昭和四年五月廿二日 陰晴定りなし、午下中洲に徃き晡時三番町に立寄る、日の暮るゝを待ちお歌を伴ひ牛込の一酒亭に登りて夕餉をなす、妓を招ぐに若吉?といふもの来る、妓の雑談に、昨日早稲田大学野球負けたるためやけ酒を飲むお客多く昨夜は此頃の不景気に似ず案外いそがしかりしとの事なり、又小説家三上於莵吉先生も昨夜は何とやら云ふ待合にお出でありウイスキイ一罎ほど空にして狂人の如くになり酒席に侍する芸者は誰彼の分かちもなく引とらへ無理やりにウイスキイを飲ませて荒れ狂ひたりと、尚亦妓のはなしによれば、三上先生は五日も十日も流連(=居続け)し気が向く時は茶ぶ台の上にて原稿を書く、一行廿五円になるから安心して居ろと芸者女中等に向ひて豪語する由なり、当世の文士は待合にて女供に向ひ憚る処なく身分職業を打明けるのみならず原稾料の多寡までかくさずに語りて喜ぶものと見えたり、十年前までは斯の如きことは決して無し、予の三田に関係せし頃には折々その当時新進の文士等と共に酒亭に登りしことありしかど、芸者に向つて原稿料の事を口にするが如きものは決して無かりしなり、年々人心の野卑になり行くこと驚くの外はなし、現代の人間の中文士画工及政治家の心中野卑なること最甚しきが如し、芸者や女給女中などは文士議員等に比較すれば遥に品格も好く義理人情をも解するものと謂ふ可し、▼予は久しく文壇の人と交遊せざるを以てかくまでに文士の一般に堕落せりとは心つかず、独り菊池寛山本有三等をのみ下等なる者と思ひ居たりしが、この夜始て予が見解の謬れるを知りぬ、*


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Last-modified: 2015-01-10 (土) 22:45:08 (804d)