://www.yonosuke.net/yonosuke/heat20020816.mp3

んでラップパートがかっこわるすぎるので、あとで歌詞書きたしたのがこれ。うまくとれないコーラスも1拍ずらしてごまかしたり。

http://www.yonosuke.net/yonosuke/heat20021010.mp3

歌詞はすごく気にいっている。ボーカルの出もいい。まあ録音技術がよくわかってないのでコンプ効きすぎてるけど。単純だけど、自分が書いたとは思えない。トーマスさんのギターソロもいい。他の人といっしょに作ったり、自分ができないことをやってもらうといろいろ楽だし自分一人よりずっといいものができる。

アスファルトで守られた僕らの楽園
水銀計は体温を越え
短夜に争われる囚人ゲーム
緑の木々は記憶のかなた
Heat Island
Heat Island

たちならぶビル街が僕らの高原
熱源は恐竜の記憶
蜃気楼追いかける僕らのチキンレース
灼熱の欲望の王国
Heat Island
Heat Island

この曲によって、誰かと曲を作るっていうのがどういうことかわかりはじめた。一人でやるより楽しい。


ソウル/R&Bと私 (3) 学部時代は地味なジャズマニアだったからあんまり関係なかった

大学入ってもまあ同じようなもんですね。

MTVを見るようになったのが大きかったかな。マイケルジャクソン、プリンス、マドンナの時代。マイケルジャクソンはあれだったけどプリンス様は本当によく聞いた。バイト先のゲームセンターの有線でもかかりっぱなしで、特にLittle Red Corvetteが好きでねえ。大音量にしてました。まあプリンス様とマドンナについてはまた別に。

2回生のおわりぐらいからジャズ喫茶でバイトはじめて、まあふつうに古典ジャズ聞く。ウィントンマルサリスが出はじめたころ。白人フュージョンは悪いもの、みたいな感じ。まあ黒人音楽ではあるけど、いわゆるソウル/R&Bってのではない。でもまあ音楽は黒人の方が偉いという思想はしっかり身につける。偏見。

パブみたいなところ行くとブラコン全盛。ここらへんから「ブラコン」という形で意識しはじめるんかな。こういう音楽が「カフェバー」とかで流れているらしい、みたいなので行きたかったけど怖くて入れなかったのは笑える。銀閣寺道のあたりになんか有名なんあったんですよね。でもほんとにイカニモ京大生ってやつだったしねえ。入口のネオンにあこがれる年頃。

1980年の曲ですか。王道コード進行ですがすばらしい曲だよな。ビルウィザーズ先生やラルフマクドナルド先生の名前はあんまり知らんかったと思う。とにかく情報がなかったの。
グローバー・ワシントン先生はサックスの人だし、まあこういうのもけっこうそのジャズ喫茶にもあったんですが、その時期はそういうのはあんまりかけちゃいけないことになっていた。でもお客がいない間にいろいろレコード発掘していて好きだったのがこれ。ロバータ・フラック先生。これは抑制している感じが真っ黒でかっこいい。ロック系統の解放された感じとはぜんぜん違いますね。1970年の音楽ですか。

ニーナ・シモン先生はブラコンじゃないけどHere Comes the Sunってカバーアルバムが好きでよく聞いてました。1971年のアルバム。

これ某ジャズスナックみたいなところで、このレコードがかかると閉店、「お帰りの音楽」になっててもうほんとによく聞いた。まあ和田アキ子先生みたいな感じでもあるけど、これはボブディランのオリジナルをはるかに凌駕してますよね。そのエッセンスだけとりだしてぜんぜん違う音楽にしちゃってる。深い。いつ聞いても泣ける。ジャズ喫茶で大量のジャズ聞きながら、歌物も白人ロックとかニューウェーブとかよりこういうのの方がいいなあ、みたいなふうになっていく。

シャーデーとかもそういうものとして聞いてた。1984年。いま聞いてもおしゃれだなあ。

なんかディスコとかパブとかカフェバーとかそういうところに行くとこういう音楽で踊ったりできるぽいので行きたかったけど行けない男。なんかこのころ大学生とかもスーツとか流行ってたんだけど、服もってなかったしねえ。ゲームセンターの店先に立ちながら、スーツ大学生とボディコン女子大生を見ながら悔し涙、みたいな。ほんとにあれだ。

5回生ぐらいだとテディ・ペンダーグラスとかも聞いてたな。これは1988年ですか。まあ宅録マーヴィン・ゲイ先生の影響下でのコンテンポラリーなソウル、ですわね。

まあ学部時代はジャズの時代。ブラコンは好きなんだけど本格的に探求するってわけではなかった。

もう1曲ぐらい。今では誰も知らない人だけど、よく聞いてた。まあプリンス影響下。これも1988年か。


ソウル/R&Bと私 (2) 高3ぐらいはブリティッシュだったみたい

高校生のころにはMTV番組をやりはじめてたと思うんだけど、田舎ぐらしで、民放テレビも2局しかなくてMTVやってなかった。情報源はNHK FMぐらいだったんよね。民放FMもなかったし。だからすごい情報が限られてた。まあ渋谷陽一先生にはお世話になった。あのころの田舎の高校生はみんな渋谷先生の番組にかじりついてたと思う。

高3のときにはデビッド・ボウイのレッツダンスがはやって、プロデュースはChicのナイルロジャースだ、みたいな紹介がされたけどChic知らなかった気がする。でもこのアルバムはいまだに好きっすね。ロジャース先生のカッティング切れ切れだし。ただドラムはオマー・ハキム先生が叩いてるやつの方が好きかも。ついでにスティーブレイヴォーン先生もおしえてもらった。しびれた。
ロキシー・ミュージックのAvalonにもはまって、ドラムはスライ&ファミリーストンのアンディ・ニューマークだぜ、と言われてもスライもよく知らなかったような。このアルバムもいまだに好き。B面の構成がいいんよね。
The Jamのポールウェラーはモータウンのファンなのだ、とか言われてもそれもよくわかってない。Jamはそれほどよくなかった。特にこの曲は、ウェラー先生やりたいことをベースの人ができてない感じがする。だから解散したんだろう、みたいな。やっぱりモータウンな感じだったらもっとベースを歯切れよくミュートしないと。
それよりちょっとまえ、ホール&オーツの音はかっこいいと思ってた。ブルーアイドソウルとかって言われててね。でもCDは買わなかったな。なんでだろう。

まあここらへん思いだしてみると音楽的趣味としてはほんとうに平凡ですわね。黒人音楽のエッセンスをつかったブリティッシュニューウェーブ、みたいな傾向。ソウルまでの距離はかなりある。

ソウル/R&Bと私 (1) めざめ

ソウル入門、みたいなのはそういうの書けるほど知らないから自分話をしよう。

まあ小学生のころから音楽は好きだったわけですが、黒人音楽というのものにはあんまり関係なかった。中学生のときも基本的にはクラシック少年でマーラーとか聞いてたんですよね。
洋楽自体は小学生のころにBeutiful Sundayってののレコード従兄弟がもっててすごい何回も聞いたおぼえがあるけど、これは黒人音楽と関係ないのでいいや。あとは中2〜3のころはビートルズ聞いたりしてたけどこれも黒人じゃない。
ただ強く記憶に残っているのがビージーズですね。小学6年生か中学生ぐらい。特にStayin’ Aliveって曲が好きで。
この若干ミュートしたギターの音がかっこいいなあ、みたいな。チッ「チキ」って拍のウラ刻んでる感じがいいですね。この拍の裏で踵をアップさせられる感じが好き。でもちろんビージーズは黒人じゃないけど、当時流行のディスコサウンドですね。1977年かあ。洋楽を意識しはじめたんのはこのころかなあ。

あ、ロッドスチュワートのこの曲もすごく好き。ベースがコッコココッコッコココッコいわゆるインディアン。これは簡単そうで非常に難しい。私はできません。1978年。

ストーンズのMiss Youも好きだけど、こっちはもっとあとになってから知ったと思う。これも1978年。つまり私はディスコ音楽が席巻するなかで中学生活をはじめたわけです。

吹奏楽で「ディスコ・キッド」っていう有名曲があって、何回か聞いてこれもかっこいいと思ってた。でもいま聞くとダサい。1977年の吹奏楽コンクルール課題曲ですね。でも1回演奏してみたかった。
でもディスコサウンド、みたいなのはずっと好きだったんじゃないかな。中学生のときにはじめてドラムセット触ったんだけど、8より16のリズムを練習するのが好きだった。

それが黒人音楽である、っていうのを強烈に意識したのはおそらくクインシージョーンズ先生の「愛のコリーダ」だとおもう。

これはかっこいいねえ。もうベースがよすぎる。スラップベース開祖の一人、ルイスジョンソン先生。基本的にディスコサウンドというのはドラムとベースを聞くものですね。ベースはロックだとベベベベって感じで鳴らしっぱなしになるのですが、ソウル/ディスコだと必ず切る。長くのばさない。その音の切れるタイミングや、音のない空白によってノせるわけですね。

あとこの曲は吹奏楽とかでもカバーするのが流行ったんですよね。

もう一曲Stuff Like That。
ドラムはスティーブガッド先生だったかな。

高校生のころになるとツェッペリンとかフーとかのロック系統を聞くようになるけど、黒人系統にはあんまり進まなかった。ツェッペリンのブルース(Lemon Songとか)はかっこいいと思ってたけどそっちにも進まず。
「ソウル」っていうとサム・クックとかオーティス・レディングとかウィルソン・ピケットとか、なんかアトランティックレコードとかで、これは私の好みではなかった。こう、リズムもハーモニーも洗練されてない。
汗くさすぎるというか。いま考えれば、1980年代に60年代ソウル聞いてもしょうがないですよね。田舎だったんで情報がなくてねえ。特に黒人系は『ロッキノン』とか読んでもわからないし、FMでも流れないし。黒人音楽とはブルースだ、みたいな印象だった。ブルースとソウル/ディスコは関係ないぞ!ていうかサザンソウルもドブルースはいまだにあんまり好きじゃない。コードにテンション入ってないとだめなんよ。ビートは16じゃないといやなの! エイトビートはかっこわるいの!

もっぱらジャズ/フュージョン聞いてた。


yonosuke昔話(4) いちおういったんやりたいことを終える

5月にはスタジオでドラムも録音してみる。家から歩いて1分のところにへんなスタジオがあったんだよな。娘がLUNA SEAのファンとかの小さなホテルの地下。

どうやったんだったかな。マイクはバスドラに1本、ドラム全体に1本だったか。この曲はクリック聞かずにドラム先だったかな。イントロと1コーラス目のテンポが違ってて笑える。間奏部分ははじめてアドリブスレにアップしたのとほとんど同じ。アイディアがない。歌もスタジオなので思いっきり叫んだ。なるほどこういう声に採れるのか、みたいな。まだイコライザやエフェクタでの声質の調整とかはできてない(今もできない)。

歌詞っていうか「ラチラチ」っていうコーラスの部分の原型は1月ぐらいにバンド(スタジオでビートルコビバンして遊んでた)で「こんな曲作りたいんだど」みたいなときにできてたんかな。2001年12月に木屋町三条でボコボコにされた若者が車に載せられるのを見た衝撃を歌っている。見回りしていた警察の人に「なんかボコボコになった人がタクシーに載せられてました よ」ってすぐにチクったんだけど、どうなったかな。このころの木屋町は深夜になるとあちこちでケンカしていてすごい危険だった。数年後木屋町どまんなかに交番とかできたんだけど。あと集団強姦とか七年監禁とか名古屋アベック殺人とか「DQNの川流れ」とかいろいろ事件もあって、暴力について考えてた。これは「私も暴力使わないようにしないとな」とか思ったわけではない(と思う)。物理的な暴力ではないにしても、職場の揉め事などから集団というものの恐しさ、他に追従する人々の無責任さについてはまあいろいろ考えてる時期ではあった。

「ラチラチ」

あいつはそんときヨレヨレで
よっぱらいだと思ってた
うなだれ口あけ目をつぶり
ヘロヘロなんだと思ってた
監禁ラチラチ

あいつの顏は青黒く
腕は逆に曲ってた
あいつのシャツは赤黒く
車乗せられ街から消えた
監禁ラチラチ

ラグビー部員と泣いて頼んで
南港泳いでコンクリつめられ
手錠かけられ一室七年
なんで世の中暴力ばかり
恐いよラチラチ

んでまあ3曲いちおう完成させてみて(というか「プリプロ」か「デモ」だわね)、曲を作るということがだいたいわかった気がしたので、夏休みに入ったところでやっと3月に作りたかった曲の制作に入る。歌詞はそのときに書きとめたメモ。その出来事をうまく抽象化していると思う。正直気にいっている。曲をどうしたらいいかわかんなかったんだけど、FunkadelicのMaggot Brainのコピーしているときにそのコード進行使ってしまえば延々ペンタトニックでギター弾けるってわかったのでそれを使う。さすがに一本調子だとロックにはならんのでサビはちょっと考えたけど、そこも自然にロックらしくできた。まあいかにも古いロック、って感じにしたかった。

歌詞できてからまずスタジオでリズムギターをジャズコで爆音で鳴らしてとったんだったかな。アンプ爆音で鳴らすとギターの弾いた時の感じが変わることはこのときにやっとわかる。なぜマーシャルにしなかったのかは謎。それにあとでドラムを入れてベース入れたのかな。まあヨレヨレ。ドラムとか頭のなかで鳴ってるリズムが叩けないし、ちゃんと尺が決まってないのに叩いている。「まあだいたいこういう感じでここらへんに山場のはず」程度。どういうわけかチャイナシンバルついてるドラムキットだったので(ヴィジュアルバンド向けだ。ははは)バッシャーンってやって気持ちよかった。んで歌入れまでスタジオでやってそこでスタジオ時間切れ。次の日に自室でベースとギター入れたんだったか。ベース以外はどれも完全に1発だった気がする。どうせだったらリードギターも生でとるべきだった。でもこういうのはテイクをかさねるともっと悪くなるのがわかってた。ばらばらだけど1回しかできない気合だけは入ってる。

「チョット待って」

ちょっと待ってくれよ
あいつが帰るまで
ちょっと待ってくれよ
彼女が戻るまで待ってくれ

なんでそんなに急いでるのか
半時ばかりおれと茶でも飲んでいけよ

そりゃお前は抜けだしたいんだろ
好きなように飛んでみたいんだろ

そこが寒けりゃ 毛布貸してやるよ
ここが暑けりゃうちわ使えよ
腹が減ったら
なんか食わしてやるから
だから ちょっと待ってくれよ
挨拶くらいしてけよ

そりゃお前は飛びたいんだろ
ラブソング歌ってみたいんだろ
ちょっと待ってくれよ

この曲をあげたときにはヘタクソスレはパート2になっている。過去ログはここで発見した。 http://uta.s115.xrea.com/1026044131.htm

この93でコメントしてくれた人はおそらくそれまでも何回か好意的なコメントをしてくれている人でいろいろ感謝している。(そしてあの方と同一人物なのではないかと思う)まあネットに音楽あげれば誰かがコメントくれてそういうのははげみになった。

まあこの曲作って一段落。なんていうか才能のある人が高校生ぐらいでやることを中年にやってから追体験している、みたいな感じ。若いときにできなかったこと、やっておけばよかったことは多い。音楽ぐらいは取り返して経験してみたかった。そういう活動がどういうことか、ってのの片鱗は味わった気がする。とりあえず一人で曲と歌詞を作りドラム叩きギター弾く。夢のようだ。ここらへんで余はもう満足じゃった。

どうでもいいけど金のないM1のころに、「〜君は家に機材そろえて音楽作ってるのよ」みたいな話聞いて悔しかったおぼえがある。ははは。私はみんながそういうのやめた中年になってからやりましたよ。

ネットにはそれ以前にあげてるけど、上の曲のうしろに「返し」としてつけるつもりだった曲。

「さらぬ」

くりかえすけどこのコメントの方(上と同一人物だろう)には本当に感謝している。ポイントポイントでなにをやろうとしているかを理解して適切なコメントつけてくれている。「こんな未熟でも、日本のどこかには他人の音楽を聞いて理解して応援してくれる人がいるのだなあ」みたいな。今久しぶりに読みなおしてみて、私も人々を応援できる人にならないとならんねと思ったりする。