正月元日 [旧暦十一月十三日] 朝来同雲黯澹たり、鷲津郁太郎年賀に来る、午後より雪降る、夜小星を訪ひ屠蘇一盞を飲み十一時頃自働車にて帰る、雪歇まず、

正月二日 雪歇みしが空晴れず、終日執筆、夜銀𫝶に徃き亀屋にて食料品を購ひ、藻波にて夕餉を食す、帰宅の後執筆深更に至る、空晴れ寒月残雪を照す、

正月三日 晴れて暖なり、終日机に凭る、夜番街に徃く、

正月四日 晴れて暖あり、午後神楽阪の鶴福に徃き園香を招ぎ夕餉を食して帰る、燈下新年の賀状を閲す、文士画工の年賀を機会となし自家の抱負をれいれいしく広告するもの尠からず、実に厭ふべきもんあり、医者辯護師等の広告がはりに年賀状を出すは職業柄さして厭ふべきことにもあらず、藝術家の自家吹聴に至りては倨傲らしくも見え、またさほどまでにして名を売らずともと浅間しく見ゆるなり、滑稽なるは病中妻に惰筆させましたと書き、或は自家の肖像を印刷せしものなり、されどこれ等のことも今は一般の習慣となりたればこれを笑ふ吾身こそ卻て人より笑はるゝ事なるべけれ、(ここ)に自家吹聴の年賀状の中最甚しきものを挙ぐれば、京都小山下総町南江二郎の葉書は雑誌人形芝居の広告にして自家の研究をいかにもれいれい*しく勿体をつけたるものなり、画家津田青楓の端書には七年ぶりで東京に舞戻つてまゐりました、私ハ矢張動いてゐる東京が性に合ひます来るべき時代に役立つべき青年の指導と私自身の洋画研究とを先年する考です、過去ハ過去として兹に新しい第一歩を踏み出さうと考えます云々とあり、俗気芬々人をして嘔吐を催さしむ、江南文三なるものは自家の写真を印刷し、あまりても憤ろしき世のさまはこれなるつらを見ぐるしくしつ、一九三一年元旦前後と書きたる印刷葉書を送り来れり、元旦前後とは何の意なるや、元旦前は旧臘ならずや、くだらぬ事をわけあり気に仔細らしく理屈ツぽく言ふは今の人の口癖なり、自家吹聴もよし、広告もよし、大風呂敷をひろげるもよし、今少し垢抜けて茶気を帯び諧謔の妙味を感ぜしむれば、見るもの其文才に敬服して亦他を思ふの(いとま)なかるべし、詩人詩仏沈山等の新年口号の如き、蜀山人が年々元旦の狂歌の如き、毫も人をして不快の思をなさしめず、文辞は洗練が第一なり、形式の字句にあらず感情思想の洗練なり、是多年切磋琢磨の余自ら得来るものなり、

正月五日 快晴、暴暖四月の如し、庭上の残雪消えて痕なし、夜番街に徃く、小星この日七庚申に当りしとて柴又帝釈天に参詣せし由、十七夜の月皎々たり、

正月六日 雨、

正月七日 隂、晡下笄阜氏来り訪はる、夜、雨、

正月八日 雪紛々たり、午下神楽阪の鶴福に飲む、園香来る、雪深更にいたるも歇まず、

正月九日 寒雨霏々たり、

正月十日、晴れて風寒し、終日机に(もたれ)る、夜虎の門の金比羅の縁日を看る、

正月十一日、寒気甚しく室内の水道夕方より凍る、夜番街を訪ふ、帰宅の後小説執筆深更に至る、

正月十二日、晴れて寒し、午後園香に逢ふ、夜番街を訪ふ、

正月十三日、午後稲叟園香等と新宿追分の鳥料理かもめに飲む、女中の美なること藝者の如く酒肴亦場末に似ず味ふに足る、新宿辺の繁華実に驚くべし、園香余を送りて家に来り小憩して帰る、

正月十四日、晴、終日執筆、

正月十五日、晴、短編小説紫陽花の稿を脱す、夜番街に飰す、

正月十六日、晡下園香を訪ひ鶴福に飲む、

正月十七日、晴、

正月十八日、晴、夜番街に徃く、

正月十九日、晴、晡下牛込の中河に飰す、

正月二十日、晡下園香を伴ひ神楽阪鶴福に飲む、紫陽花の草稾を中央公論社に送る、夜風吹出でゝ寒し、

正月二十一日、晴、書篋を理す、枕上清三家絶句を読む、

正月二十二日、晴、終日執筆、夜理髪の帰途番街を過訪す、

正月二十三日、晴、終日執筆、

正月二十四日、晴れて風あり、一昨日笄阜子より書肆春陽堂破産の風説を聞きたれば、余が全集紙型版処分に関して問合せをなす、午後園香を訪ひ、番街に立寄りて帰る、

正月二十五日、曇りて風なし、午後揮毫数箋、夜番街を訪ふ、

正月二十六日、曇りて暖なり、明後二十八日駿河台例会の由、

正月二十七日、晴れて北風烈し、

正月二十八日、晴れて暖なり、午後園香を訪ひ中河に飲む、夜杏花子招飲の約に赴く、池田川尻の三子来る、杏花子二月帝国劇場にてロスタンシラノ、ド、ベルジュラクを演ずる由、喜多武清の粉本数巻を借りて帰る、

正月二十九日、快晴、和暖、午前稲叟を訪ふ、午後揮毫二三葉、夜三番町の小星を訪ふ、

正月三十日、晴れて暖なり、午後三菱銀行に徃く、帰途園香を訪ひ夕餉を食して帰る、

正月三十一日、晴れて暖なり、午後小田内?生来訪、数日前南米より帰朝せし由、ブラヂル国リオ市正金銀行支店副長榎本栄二市は、余が二十余年前紐育市同行支店に勤務中相識り人、この度小田内生に託しアマゾン河に生ずる薬草より製造せし不老不死の奇薬を贈らる、色は栗のごとく形は大なる墨の如し、小刀にて削り湯に投じて服するなり、小田内氏は上等の珈琲一鑵を贈らるる、夜市ヶ谷に稲叟を訪ひ、番街に小星を訪ふて帰る、月に笠あり、


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2015-01-26 (月) 01:06:06 (851d)