一月十五日、 快晴、午後笄阜(けいふ)子来訪、哺時中洲に徃く、帰途乗合汽船にて千住大橋に至り、歩みて荒川放水路の長橋を渡る、日既に暮れて宵の明星熒々として水心に浮ぶを見る、半輪の月また中天に懸りたり、橋際に松勢館といふ寄席あり、木戸口に市川新三郎?尾上何某などかきし幟を立て、下足番の男鉢巻をなし印絆纏をきて通行人を呼び招ぐさま、二三十年前市中の寄席を思起さしむ、橋上を過る乗合自働車に乗り南千住三輪の新道路を経て、浅草公園西側より田原町に出づ、市内電車にて銀座に来りオリンピヤ洋食店に飯し、太訝に少憩して家に帰る、

千住晩歩即興
 蒲焼の行燈くらし枯柳
 はだか火に大根白き夜店かな
 渡場におりる小道や冬の草
 水涸れて桟橋なかき渡し哉
 街道のくひ物店や冬の月

*

昭和七年一月廿二日、 快晴、暖気春の如し、午後中洲に徃く、去冬より中洲に赴く日には、その帰途夕飯の頃まで処定めず散策することになしたれば、今日は清洲橋の袂より南千住行の乗合自働車に乗りぬ、浅草橋駒形を過ぎ田原町辺より千束町に出て吉原大門を過ぐ、日本堤は取除かれて平坦なる道路となれり、小塚原の石地蔵は依然としてもとの処に在り、こゝにて金町通の乗合自動車に乗替へ、千住大橋を渡り旧街道を東に折れ堤に沿ひて堀切橋に至る、枯蘆の景色を見むとて放水路の堤上を歩み行くに、日は早くも暮れて黄昏の月中空に輝き出たり、陰暦十二月の十五夜なるべし、枯蘆の茂り稍まばらなる間の水たまりに、円き月の影盃を浮べたるが如くうつりしさま絵にもかゝれぬ眺めなり、四木橋の影近く見ゆるあたりより堤を下れば寺島町の陋巷なり、道のほとりに昭和道玉の井近道とかきたる立札あり、歩み行くこと半時間ばかり、大通を中にしてその左右の小路は悉く売笑婦の住める処なり、小路の間に飲食店化粧品売る小店などあり、売笑婦の家はむかし浅草公園裏に在りし時の状況と更に変るところなし、立寄りて女のはなしをを聞くに、玉の井の盛場は第一区より第五区まであり、第一区は意気向の女多く、二区三区には女優風のおとなし向が多し、祝儀はいづれも一二円なりといふ、路地を出るに商店つゞきたる道曲り曲りて程なく東武鉄道の停留場に達せり、電車より昇降する人甚多し、江東の新開町にて玉の井最繁華となりと見ゆ、雷門より市内電車にて銀座に至れば夜は既に八時なり、オリンピク洋食店に入るに、偶然番街のお歌の丸髷の女連と共に来れるに逢ふ、食事して後別れて酒館太訝に立寄るに、清潭市川八百蔵と共に在るを見る、十一時過家に帰る、空俄にくもりて雨となりぬ、*


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Last-modified: 2015-01-12 (月) 06:08:07 (894d)