十月十四日 晴れわたりて雲なし、晡時中洲に赴く、帰途新大橋にて電車を待ちてゐたりしに年の頃二十五六囲者らしき小づくりの美人、鳥渡お伺ひしますが早稲田行の電車はどこで乗つたら宜しう御座いますかと問ひかける言葉の馴々しく仇めきたる様子、当節のことなればてつきり色を売る者と見て取りし故、わたしも牛込に帰るところなれば途中までお送り申しませうと自働車に載せ、道々車の中にて此方より仕掛けて様子を窺ひ見れば、いよいよ*それにまぎれなしと見定めがつきたる故、津久土八幡前にて車を降り案内知りたる其の辺の横町に入り待合に連込み倶に夕餉をなしぬ、この女その言ふ所によれば人の妾なる由、その言葉使に訛りなければ小石川に生れたりと云ふも虚言ではなきやうなり、江戸川端大曲まで倶に歩みて早稲田行の電車に乗りたれば、戸塚町に住むと云ふも亦偽りにてあらざるべし、苗字は小松と云ふ由、

昭和四年十月十八日 天気牢晴(らうせい)、晡時中州に徃き帰途銀座の太牙楼に憩ふ、楼内寂然として酔を買ふ者なく婦女卓に凭りて仮睡せり、今秋内閣更迭以来官吏会社員の月俸は減少し禁奢の訓令普達せられしのみならず、酒肆舞蹈塲の取締厳格となりしため銀座始め市内の酒舗はいづれも景况落莫たり、本年は揃ひの衣装もつくらぬ由なり、昭和現代の世はさながら天保新政の江戸を見るが如く官権万能にして人民の柔順なること驚くに堪えたり、時勢の如何を論ぜず節約勤検の令はもとより可なり、然れども婦女服飾の如きは盖し末端の甚しきものにて国家富強の直に基因する所は其他に在り。何ぞや、国民の気概と政治家の良心とに在り、此夜明月昼の如し、*

十月廿八日 曇りて風なし、午下中洲に徃く、丸の内にて偶然邦枝氏に逢ふ、晩間微雨三番町に飯して帰る、此日人の噂を聞くに、河原崎長十郎共産党の学生と一座を組織し、一昨廿六日本郷座にて芝居開演せし処、直に其筋より禁止せられしかば昨夜は別の狂言を上場せしかど、是も同じく共産主義宣伝の芝居なれば看客熱狂して不穏の言語を放ち、その為拘引せられしものあるに至りしと云、尤看客は学生及職工のみなりしと云、▼河原崎長十郎はもともと高島屋一座の歌舞伎役者なれど技芸甚拙劣にて、去年歌舞伎座にて羽左衛門勧進帳の弁慶をつとめし時、長十郎山伏になりしが弁慶が踊の邪魔になりて困りたる由、羽左衛門その部屋に長十郎を呼びつけて度々小言をいひたる程なり、されば長十郎も此のまゝにては出世の望なきものと考へたるもの歟、既に数年前より長髪の学生と提携して新劇団を組織し、其の座頭になり、歌舞伎座興行千秋楽の折々新劇の開演をなし、銀座辺のカツフヱーを飲みまはりて切符を売り歩きたり、固より教育なき役者の事なれば共産主義の何たるかを理解し得べき学力とてあるべき筈もなし、されど生来利発にて世才に乏しからず、平生共産党員と交を結びゐるにも係らず余の如き保守主義の文士にも随分如才なく世辞をつかひ、時々は教を受けたしとて煙草の進物など持ち来りしことあり、主義の如何を問はず巧にこれを利用して己の名を売らむとするは独長十郎のみにはあらず、是当代の青年一般の通弊なり、彼等の軽薄不義なるは共産党者より之を見るも宜しく其面上に唾すべきものなり、長十郎が現在の女房は両三年前まで新橋にてかせぎゐたる芸者なり、長十郎よりは余程の年上なり、木場辺の材木問屋の世話になりゐたりしが、長十郎無頼漢にたのみて莫大なる手切金を取り、其家に連込みし悪事の報は覿面にて、女房はその後病み勝ちの身となり長十郎外泊する時は嫉妬して忽狂乱の体となる、是にはさすがの長十郎も当惑し居れる由なり、役者の身にて情婦の旦那をゆすり手切金を取るとは言語道断の悪人なり、*


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Last-modified: 2015-03-10 (火) 07:59:09 (781d)