十一月十五日。暁五時半に至り雞啼きて空明くなりぬ。六時頃より風勢少しく衰へ、雨は歇み、西の空に十七八夜頃の残月高く浮び出でたるさま凄惨窮りなし。日高くなりし後も北風歇まず。空晴れてはまた曇る。新聞紙の所報によれば、大正六年九月晦日の大風以後この度の如き大風はなかりしと云(大正六年大風の夜余は木挽町の無用庵に在り小説おかめ笹をかきゐたりしなり)初夜銀座オリンピクに往きて飰す。帚葉子飄然として来る。三原橋にてわかれ、蠣殻町叶屋?に往き山田照子?に逢ふ。

十一月十七日。晴。終日為す事もなし。昏黒銀座オリンピクに往く。偶然中山?鈴木?の二氏(共に東京日々新聞記者)および麹巷の技文千代?に遇ひ卓を共にして晩餐をなす。尾張町にて三人にわかれ、万茶亭に至るに、大日向?神代酒泉の三氏在り。ラインゴルト?の女給数人と汁粉を食して家に帰る。深更雨。

十一月十八日。晴。午後久振にて大石国手土州橋の新邸に訪ひ、診察を乞ふ。不眠症治療のことについて意見を問ひしが今は施すべき術もなしと云ふ。ネルボスタン(薬名)の注射を請ひしが今はその必要もなしとの事に、せむ方なく、其儘辞して去る。菖蒲河岸を歩み永代橋をより電車に乗る。尾張町四辻にて偶然軽邊某?に逢ふ。新富町萬安?(料理店)の近所に男色をひさぐ者あり。御所望ならば御紹介申すべしといふ。軽邊の案内にて其家に赴き見るに、年頃三十位役者の男衆とも見ゆる者取次に出で、二階八畳の間に案内したり。此家の主人は尾上朝之助(本名田中勇夫)といふ役者にて、当人のみならず其他三四人同業の陰間ありと云ふ。又朝之助の妹(名は知らず)は十円にて春を売る由。案内者軽邊?の談なり。朝之助は歌舞伎座の楽屋に出入りする由はなしの中に聞知りたれば、他分余の顔を見知り居るならむと思ひ、唯今他出中なりと妹の言ふを幸、二三日中にまた遊びに来るべしと、祝儀五円を妹に渡し、案内者軽邊?と共にそこ/\に立ち去りぬ。オリンピクにて夕食をとゞのへむと、歩みて豊玉橋のほとりに来し時、また偶然山田お照?といふ私娼に逢ひぬ。誘はるゝがまゝ蠣殻町の待合叶家に往き夕餉を食し、十時頃分かれて西銀座万茶亭に至る。いつもの人々ストーブを囲みて在り。十二時過今夜もまたラインゴルト?の女給数人と汁粉屋梅林?にて雑煮を食し、家に帰る。


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2015-02-23 (月) 06:06:09 (825d)