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川谷絵音先生はおそらく鬼畜です

川谷絵音先生っていうのは去年の紅白のゲス乙女のパフォーマンスではじめて聞いて、すごい強い印象を受けてCD借りて聞きましたが、ものすごい天才っすね。もう夢のようにすばらしい曲を書くし歌はうまいし。

最近女子大生の人と話す機会があり、おすすめの音楽を教えてもらったらindigo la endとかってことで、「ゲスの曲は暗かったりするけどインディゴは爽やかな感じ」とかいってて驚きました。爽やかっていうのとはちょっと違うんじゃないかと思う。代表曲を使って歌詞読解してみたい。

 

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一度だけあなたに恋をした
たったそれだけの話です

その人は女子大生なのでわかりにくかったかもしれませんが、歌で時々でてくる「一度恋をする」っていうのは単に「いいなあと思った」って意味ではないですわね。こういう1回2回って数えられる恋っていうのはもっと肉体的なもの、むしろ1回だけmake loveした、とかそういう意味っすわ。いわゆるワンチャン、ワンナイト。

僕は星の数ほどの記憶を
忘れそうになっては思い出す

1回だけなのでこの「記憶」はその相手に関する記憶ではない。「僕は星の数ほどの人とエッチな記憶があって、あんまり数が多くてすぐに忘れちゃうんですが時々思いだします」の意味です。

バイトのユニフォームの
ポケットから出てきた
何てことない手紙であなたを好きになったんだ

この「バイトのユニフォーム」がちょっと微妙なんですが、ポケットからなんからの紙が出てきて、たいしたこと書いてないらしい。それは本当に手紙だろうか。

解釈(1) 女子はなんか電車とかでバッグに電話番号書いたメモ投げ入れられることがあるっての聞いたことがあります。居酒屋とかのモテモテバイトのエプロンのポケットに、「つきあってください」とかって手紙がはいっていた。これ女子だったらありそうだけど、男子はありそうにないっすね。まあそれに「なんてことない手紙」ではないだろうし。

解釈(2) その手紙の内容は「今日は楽しかったです。また来てください」みたいな名刺みたいなやつである。私あんまりもらったことないですが、ガールズバーとかキャバクラとかそういう場所ではそういうの帰り際に渡すらしいじゃないですか。

甘い夕景が包む空気で
だんだんと忘れていた言葉思い出したよ

夕方その手紙を見て、昔1回そういう関係になった女子のことをおもいだしつつあるんですね。

潤った愛す声で/夢から覚めたら恋をして
夜明けの街であなたにサヨナラを/歌った
潤った愛す声で/夢を潜って溺れた
夜明けの街はいつだって/あなたを隠してる

「潤った愛す声」っいうのはものすごくエッチですね。まあその女子とのエッチな行為を歌っている。「夜明けの街でサヨナラ」なので、おつきあいは夜っていうか深夜っていうか。「夢を潜って溺れる」とかってのもなんか水っぽいというか汁っぽいというかいいねえ。夜明けの街はあなたを隠している。この女子はいつも夜明けの時間帯にどっかで行動しているわけです。あるいは待ってるのか。

涙落ちる音がレコードを擦り切れさせたって
冗談を言いながらハンモックに揺られる老後でも
あなたを思い出し
また会おうと考えて
くだらない理由をつけてこのまま眠りにつくのかな

「涙」もも水っぽいですね。
「あなたを思いだしまた会おうと考えて」、つまりその夜に活動している女性にもう一回会いに行こうかと思ったけど、「くだらない理由」、たとえば「今日はお金がないなあ」とか「眠いからいいや」とかそういう理由で寝ることにしたわけです。

甘い夕景が包む空気で
だんだんと忘れていた言葉思い出したよ

……

甘酸っぱい世界で僕はあなたに恋をした
傾く夜を尻目に今日も会いに行く

この相手と会ったのは甘酸っぱい世界
甘い夕暮れから夜が傾くときに会え、夜明けの街でサヨナラするのです。

潤った愛す声で
夢から覚めたら恋をして
夜明けの街であなたにサヨナラを
歌った
潤った愛す声で
夢を潜って溺れた
夜明けの街はいつだって
あなたを隠してる

まあそういうわけで、ぜんぜん爽やかではなく、星の数ほど遊んでる人が、ナイトワークの人と、一回恋をした、という曲ですね。それにしても名曲。

でもまあこういう解釈すると、好きな人の一部は怒るかもしれません。怒らないでー。もっと別の解釈もあるかもしれんし。そっち正しいですよ。

 


歌詞のダブルミーニング、そしてトリプル:「雨あがりの夜空に」の場合

まあ、昨日「君の名は希望」について書いてみたように、私趣味で若い人々に歌詞の解釈を示して鑑賞のしかたを教えてるふりしつついろいろ押しつけてみたりするのが好きなんですが、歌詞が幾通りかの解釈ができるようにする、ダブルミーニングって技法はまあ作詞の基本ではあるわけです。これあんまり意識してない人は多いようですね。

私が若い人にそういうの教えるときに一番わかりやすい例として使うのは、RCサクセションの名曲「雨あがりの夜空に」ですね。ものすごい古い曲だけど。

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歌詞は http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36578 あたり。表面的には、ポンコツの愛車が動かなくなってしまって困った、また愛車に乗ってぶっとばしないなあ、ですわね。

私この曲ラジオもついてる大型バイクの曲だと思ってましたが、いちおうキヨシローの当時の愛車の日産サニーであるということらしい。実は私の最初の車も東北電力でこきつかわれてからいったん廃車された日産サニーでした。友達に貸したら事故られてぽしゃって阿弥陀様のところにいってしまった(友達は運よくほぼ無事)。お浄土で楽しくやってるかい俺のサニー。

でもこの曲には当然すぐにわかる裏の意味があって、彼女とのうまくいかない関係を歌っている。知恵袋でこんな質問がありました。「 「雨あがりの夜空に」とかいう曲、女性をなんだと思ってるのですか」

まあこの曲は、女性に乗りたい曲なわけでもあるわけです。俺のバッテリーはビンビンだからいつものようにキメてぶっとばそう。そりゃ時々ひどい乗り方したけどおまえはそれも楽しんでたじゃないか。こんな自堕落な生活は続かないとかっていってお前は去って行こうとするけど、まだまだ楽しめるじゃないか。おまえについているラジオのつまみ(2個?)をまわすと感度ビンビンでどこまでもいい音させるぜ。あー、今日は発車したいぜ。

これではまあいまどきの時代状況においては、女性怒るかもしれませんね。まあ時代も時代だし、こういう男っぽい、男性中心な勝手でだめな愛と性欲のを歌うっていうのは、黒人音楽の由緒正しい伝統である。男くささ、ブルースとソウル音楽へのリスペクトをこめて、あえてこうつくる。

でもね、この曲はそれだけじゃないんよ。RCサクセションの歴史を見るとわかると思うけど、このバンドはキヨシローが中心とはいえ、貧乏なときからがんばってきて、もう解散しよかってときに井上陽水の「氷の世界」に「帰れない二人」を提供してなんとかそれで食いつないで、売れるためにフォークグループからエレキバンドになったりして、ものすごい苦労しているわけですわ。

その途中で数人のメンバー、特に1977年に破廉ケンチを失なっている。そのあとだんだん売れ出すのね。雨あがりの夜空には1980年に発売だけど、そのころの別れのことを歌ってるんだって私自身は思ってる。

若いからライブや打ち上げ飲み会でひどいノリかたしたりでどろどろ。貧乏ななかバンドやってても、「こんなこといつまでも長くは続かない、いい加減明日のこと考えたほうがいい」ってどうしても考えちゃう人はいるわね。明日の見通しもなくて生きられる人は少ない。でもキヨシローは「おまえまでそんなこと言うのか、おれらロックするんじゃないのかソウルはどこいったんだ」ってやったんだろうねえ。バンドなんとか続けようじゃないか、もうい一回ライブしようじゃないか、おまえがいなくなったあとにおれたち少しは売れてきてるぜ、おまえといっしょにやれなくて本当に残念だ、なんでいっしょに続けてくれなかったんだ、そういう歌だと理解してます。でもエロもいい。やっぱり女にも乗りたい。

歌詞っていうのはそういうふうにできている。

そういや、みうらじゅん先生の『アイデン&ティティ』は、そういう感じのだめなバンドマンを描いたロック漫画の最高峰だから必ず読むように。

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みうら じゅん
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乃木坂の「君の名は希望」は悲しい名曲(あるいは最高のキモ曲)

戸谷洋志先生という若手の哲学の先生が『Jポップで考える哲学』っていう本を出版されたので、ポップ音楽大好き哲学ちょっと好きとしてさっそく読んでみました。歌詞の分析ものは好きなんよね。流行音楽の歌詞使いながら、大陸系の哲学っていうか実存主義系の哲学を紹介していく、っていう趣向で、そういう哲学に興味ある人はぜひ読んでみるといいと思います。選曲がなるほどって感じで(私の好みとは違うけど)おもしろかったです。

こういうのは実際にその音楽聞いてみないとなんないのでそれぞれ聞いてみているのですが、乃木坂の「君の名は希望」っていうのは驚くほど名曲でしたね。アイドル関係ぜんぜん知らなくて今回はじめて聞いたんですが、とても強い印象を受けました。ツイッタでつぶやいたら、数人「それ評判の名曲っす」みたいな反応してくれて、なるほど。

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非常に感心したので、私なりになにを聞いたか、っていうのを書いてみたい。

歌詞はここ。 http://j-lyric.net/artist/a0560d3/l02c306.html

僕が君を初めて意識したのは
去年の6月 夏の服に着替えた頃
転がって来たボールを無視していたら
僕が拾うまで
こっちを見て待っていた

これが中学なのか高校なのか、っていうのがまず興味深いところですね。どっちがいいんですかね。私は最初中学生2年か3年かって思いました。

制服が夏服になったってことなんでしょうけど、これ男子的にぐっと来るところがあると思うんですわ。女子高生の制服好きでしょうがない、とかって先生がネットで話題になってましたが、まあそういうの抜きにしても、夏服になると女子の体の線とかが下着とかがわかりやすくなってあれだ、っていう人はいるでしょうな。中学1、2年生男子ってそういう感じ。女子から見るとここらすでにキモいかもしれないっすな。

ボールがなんのボールかってのもよくわからないけど、すぐあとにグラウンドの話が出てくるから、ソフトボールぐらいっすかね。その場合は女子は制服じゃなくてユニフォームなる気がする。あるいは外や屋上でバレーボールとかしてたのかなあ。いやまあソフトボールぐらいで。テニスだと「コート」になるわね。

この「拾うまでこっちを見て待ってた」っていうのをどう解釈するかが最大のキーですわね。「すみませーん、お願いしまーす」、顔見知りだったら「ごめーん」ぐらいがふつうだと思うんだけど、そういう声がかからない。「こっちを見て待ってた」って本人は理解しているけど、キモくて近づけないのかもしれない。

しかし女子っていうのはもう一方のタイプがいて、男子は自分の言うことを聞くのが当然である、のような態度をとる人も少数ですがいますわね。なんでさっさと拾わないのよ。拾うまで睨んでやる。エヴァンゲリオンのアスカみたいなタイプ。どっちなんかね。私はアスカ連想しました。

透明人間 そう呼ばれていた
僕の存在 気づいてくれたんだ

この少年は非常に気が弱いし、なにも目立つところがない。なにか特別なところがあればとりあえず透明ではなくなるからね。口数少ないし、なにより友達も少ない。っていうか友達いないんちゃうか。なぜ友達いないのにグラウンド(あるいは屋上か)に一人でいるのか。

暑い雲のすき間に光が射して
グラウンドの上
僕にちゃんと影ができた

これすばらしいですね。秋元先生は天才的だと思う。私雪国で育ってて、雪国では冬の間は影がなくなっちゃうのね。曇りが多いし、雪の上では影はっきりしない。雪の乱反射が、太陽の光より強いからか、影できてもくっきりしないんよ。中学生のときにはじめて2月末ぐらいに東京に行ったら、雪がなくて影があってものすごい新鮮でしたね。「おう、久しぶり」みたいな。

この歌詞では、上の戸谷先生が指摘しているように、ボールをはさんで女子に「そこにいるな」って思ってもらうことによって、透明人間じゃなくなってはっきりした影のある人物になったわけですわね 1)ただ、最初この歌詞聞いたときにはわからなかったけど、ここは仕掛けがあるかもしれなくて、「影」は「陰」(かげ)でもあるかもしれない。表も裏もある人間になったとか、邪悪な欲求に目覚めたとか。ははは。でも恋愛ってそういうところあるじゃないっすか。ないっすか。まあ「ちゃんと」影ができたんだからまあふつうに解釈した方がいいっすね。 。でももし女子がアスカだったら、名前もなにもおぼえてないでしょうね。ただのその他大勢の名無しの下僕の一人。

いつの日からか孤独に慣れてたけど
僕が拒否してた
この世界は美しい

ここ見るとまあ中学生じゃなくて高校生なのかな、っていう感じもします。ゲーテのファウスト先生っすね。この「世界は美しい」って感じいいですよね。あれじゃないすか。秋冬に調子悪いときは灰色に見えてるけど、初夏とかで調子あがってくると山の緑とかがぐっとものすごく鮮かに見えたりするじゃないっすか。そういう感じ。

こんなに誰かを恋しくなる
自分がいたなんて
想像もできなかったこと
未来はいつだって
新たなときめきと出会いの場

ポジティブでいいっすね。ところがこのあとの

君の名前は「希望」(きぼう)と今知った

が気になりますね。ふつうはノゾミさんだよねえ。そして「今」ってのはいつなんだろうか。これが最大の謎。

わざと遠い場所から君を眺めた
だけど時々 その姿を見失った
24時間心が空っぽで
僕は一人では
生きられなくなったんだ

まあ遠くから見る感じね。憧れの女子。でも、時々遠くから見てうれしい、って思うんじゃなくて、四六時中(っていうか「24時間」)じーっと見てて見失うわけっす。ちょっとあれですね。おそらく一言も会話したことさえないんじゃないだろうか。名前さえ知らないんだし。そうなるとこの「愛」って何なんだかどうだかよくわからんわねえ。

んでコーラスくりかえし。やはり「今知った」の今がいつなのか気になる。この歌が発売されたのは3月らしくて、実は卒業ソングらしいわけです。卒業式で「〜希望くん、おめでとう」とかやったときにやっと名前を知ったということですかね。まあ「ノゾミちゃん」だけど漢字で「希」か「望」か「望美」かわからんなあ、とか思ってたら「希望」って書くのかあ、ぐらいですか。でもそれにしても去年の6月に「素敵だな」って思って、3月までずーっと見てるのに、名前さえ知らない、っていうのはこれはかなりやばいのではないか。へたすると1年半?もっと?

孤独より居心地がいい
愛のそばでしあわせを感じた

人の群れに逃げ込み紛れても
人生の意味を誰も教えてくれないだろう
悲しみの雨 打たれて足下を見た
土のその上に
そう確かに僕はいた

ここもいいですね。この少年は、雲間から日が射してきてもすぐに地面の影を見るし、雨に打たれても雨や前方を見るんじゃなく、地面を見る。いつもうつむいている。いいねえ。

ここらへんから、この曲なにがそんなに私にうったえかけるのか、って考えたら、この曲、曲調はいちおう全体に単純なメジャーコードで埋めつくされてるけど、すごく否定形の表現が多いんですね。心理学とかでは、発言や書いた文章のなかにどれくらいポジティブな言葉やネガティブな言葉が入ってるかを数えて性格を評定する、っていう手法があります。

この歌詞見てみてみると、「拒否」「できない」「見失なう」「空っぽ」「生きられない」「逃げ込む」「紛れる」「教えてくれない」「雨」「切ない」「振り向かない」「叫び」「想像もできない」とかものすごく否定や限定が多くて、半分ぐらいの行はそうですね。これは多い。「忘れない」のようなポジティブな内容のも否定形になってる。こういうの、肯定の「おぼえてるよ」って表現する人はポジティブだと思う。

もし君が振り向かなくても
その微笑みを僕は忘れない
どんな時も君がいることを
信じて まっすぐ歩いていこう

楽曲的にはここものすごくいいですね 2)検索したら、この曲ソナタ形式だとかって書いてる人がいるけどそうではない。 。乃木坂のメンバーの最高音域つかって、声がちょうどひっくりかえってしまうところで、「もし振り向いてくれなくても」「どんなときも」って思いっきり言わせていて、テンパってる感じがいい。

んで最後のコーラスに行くんだけど、その前の「真実の叫びを聞こうさあ」んところで転調して半音高くなってますね。よくある手法ではあるんだけどすごく効果的で、私何回聞いてもここで感動しますね。作曲の先生にやられたって感じ。

友達が一人でもいれば、「あの子の名前なんての?どこのクラス?」ぐらい聞けるわけじゃないっすか。「え、なんだよ、お前A組のノゾミ興味あるの?人気あるぜ、高校生とつきあってるとかって話」「えーノゾミ知らねーの? この前オーデション受けたってよ」みたいな話ぐらいするだろうに、そういう友達もいないまま。私には、「君の名希望と今知った」っていうのはほんとうに絶望的な言葉のような気がします。明日にはもしかしたら希望があるかもしれないけど、いまここには、いまごろ名前を知った、名前さえ知ることができなかったという絶望しかない。

いちおう3回歌われるサビの部分(「こんなに誰かを〜」の部分)はメジャーコード(Eb、最後はE)に解決してるんだけど、1回目はストレートだけど2回目はメジャーのあとにFmとかGmとかにすぐマイナーにチェンジしてるし、最後もウワーってメジャーで終りそうなところをやっぱりC#mとかのマイナーコーオはさんでから「明日の空 うぉうぉうぉ」ってあんまりハッピーじゃなく終ってるっしょ。これはメジャーな印象とはうらはらに、ものすごい悲しい歌っすよ。でもそれでも我々はまっすぐ歩いていかなくちゃならんのです。

さて、まあこれ主人公が中学生ぐらいの少年ってのでやってきましたが、それを示唆する情報はぜんぜんないのね。気の弱い少年が街の人込みに紛れ込むなんてことがあるのかどうかもよくわからない。そういう子は、学校終ったらすぐ家に帰るんじゃないだろうか。いやな感じになってきましたね。

たとえば主人公がいろんなことに絶望している50才独身男性、ってことだってあるわけです。なんで学校のグランドの片隅にいたのかはわからないけど。それだったら名前知らなくてもしょうがないですよね。そんで24時間監視してたのか。やばい。そうなると「今知った」の「今」っていつやねんという話になり、実は私これくりかえし聞いて3回目ぐらいに、ホラー映画のクライマックスで流れてたら最高だな、みたいなの考えてた。こわいよ。

まあこういう含みがあるのでこの曲はファンの間ではキモ曲ということになってるらしいですなあ。

まあアイドルとアイドルオタの関係についての歌でもあるんでしょうね。素敵な向こうの少女が自分に注目してくれることなんかありえないし、客席にいる自分の方を振り向いてさえくれないかもしれないけど、アイドルが歌って踊って笑顔でいてくれさえいれば、僕たちは生きていけるよ、っていう歌でもあるわけだ。

パリピとかは「きみどっから来たん?名前なんなん?」ぐらい3分で入手してしまうわけですが、まあ内向的で消極的な人間というのは「自分はだめだ」「きっと振り向いてくれない」「自分には彼女と話をする価値さえない」「遠くから見てるだけで十分」みたいになってしまって、これはモテないだけでなくキモい。でもそうしか生きられなくて、その道をまっすぐ歩いていく、っていうのはそれはそれでありだ。足跡は残るよ。みんながんばりましょう。

でもそれをアイドルに歌わせるんだから、これってすごい皮肉というか屈折した曲よねえ。「キモいと思われてるだろう」って思ってるキモい男の歌を実際にキモいなあと思ってる女子に歌わせる。なんかもうサドマゾの世界に近い。おどろきました。

フルレングスのないかな。

 

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References   [ + ]

1. ただ、最初この歌詞聞いたときにはわからなかったけど、ここは仕掛けがあるかもしれなくて、「影」は「陰」(かげ)でもあるかもしれない。表も裏もある人間になったとか、邪悪な欲求に目覚めたとか。ははは。でも恋愛ってそういうところあるじゃないっすか。ないっすか。まあ「ちゃんと」影ができたんだからまあふつうに解釈した方がいいっすね。
2. 検索したら、この曲ソナタ形式だとかって書いてる人がいるけどそうではない。

キリンジのエイリアンズの歌詞は最高だ

ミスチルの悪口書いててもしょうがないので、どういう歌詞がよい曲と思ってるかっていうのを、4年前にツイッタに書いたメモから復元。実はこの曲、そのころまで知らなかったんよね。

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遥か空に旅客機 音もなく
公団の屋根の上 どこへ行く

旅客機と書いてボーイングと読む。ゆっくり飛行機が進んでいるのはわかるんだけど、実は昼なのか夜なのかわからない。昼だと白い機体、夜だと赤い点滅がゆっくり空を横切ってる感じね。夜だとすると、その赤い点滅がエアバスじゃなくてボーイングだってわかるのは昼間に見てるからだろうね。飛行機の姿見てエアバスなのかボーイングなのかわかるかしらんけど。少なくともYSとかではない。あるいは語り手の頭のなかで「今頃飛行機が飛んでるはずだ」って思ってるのかもしれない。すぐに住宅公団っていうのが出てくるので、語り手はここらへんのことをよく知っている。おそらく飛行機に興味をもつ子供のころから。公団住宅の上を大型飛行機がゆっくり飛んでいる、っていうので、空が開けた田舎だっていうのがわかる。千葉とか埼玉とか。首都圏からもっと遠くかもしれない。

メロディーラインは下降してだらだらしていてだるい感じ。

誰かの不機嫌も 寝静まる夜さ

隣近所でいつも喧嘩しているんだね。貧乏人やあんまり洗練されていない人々はいつも大声で喧嘩しているものだ。そういうのが聞こえちゃうのが田舎っぽい。そして今は深夜だってのがわかる。だからさっきの飛行機は赤の点滅がゆっくり飛んでる。

バイパスの澄んだ空気と僕の町

これで季節は秋か初冬ぐらいな感じ。小さな郊外か田舎の新興住宅な感じか。ちなみにキリンジは埼玉県坂戸市出身、人口10万人。わかる。

泣かないでくれダーリン ほら月明かりが
長い夜に寝つけない二人の額をなで

語り手は女をダーリンとか呼ぶナルシストで、関係はうまくいってない。「長い夜」でやっぱり秋冬。額をなでる、っていうのがいいねえ。月は満月に近い明るさで、もう一発終っていて、透明な窓から月が見えてるわけだ。満月が窓から部屋に入ってくるのなら、時刻は3時とか4時とか。夜明けまえ。「二人の額」なのもすごくて、一人称語りだったら「君の額をなで」になるはずなんだけど、この語り手は自分たちを客観的に見ている。自分たちに対する距離感。

まるで僕らはエイリアンズ

エイリアンズで連想するのは(1)ギーガーの映画エイリアン、(2)宇宙人、(3)異邦人、外人、(4) 余所者、だわよね。おそらく(4)の余所者が本意なんだけど、ギーガーのあのキモい生物を連想させずにはいられない。俺たちはああいう異様なものとしてセクロスなんかしちゃってて、そしてこの狭い町で異邦人としてはぐれている。少なくとも、俺たちは町で暮すふつうの人間ではない。夜はそういうセクロスしちゃうエイリアン。しかしおそらく昼はふつうの顔をして生きてるんだろう。時代的に岩明均先生のマンガ『寄生獣』とかも連想する。

禁断の実ほおばっては
月の裏を夢みて

「月」と「禁断の実」=おそらくリンゴが丸くて縁語みたいになってんだね。もちろん聖書のアダムとイブ、そしてニュートンが連想される。やってはいけないことをやっている。「月の裏 1)「不倫解釈でいくなら、「月の裏」ってのは誰もいず、誰にも見られないところ、ぐらいじゃないの?」ってコメントもらって、なるほど。 」で人間の生活の裏面、不倫セックスを連想する。ちなみにこの曲はキーがおかしくてBメジャーとかみたい。主にピアノの白鍵で弾けるキーCという表の明るいのとまったく反対のキー。まさに「裏」な感じ 2)あと、書いたあとで検索したら、「禁断の実」は同性愛っていう解釈も可能なのね。「眉をひそめる」あたりで排除してしまってた。おそらくインセストっていうのも可能だろう。あと禁断の実は知恵の実であるっていうのを生かした解釈も可能っぽい。

キミが好きだよエイリアン
この星のこの僻地で
魔法をかけてみせるさ
いいかい

自分たちがエイリアンで世間からはぐれているだけでなく、この語り手にとっては相手もエイリアンで疎遠な感じなんよね。セックスでつながっている。「この星」でやっぱり月と同じ丸い球体とその外の広い世界が連想させられ、そのほんとに一部の点みたいなところでなにかがおこなわれる。セックスの秘技かもしれず、そうでないかもしれず。しかしこの「魔法かけてみせる、いいよね」っていうナルシズムぶりがすばらしい。自分はそういうことをする能力がある。

どこかで不揃いな遠吠え
仮面のようなスポーツカーが火を吐いた

車のエンジン、排気音か。火を吐いたのは見てないけど、音からわかる。「仮面のようなスポーツカー」はまあ当時流行していたなんかだろうね。ヤンキーが乗ってるやつ。2010年代は空力とか考えて車はみんな仮面みたいになりましたが、1990年代とかそういうエアスポイラーとか走り屋や暴走族がつけてた。エンジンとかも強化して300馬力とかいうのが走っていて、そういうの整備不良でバックファイアであちこちで「パーン」とか音出してたんよね。実際マフラーから火が出る。まあそういうのがたくさんいる田舎。語り手はそういう文化になじめてない。語り手たちは家のなかで遠くのその音を聞いている。こういうのがなんかリアルで奥行きがある。

笑っておくれダーリン
ほら素晴らしい夜に

セックスして部屋にいるだけなんだけど「素晴しい夜」っていうのがサイコパス風味。女はまだ泣いている。

僕の短所をジョークにしても眉をひそめないで

「俺、優柔普段だから、ははは」「嫁が待ってるから」。あるいはおそらくなんか下ネタを言ってる。「俺の〜は彼より小さいけど硬い」ナルシストだから平気。

そうさ僕らはエイリアンズ
街灯に沿って歩けば
ごらん新世界のようさ

一発終ってまったりしてから女をどっかに送るために外に出た。近代的な白っぽい公団住宅が並んでいる。車もってないのか、駐車場まで女を送るのか、あるいは女性がそういうところに住んでるのか。田舎の公団みたいなのに住んでる人々っていうのは、その町の土着の人々からも疎遠な関係にあったりする。

キミが好きだよエイリアン
無いものねだりもキスで
魔法のように解けるさ
いつか

「無いものねだり」は「結婚して」とか「あの人と別れて」か「夫を殺して」とかまあそういう感じ。なんにしても女の希望をかなえるつもりはない。語り手はセックスしか興味がない。

踊ろうよさあダーリン
ラストダンスを
暗いニュースが
日の出とともに町に降る前に

曲としてはここ最高ですわね。何回聞いても感動する。もう一発やるのかもしれないしチューするのかもしれないが、これがラストダンスだ。もうこの女とは会うつもりがない。あるいは会えない。暗いニュースがなにかはわからないけど、この二人の関係が公になることかもしれない。朝になるとバレちゃう。「ニュースが降ってくる」っていうその感じもうすばらしい。「ノストラダムスの大予言」で世界が終る日にアンゴルモアのなんとかが降ってくる、とかそういう感じ。

まるで僕らはエイリアンズ
禁断の実ほおばっては
月の裏を夢みて
キミを愛してるエイリアン
この星の僻地の僕らに
魔法をかけてみせるさ

さっきは「好き」だったけど「愛してる」になってる。気持ちが高まってる。魔法もどういう魔法か知らんけど、二人の仲を忘れられなくなくする魔法か。

大好きさエイリアン
わかるかい

聞いてるバージョンだと「わかるかい」じゃなくて「わかるか」になってて、そっちの方がかっこいい。もう会えないかもしれないけど君のことが本当に好きだったんだ。
これは歌詞もコード進行もメロディーもアレンジも、なにかなにまで名曲。語り手は世界や人間から二重三重に疎遠である。すばらしすぎる。聞くたびにノックアウトされます。

ミスチル同様、キリンジもナルシスト・サイコパス風味が入ってるんだけど、歌詞がよく練られていて完璧。参照や連想などを抱負に含んでいて、歌詞にとんでもない広がりがあって、多様な解釈を許す。音楽も有機的に結びついていて、理想的な楽曲だと思うです。ミスチルとはちがって、キリンジのリスナーはおそらく歌詞の内容(この曲の場合、「(表面的には)ナルシストが女を捨てるのだな」)をだいたい理解している。

 

ミスチルだと刺激の強いネガティブな言葉を多用するわりに、言葉や連想自体はそれほど豊かではない。話の筋は説教くさく単調で一本道の解釈になってしまう。あるいは言葉が足りないところをリスナーが勝手に好意的におぎなわざるをえない。キリンジの場合はストーリーと語彙や連想が豊かなんで、何度もその歌詞を考える。歌詞の方がリスナーよりも(おそらくアーティスト本人よりも)大きい。


と、前日寝つけない夜に書いたんですが、ツイッタでコメントもらってもう一度見直してみると、不倫と別れていどではこの曲の甘美さ邪悪さ凶悪さをとらえてないっすね。語り手はもっと捕食者(プレデター)な感じ。二人はいっしょに住んでるのではないかという指摘もあり。

朝になって思いついたんですが、これ、『ジョジョの奇妙な冒険』の吉良吉影さんや、岩明均先生の『寄生獣』の寄生生物みたいな人たちの歌かもしれないっすね。連載は1990年前半だからみんな読んでた。杜王町みたいなところにひっそり生息しているエイリアン。んじゃ女がずっとメソメソしているのは監禁されてるからか。んで歌のなかで最後に殺されちゃうのね。最後のコーラスの前のドラムのブレイク(・・・ドタン、のところ)。禁断の実は快楽殺人ですわね。腕だけとっといたりして。なんで部屋のなかにいるのに街灯あるところに出てくのかと思ったら、家汚されるのいやだからですか。朝降ってくる暗いニュースは君が作ってんやろが、みたいな。やばい。でもそれくらいのヤバさをこの曲には感じる。

 


References   [ + ]

1. 「不倫解釈でいくなら、「月の裏」ってのは誰もいず、誰にも見られないところ、ぐらいじゃないの?」ってコメントもらって、なるほど。
2. あと、書いたあとで検索したら、「禁断の実」は同性愛っていう解釈も可能なのね。「眉をひそめる」あたりで排除してしまってた。おそらくインセストっていうのも可能だろう。あと禁断の実は知恵の実であるっていうのを生かした解釈も可能っぽい。

ミスチルの「口がすべって」を聞いてぼやいた

ミスチルはすごく気になるアーティストなんすよね。いろいろ思うところがある。今ごろなんかのきっかけで「口がすべって」という曲を聞いてすごい歌詞にびっくりしたのでぼやいた記録。


口がすべって君を怒らせた

いかんですね。「すべった」ってことは、前々から思ってたことを言いましたね。フロイディアンスリップとかそういうやつ。でもしょうがないですね。とりあえずあやまりましょう。

でも間違ってないから謝りたくなかった

言っちゃったわけですな。「いやまちがった」とかは言いたんないんなら「言いすぎた、ごめん」ぐらい言いましょう。本当のこと言えばいいってもんでもないと思うです。
「でも」が高いところから入ってくるのがメロディー的に天才を感じます。コード進行とかもいろいろ凝ってるのね。

わかってる それが悪いとこ

反省して直すようにしてください。

それが僕の悪いとこ

まあとりあえずあやまったらどうですか。
「悪いとこ」だと言いつつ、そこがよいところでもある、むしろ魅力だ、おれは正直なやつだ、節を曲げない男だと思ってますね。それはそれでいいでしょう。わたしもそういうのはわかります。
この「悪いとこ」は、カギかっこに入った「悪いとこ」であり、「一般には悪いと言われているけれども俺は悪いと思ってないよ」ってやつですね。2回くりかえしてるのが印象的。

「ゆずれぬものが僕にもある」だなんて

これはよいです。やっぱり大事なことは大事っすからね。上で口に出しちゃったことは譲れないことなんすね。しょうがないっすね。

だれも奪いに来ないのに鍵かけて守ってる

これもしょうがないです。人間ってそういうもんです。大事なもんすからね。「奪う」とか「鍵」とかそういう強い言葉がミスチル先生の歌詞の特徴ですね。

わかってる 本当は弱いことを

うんうん。この「わかってる」の抑揚がいいっすよね。いかにもイラついている感じが出てる。子供が「わかってる」とかって言ってる感じそのまんまでうまい。さっきの「悪いとこ」もそうだけど、ミスチルの歌詞は自己言及が多いので、「自分をよく見つめている」「深い」とか言われるわけですわね。

それを認められないことも

うんうん……うん? もしかして「自分が弱いとは認めないよ!」って言ってる?

思い通りに動かない君という物体を

でました「物体」。びっくりしました。まあこれは本気ではなく、あるときは自分は相手を「物体」とか「操作の対象」、オブジェクトとして見てる、ってことですわね。物体思い通りに動きませんね。自分のbodyでさえうまく動かない。

なだめすかして 甘い言葉かけて 持ち上げていく

まあヨイショしているわけですな。これもまあ時には必要なんでしょうね。
「わかっていても、自分が弱いことは認められない、そして今も君という抵抗する物体を努力して動かしている」っていうのはもう相手に対するディスや挑発に近いですね。「彼女」「あいつ」について歌ってるならこれでもいいんですが、「君」ですからねえ。

もう一人の僕がその姿を見て嘆いているよ

そんでもここまではまあよかったんですわ。まあ女子をよいしょするのはなさけない、という考え方もあるだろう……

育んできたのは「優しさ」だけじゃないから。。。

ここだ。「優しさ」だけじゃないのならなんだろう?「育む」も「二人(?)の関係で育んだ」なのか「自分が育んだ」なのかわからない。とにかく、「育んだ」のが1人か2人か社会か知らんけど、おそらく「育んだ」のは「愛」といっしょに「憎しみ」や「嫌悪」だ。つまり「君をよいしょしている自分が情けないよ、なんで君みたいな物体をよいしょしなきゃならんのだ。下に落して踏ん付けて叩き壊したいものだ」

「優しさ」とカギかっこがついているも意味深だわね。さっきの「悪いとこ」はカッコにいれずにこの優しさはカッコに入れる。少なくともふつうの意味の「優しさ」ではない。さっきと同じ考え方でいけば、「ふつう一般に優しさと言われているもの」ぐらい。「俺はおまえとの関係のなかで、人々が優しさと呼ぶところのものを発揮してきたが、他にも隠しもっているぞ」。私ははっきり脅されているのを感じます。

争い続けてる血が流れてる
民族をめぐる紛争を新聞は報じている

いやですね。戦争反対。ピース。

ここも衝撃的で、最初に聞いたときにびっくりしたのはむしろここだったかもしれない。だって、いままで口喧嘩の話してたんですよ。その上で、「お前との関係では優しさ以外のものもあるぞ(ずっと腹もたってるぞ)」って宣言した上で、「血が流れる」だもんね。いちおう新聞にのってる国家間・民族間の話だってことにしてるけど、聞いてるときはそうはなないよ。こういうのがうまい。この人とケンカすると殺されるかもしれない、って連想しちゃう。

分かってる「難しいですね」で
片づくほど簡単じゃないことも

けっきょくは力で解決しなきゃならないこともあるよ、ってことですね。これも脅している。私は本当にこわいですよ。

誰もがみんな大事なものを抱きしめてる

うん。

人それぞれの価値観 幸せ 生き方がある

うん。大事なことですね。

「他人の気持になって考えろ」とは言われてはきたけれど

大事なことですよね。努力はしたいです。

想像を超えて 心は理解しがたいもの

え、つまりあなたには他人の気持ちはけっきょくわからなかった、ということですな。あるていどしょうがないし、他人の気持ちがわかりにくいっていうのはやっぱり我々が常に感じているところです。でももしかしたら、「他人の気持を考えろ」って子供のころから言われてきたけど、けっきょくわからん、と開きなおってるわけですか。

流れ星が消える 瞬く間に消える

人生は短いですなあ。このフレーズはすごくよくて、「願い事」の対象である流れ星さけでなく、戦争で消えていく人々の生命を連想させる。しかしここも衝撃を受けたところで、上からの流れだったら紛争とかで生命が失なわれることを連想させられた上で、「人の気持考えろと言われてもおまえのことは理解できない」って訴えた上で、「おう、流れ星が流れてるねえ。人の命ははかないものだねえ」って言ってんのよ? すごい脅しだ。ヤクザではないか。

今度同じチャンスがきたら

え、次の話になるの?

自分以外の誰かのために

この「自分以外」「誰か」も効いていて天才的だ。ふつうだったら「君」のために、「苦しんでる人」のために「失なわれた命のために」「大事な人のために」って具体的になるっしょ。この方の場合は「自分以外」というくくり。こんなくくりかたする人はじめて見た。「おれたち」ならわかるのに、このひとは「おれ」と「おれ以外ぜんぶ」なんよね。ある種の哲学者ですなあ。

願い事をしよう

いままでは自分のことだけだったんですね。そして今回もやっぱり自分のことだけ考えることにしたんですね。「まあ次のチャンス、次の人生があれば考えることにしよう」ってことですね。せめて、「もっといい人間になれるように」とか「もっと素直になれるように」祈ってくださいよ。流れ星が流れる前に祈ってください。なぜ次を待つ必要があるんですか。

口がすべって君を怒らせた

ここで最初にもどってくるのは作詞的に正しい。でもあやまったんですか?

でもいつのまにやら また笑って暮らしてる

とくに謝ることもなく笑ってるんですね。主語がないのが気になる。相手はほんとうに笑っているんだろうか。その笑顔は本心からのものだろうか。あんな脅しかたされて本当に笑えるんだろうか。DVじゃないんですか。

分かったろう

これひどい。相手は分かってない可能があるんじゃないですか。「お前いまわらってるだろう、んじゃ俺たちの関係はなんとかなってるんだ」

僕らは許し合う力も持って生まれているよ

相手の人ほんとうに許してるんですか、っていうかあなた自分はぜんぜん悪くなかったんしょ。なんで許してもらう必要があるの? あなたは許してんの?「君は許す力をもって生まれてる」んじゃないの?

ひとまずそういうことにしておこう

なんでそんなこと言われなきゃならないんですか

それが人間の良いとこ

あなたの悪いところ、自分はいつも正しいと思える短所であり長所であるところを他の人間はもってないんですよね。相手は許す力をもってるんでしょうが、あなたはもってるんでしょうか。

そもそもあなた相手にいやな思いをさせても、自分がいやな気分にまったくなってないですよね。
自分が悪いとも思ってなくて、そのままほうっておけば関係が改善すると思ってますよね。むしろ、自分を不快にした他人は叩きつぶしたいっていうのはそのまんまですわね。他人のことを考えるのは次に流れ星に出会ったときでしかなくて、今はそんなこと考えるつもりはない。

コード進行とかネットにあったやつで確認してみましたが、これは天才の作品ですね。歌詞と曲が有機的に結びついていてすばらしい。いつも音楽的天才だと思います。

私が興味があるのは、先生の歌を「深い」とかいってる人々がなにを考えてこの曲を聞いているかなのです。心清い人々が多いみたいだから、この曲が平和的なことを歌っていると解釈されているようですが、すくなくともぜんぜん違う解釈を許すようなのは私にははっきりしていると思う。「俺は自分のことしか考えねーぜ」「なんで君はいつも頭痛いっていってやらせてくれないんだ」 1)The Time, “Jerk Off”。 「ぐだぐだいってねーでぶっとばそうぜ」 2)たとえばRCサクセション「雨あがりの夜空に」。これは別エントリ書きました っていう歌だったらもちろん全然問題がない、というかむしろロックはそう歌ってほしい。でもこの歌詞はそういうものでもない。あんまり歌詞について考えない人々をだますような形になっているんちゃうんかな。こと考える気はないわけですわね。私は本当に怖いです。

(もとのPDF 「口がすべって」へのボヤキ)

 


 

追記。このエントリの次に同じようにサイコパシーを感じるキリンジのエイリアンズを解釈してみたんですが、キリンジの世界の異常さ暗さ凶悪さに比べるとミスチルの世界は日常的で、そこらへんによくいる程度のナルシストですわね。そういうふうに見てみると、魅力もわかってきた気もします。日常的にイライラしたりケンカしたりしながら自分のダメなとことかも見つめつつ他の人と関係し、上を目指してく、っていうのは、キリンジの世界よりずっとわかりやすく共感できるっていう人々がいても当然ね。むしろ、我が強すぎるし教養もあんまりないけど、いつも自分を見つめ上めざしてがんばってる奴、っていう世界像が魅力なんね。ふつうの男性の自分の言葉になりうる。やっとわかってきた気がする。


References   [ + ]

1. The Time, “Jerk Off”。
2. たとえばRCサクセション「雨あがりの夜空に」。これは別エントリ書きました

ミュージシャンによるミュージシャンの歌詞の解釈

まあ歌詞や楽曲を解釈するってことがどういうことなのか、っていうのはやっぱり実例で見るのが一番わかりやすいです。

次の曲を聞いてみましょう。

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PUFFYかわいくていいですね。元気で楽しい。コンサートのラストにぴったりの演出に聞こえる。

これはカバーで、原曲はPUFFYのプロデュースしていた奥田民夫先生がユニコーンってバンドにいたときの曲です。これもどうぞ。

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PUFFYのより苦い感じが出てますね。まあ解散することになったときに作った曲だとかそういう情報は置いといても、なんか実は元気一杯の曲ではないことがわかります*1

歌詞は http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=37874 にあります。

これを矢野顕子先生が解釈するとこうなる。この驚きの一曲を聞け!(カルテットでやってるやつが好きだったのですが、消えたのでソロのを)

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おどろくべきことに、これ民夫先生の原曲の歌詞通りなんですわ。コード進行やメロディー、拍子さえもバラバラに解体されてしまってるけど、かろうじて骨組だけはとどめている*2。原曲やPUFFYの演奏では意図的に覆い隠されていたもとの歌詞のもっていたパワーが暴かれ、フルに引きだれてしまってます。もうなんともいえん。

これが超一流のミュージシャンによる歌詞と曲を(おそらくそれ以上に)超一流のミュージシャンが解釈した結果。もうこれ1回聞いちゃうともとのPUFFYやユニコーンをそのまんまには聞けなくなってしまう。おそろしいものです。

他にもThe Boomの「中央線」や槙原敬之の「雷が鳴る前に」をアッコ先生がカバーしたのがyoutubeにあると思うので探してみてください。原曲も聞いて、歌詞カードもよく読んでみてほしい。歌詞のパワーとか、歌詞と楽曲の関係とかいろいろ考えるきっかけになるはずです。

追記

まあいろいろあって途中になっちゃってまあいろいろ反省してたり。

まあアッコちゃんの「すばらしい日々」を聴いてからPUFFYを聞きなおしてみると、いろんなことがわかるようになってしまってるんじゃないかと思います。PUFFY(と民夫先生)はこの曲をツアーかなんかのラストの曲に使ってたんだろうけど、なぜこの曲を選択したのかとか。「なつかしい歌も/笑い顔も/すべてを捨ててぼくは生きてる」のところでなぜ風船が降ってくるのかもわかるはず。なにげなく見てるエンタテイメントの一場面を作っている人々が、みんなすごく「わかって」やってることがわかる。ぼーっと聴いてたりするだけではなかなかそういうの気づきにくい。いったんわかってしまえば、なんかいやなこととかあっても「すべてをすてて僕は生きてる~」とか歌っちゃうわね(なぜかPUFFYバージョンで)。

こういうふうになっちゃうともう民夫先生がどういうつもりでこの曲を作ったのか、とか実はどうでもよくなってしまう。歌詞が多くの人によって解釈されたりカバーされたりするうちに、みんなの共有財産になっていくっていうか、逆にYよく聞かれ歌われた歌が人々を作っていくっていうかなんていうか。

まあ音楽や歌詞の楽しみ方や批評なんてのがいろいろあるのは当然のことで、まあそれぞれ楽しく聞いたり読んだりすりゃいいわけだけど、なんか基本とかコツとかもあるような気もするです。先日の石原先生の本なんかよく書けているというか先生自身がノっている*3記事はすごく勉強になる。

ジャズとかクラシックとかそっち系だと批評雑誌とかあって、そういうの馬鹿らしいといえば馬鹿らしいけど、よく書けているやつを読むのは楽しいし、音楽を含む芸術ってのはそういう言葉によっていろいろ支えられている気がします。

みなさんもばんばんいろいろ解釈書いてみたりしてほしいですね。なんかそういうアートを味わうよいきっかけになるし。学校の読書感想文とか鑑賞文とか苦痛でしょうがなかった人が多いでしょうが、自分の好きなものについてあちこち書き散らかしてみるのは楽しい。私自身もブログとかですごくよい紹介文や解釈や批評読んで楽しい。「へえ、そう聞くものか」とか「あれ、そこの歌詞はそういう意味だったのか」みたいな発見があるし、そういうのは人生をちょっとだけ豊かにする気がします。

*1:数日後追記。この文章を読んだ人から、「あのユニコーンについての文章は、リアルタイムで聴いてた人間からするとちょっと違うね、あの曲はユニコーンの曲のなかでも特に奇妙な曲で云々、というコメントをもらいました。そう、私はこの曲をリアルタイムでは聴いてないのです。まあそういう話いろいろするのが楽しい。

*2:ここらへんの表現は前)にtwitterで遊んでたときに私が書いたのかツイ友(!)が書いたのか今となってははっきりしません。

*3:まあおそらく先生自身が好きな曲ってこと。


ポップスの歌詞の鑑賞レクチャー

最近とある事情でaikoの「初恋」を聞いて歌詞を分析してみる機会があったのですが、私がどんな風に歌詞を読んでいるのかってのをちょっと書いてみたいと思います。

PVは http://jvvideos.info/videos/313/ にあるみたいだけど再生できない。

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歌詞は http://www.kasi-time.com/item-1961.html にあるけどコピペできないようにしてるようです。面倒ですね。著作権制度はもうちょっと考えた方がいいのではないかという気がするけど、まあそういうのは置いといて。

この曲については実は石原千秋先生という偉い文学の先生が、『Jポップの作詞術』分析を残しています。もとは高校生向けのフリーペーパーみたいなのに載せてたらしい。これをネタにしてやってみましょう。

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石原先生は各曲から三つキーワードをとりあげて解説して、文学作品の読解とかにかかわるコラムを二つ書くって形でやってます。まずこれを検討してみましょう。

石原先生がこの曲のキーワードに取りあげたのは三つ。「妄想」「守ってあげたいな」「わざと」。

 

あ、ここでちょっと注意しておきたいことが一つあります。中学~高校の現国の教科書や授業とかでは、「キーワードを探しましょう」「指摘しなさい」みたいな課題があるみたいですが、キーワードっていうのは探す前にすでに答が決まってるわけじゃないのね。「あなたが注目した言葉」がキーワードなわけです。読む人の数だけキーワードはあるわけで、そういうんでは「キーワードを答えなさい」みたいなんは馬鹿げている。数も決まってるものではないし。私は石原先生とはぜんぜん違うものをキーワードにしますね。あとで挙げます。

 

まあとりあえず、石原先生によれば、まずこの曲の作詞者(AIKO)は「妄想」っていう言葉でまずこれが性的なことにかかわる歌だってことを示している。

「恋」と「妄想」なら、結論はアレだ。そう考えて歌詞を読んでいくと、「指が触れた」だけでちゃんと「体は熱くなる」。コレがまったくなくては恋としての魅力が出ないし、露骨に出せば品がなくなる。いかに上手にアレを隠すかが、「初恋」というテーマのミソだと言える。(p.14)

これはまあその通りですね。石原先生は高校生向けに「アレ」の話をするのに苦労している。

二つめは「守ってあげたい」。石原先生は歌詞の主人公が、「よくわからない感情を「母親」の感情に重ねて、自分自身で理解しているのだ」(p.15)と読んでます。

三つめは「わざと」。わざと指に触れることで「相手に振り回されていただけの女の子が、自分から恋を仕掛けられる」(p.15)ようになったと石原先生は解釈してます。

二つのコラムでは、この歌詞が、「成長」というすでにある物語の型にそって成立していること、矛盾した言葉をつなげることによって聞く人や読者の解釈の幅を広げるようにできてることが指摘されてます。

まあこういう読み方は好きなのですが、この歌詞は本当に「少女から(想像上の)母親へ」とかそういう物語の歌なのかな?私はぜんぜん違うと思いますね。

キーワードは石原先生の通りでもいいんだけど、私が三つあげるなら、「指が触れた」「知らなかった感情」「小さな体」の三つかな。

曲を鑑賞する際には、まずとりあえず曲を聴くことからはじめなきゃならない。現代詩とかは読まれるだけですが、歌は聴かれるものだ。メロディーラインや曲の構成を意識しないとまちがっちゃう。んで「初恋」聞いてみると、イントロのギターの凶暴さに圧倒されるはずだわね。作詞作曲はAIKO(作詞作曲は大文字でクレジット)ですが、編曲は島田昌典先生ですか。プロフェッショナルですね。

このギターから「母親」を連想するのは無理ですわね。私には獣が暴れているように聴こえる。まあ一般にロック/ポップスで歪んでサスティンの長い伸びるギターってのは、石原先生の言う「アレ」の象徴ですわね。典型はプリンス殿下のパープルレインですが、ジミヘンとかレッドツェッペリンとかそこらへんからもう本当に長い歴史がある*1。メロディーラインも上昇一方に高まってく感じで異常な感じがします。

まあ実際私が聴き読むところでは、この曲はまさにアレの曲なんよね。最初は偶然指が触れてウハッとなって、次は「不器用なりにわざと指に触れたとき、小さなあたしの体は熱くなる」。この「小さなあたしの体は熱くなる」が誰も間違えようのない曲の頂点*2。そのあとにやっぱりギターが暴れて、aikoもアッハンウッフン言ってるわけで、これが「母親」なんてものだとはどんな意味でも思えない。「おまえの熱くなった小さな体ってどこやねん、言ってみい!」とかたずねるとセクハラになりますね。「知らなかった感情」は(ささいな出来事として/わざと))「指が触れた」ことによって引き起こされた性欲そのものだろう。私の解釈だと、主人公は中学~高校1年程度、学校かバイト先の相手を最初は見てるだけだけどなんかちょっかい出されて指さわられてウハっときて、自分からも指からませたりして。まあ指とかテーブルの下の足とかでそういう反応しちゃうと、結果はあっはんうっふん以外にはありませんわね。ここらへんが石原先生のいう「主体」。先生は高校生向けにぼかしてるけど、「性的な主体」ですよね。自分からセックスしに行く、そういうちゃんとした現代的少女~女性。

一般に、暴れたギターソロの間奏はなにか言えないこと/歌えないことの時間の経過を表わしています。もう言葉にできない世界を楽器が引き受けるのが伝統。そのあとも「あたしはこれからもきっと」はなにかが起こったあともこれからね。「これ以上もう2人に距離が出来無い様に」はまあ1回距離0cmになってみたんでしょう。

だから、石原先生があげてる「成長」っていう物語はおそらく正しいけど、「母親」とか関係するんじゃなくて、おそらく少女から性的に自覚的な女へ成長したことを歌ってるんですわね。

問題は石原先生がひっかかった「守ってあげたい」なんだけど、私はこれ石原先生のように文字通りには読みませんね*3。そもそも石原先生は歌詞カードにひっかかってる。石原先生が挙げてる歌詞カードでは「あなたを守ってあげたいな/あたしなりに知らなかった感情が生まれてく」になってるけど、これじゃ「あたしなりに」が「知らなかった」か「生まれてく」にかかってるのかわからん。「曲をよく聴くと、この部分は「あなたを守ってあげたいな、あたしなりに/知らなかった感情が生まれてく」なんよ。歌詞カードのようにメロディーをまたいで意味の通じるフレーズを続けることは滅多にないんじゃないだろうか。

さて、少女が知らなかった感情とは何か?「守ってあげたい」とかってのは少女はよく感じるものじゃないですかね。人形とか猫とか犬とか赤ちゃんとか。そういう感情を知らずに少女が生活しているとは思えない。この「守ってあげたい」は人形や猫や犬や赤ちゃんに感じるのとは違う、ずっと見つめてたり指が触れたりした相手に対して感じる「守ってあげたい」なわけで、ここに女性の攻撃的な性欲を感じますね。「あたしなりに守りたい」。もしかしたら、もとはもっと露骨な歌詞だったのかもしれず、それを見かけの上で上品にするために「守ってあげたい」にしただけなんじゃないかね、って私は考えちゃう。「あたしなりに、あなたを喜ばせてあげたいな」とか「あたしなりに、あなたをウハウハ言わせたい」とか、まあそんな感じ。まあ「とりあえず一回やりたい」では歌詞にならんです。

まあ私の解釈では、曲想からしても歌詞からしても、これは初恋というよりは初性欲の歌ですわね。それまで漠然としていて、対象の定まってなかった性欲が、特定の相手を見つけてそれだと自分にもわかる状態になった、そしておそらく実行した、それを歌った歌。いやまあ恋と性欲の区別がないところがすばらしいとも言える。もっと別のタイトルの方が適切かもしれないけど、あえて「初恋」にするところがaikoというアーティストの意志とか覚悟とか感じてそれはすばらしいと思う*4

まあ石原先生は「守ってあげたい」に目眩しされてしまったか、あるいは媒体読者が高校生であることを配慮してなにかを抑えたかどっちかでしょう。私の見るところでは、ポップスの歌詞っていうのは、性欲とか憎しみとか嫉妬とかそういう下品ではあるけれどもどうしようもない思いをどうやってポップで口あたりのよい曲にして聞かせるかってので、鑑賞する上でもそういうのをよく考えて聞きたいっすね。その方が楽しめる。

女性の性欲をあつかった歌では”Feel like makin’ love”ってのが有名だけど、これはかなり成熟した女性の歌だし、国内ではこういう少女が最初っから積極的なのはあんまり見たことないですよね。そこらへんがaikoの魅力なんだろうと思う*5

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コメントにお答えして追記

あ、すぐにコメントいただきました。私の書いたものにコメントもらうなんてめずらしい。うれしいなあ。

はじめまして。

歌の分析、なかなかいい感じでした。他人事に分析があるのは当たり前ですから、あなたの分析には素直に面白かったと思いますよ。ただ、私のはあくまで「歌詞」の分析ですから、観点が違います。その点は、きちんと書いてほしかったなあ。

不思議なのは、ある分析に別の分析を批判的に対置する当たり前の批評行為がなぜ「ディする」と表明されるかです。あなたは、批評と批判の区別が付いていないのではないでしょうか。

 

どうもありがとうございます。ありゃもしかして石原先生ご本人かしら。だったらすみませんすみません楽しく読ませていただきました。先生本人じゃなくてもなんか不愉快な思いをさせたらごめんなさい。でもまあとりあえず石原先生本人かどうかってのとテキストは切り離して考えたいと思います。

石原先生の立場は「テクスト論」で、生身の作者とテキストを切り離して、テキストだけを見るって立場なんですよね。作品のテーマみたいなんも作者の「意図」みたいなのと関係なく、読者の方でテキストから読みとれるものを勝手に読みとるってわけで、こういうのは私は好きですね。

また石原先生のこの本での分析が、「「国語」という括り」でのもので、「……僕にその能力もなかったから、メロディーラインへの言及はいっさいなく、歌詞だけの分析となった」(p.8)ってのも残念だけどやむをえない選択であるかと思います。

私にとっての問題は、そういう「いくらでも自由な解釈が可能である」とか「ポップスの歌詞は楽曲と切り離して論じることができる」ってのがどうなんかなあ、ってことで。私は文学批評とか文学鑑賞とかそういうのはまったく疎くてよくわからんのですが、少なくとも歌詞を楽曲から切り離して論じちゃうのはどうなんだろう、それはおかしいのではないか、という批判として上を書いたつもりです。「解釈は多様でかまわない」って方はちょっと微妙。それでいいと思うんだけど、「より優れた解釈」みたいなんはあるんではないかという気はするですね。

私の言いたいことは、歌詞の分析をするときに楽曲の構造やメロディーライン、バックのコード進行、アレンジなんかから切り離してしまうとあんまりよい鑑賞にならんのでないか、ってことですわ。とんでもなく勘違いした解釈をしてしまう可能性がある。

実は昨日は面倒で途中でやめちゃったんですが、他にもこの曲はいろんな仕掛けがしてあって、さすがにNo.1ヒットになる曲は凝ってるものだな、とか思いました。ちょっとだけ書いときましょう。

  • 曲の構成はA B C(サビ)、A B C、A(間奏) B C って形になってる*6
  • Aの部分のコード進行がかなり異常で、Bm7 C#m7 CM7 Bm7 BbM7 AM7とか半音階でうろうろしていて、まあどうやって思いついてるかわらかん感じ。おそらくこういう機能的じゃない不安定な進行で少女の混乱した志向を表している。メロディーラインはいったん上ってから次第に下ってくるいわゆる「ウツパターン」。逡巡している。非常に不安定で歌いにくい、っていうか私正直歌えないです*7
  • Bの部分はアレンジが頭の拍を強調していて、なんか「決断」「決意」「確信」とかそういうのを連想させる。コードやメロディーラインも安定している。
  • Bの終りからCメロは上昇一方でワーグナーの「トリスタン」みたいな感じ。性欲高まっております。カラオケ好きなひとはここウワーって歌うのが好きなんでしょね。
  • 「守ってあげたいな」あたりは2回目のBメロの先頭にあって、まあさっきも書いたようにとても不安定だし、それほどリスナーの耳には意識されない。

とか。まあ非常に複雑な曲ですわ。AIKOとアレンジャーの緊密な打合せとかも感じる。けっしてやっつけの仕事ではない。

で、まあこういうわりと完成度の高い歌をカバーするときは、こんどは歌詞を踏まえた上でアレンジやコードをどう料理するかってのが問題になる。こんな凶暴な曲にしないで、ギターやピアノ弾き語りとかであえて清純な「初恋」の曲にしちゃうってのもありかもしれんようになるわけです。そういうところでミュージシャンの腕や解釈が問われることになる。

 

石原先生のこの『Jポップの作詞術』は実はあんまり類書がない。こういうちょっとアカデミック風味の利いた立場から歌詞を鑑賞するってのがどういうことかってのをやってくれている本は他になかなか見つからんのです。でもそういう数少ない貴重な本の最初の分析例がこれではちょっと困っちゃうんではないか、と。

歌詞と楽曲ってのは、石原先生が考えているよりもはるかに密接に有機的に結びついているものではないか。やっぱり歌詞の分析っていうのは歌詞カードを読むんじゃなくて、何回もその曲を聞いて耳から理解したい。カラオケで何度も歌ってみたり、コード進行ギターでとってみたりしてはじめてわかるもんなんじゃないか。この曲を少女たちはカラオケで何回も歌ってみて、「あれ、自分から指からませてみたりするのはOKなのか」とか「そうそう、小さい体が熱くなるわよね」とかそういうのを理解していったのではないか、「あなたの事が好きー」っていうのに本当に共感したりするのではないか。

そういう意味で、石原先生の『作詞術』ってのは私は試みとして高く評価しているものの、その分析を軽く批判しておいて、その権威をちょっと落としておこうってのが上のを書いた私の「意図」です。単にAIKOの歌詞を石原先生のとは違うかたちで批評して対置してみたり、石原先生の分析を批評しているだけではなく、歌詞を楽曲と切り離して分析しちゃえると考える立場を軽くではあるけど批判してます。そういう意味で「ディス」*8ってるわけです。

まあ歌詞だけとりだして分析するってのもアリといえばアリなんでしょうが、私のような単なるミュージックラバー*9からすると、ちょっとおかしいんじゃね?ってな感じですね。

*1:別に悲嘆を表す伝統もあります。

*2:追記。どこに曲の頂点があるのかってのはやっぱり重要だと思う。そういや昔「野ばら」について http://d.hatena.ne.jp/kallikles/20070614/p2 とか書いた。

*3:追記。一流のアーティストはクリシェもふつうには使いません。

*4:後日記。調べてみるとこの曲は2001年の曲。2年ちょっと前には宇多田ヒカルと椎名林檎がデビューしていて、世代はaikoの方が上だけど女性アーティストとして意識せざるをえなかったと思いますね。宇多田はずばり「First Love」でかなり恵まれた環境で育った女性の(かなり?)年上との典型的な恋愛を歌ってるし、「Automatic」では「あなたの側にいるだけで体中が熱くなる」って言ってる。林檎は「ここでキスして」「歌舞伎町の女王」とかでまあメンヘラビッチを歌っている。「丸の内サディスティック」とかでは「毎晩絶頂に達しているだけ」とかそういう感じですわね。aikoは少なくともこの二人がやっていることを意識せざるをえなかっただろうし、その答がこの曲なんじゃないかと思います。宇多田や林檎ほど環境的に恵まれてはいないふつうの女子高生ぐらいの初恋の歌。

*5:でも正直わたしはよくわからんです

*6:ちょっと不正確です。数えるの面倒だからあとまわし。

*7:初めて聴いたときは再生装置がショボかったので、この人音痴なんじゃないかと思いました。

*8:実際にはこれは本文中じゃ使ってなくて、twitter上で私が勝手な意味で使っている「ディス」なんですが。

*9:Music Rubber。音楽に粘着する人。