昭和七年五月十五日。 晴れていよいよ暑くなりぬ。晡下銀座に徃きて夕飯を食す。日曜日なれば街上の賑ひ一層盛なる折から号外売の声俄に聞出しぬ。五時半頃陸海軍の士官五六名首相官邸に乱入し犬養を射殺せしと云ふ。警視庁及政友会本部にも同刻に軍人乱入したる由。初更の頃家に帰るに市兵衛町表通横町の角々に巡査刑事二三名づつ佇み、東久邇宮邸門前には七八名立ち居たり。如何なるわけあるにや。近年頻に暗殺の行はるゝこと維新前後の時に劣らず。然れども兇漢は大抵政党の壮士又は血気の書生等にして、今回の如く軍人の共謀によりしものは、明治十二年竹橋騒動以後曾て見ざりし珍事なり。或人曰く今回軍人の兇行は伊太利亜国に行はるゝフワシズムの摸倣なり。我国現代の社会的事件は大小となく西洋模倣に因らざるはなし。伊国フアシズムの真似事の如き毫も怪しむに足らずと。或人又曰く。暗殺は我国民古来の特技にして摸倣にあらず。〔此間一行弱切取。以下行間補〕徃古日本武尊の女子に扮して敵軍の猛将クマソ〔以上補〕を刺したる事を見れば、暗殺は支那思想侵入に先立ちて既に行はれたるを知るべしと。この説或は正しかるべし。*


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Last-modified: 2016-08-28 (日) 10:31:29 (272d)