正月元日 {旧十一月廿一日}晴れてはまた曇る、午後黒雲店を蔽ひ、狂風一陣雪を捲いて咫尺を辯ぜざりしが、日暮に至り空霽れ星出でたり、終日几によりて去年の稿を継ぐ、是日春陽堂主人和田氏、下谷の郁太郎、小石川の村瀬綾次郎等?年賀に来る、晩間山形ホテルに夕餉を飰し、谷町通りを歩みて帰る、燈下列子を読む。

正月二日 空隈なく霽れわたりしが夜来の替えいよいよ*烈しく、寒気骨に徹す、午前机に向ふ、午下寒風を冒して雑司ヶ谷墓地に徃き先考の墓を拝す、墓前の蠟梅今猶枯れず花正に盛なり、音羽の通衢(つうく)電車徃復す、去年の秋頃開通せしものなるべし、去年此の日お歌を伴ひ拝墓の後関口の公園を歩み、牛込にて夕餉を食して帰りしが、今日は風あまりに烈しければ柳北八雲二先生の墓にも詣でず、車を倩ひて三番町に立寄り夕餉を食し、風の少しく鎮まるを待ち家に帰る、夜はわづかに初更を過ぎたるばかりなれど寒気忍びがたきを以つて直に寝につきぬ、

正月初三 晴れたれど寒気甚しければ褥中に在りて列子を読み、午に至りて起き出でぬ、午後短篇小説片おもひの稾を脱す、昏黒三番町を訪ひ初更家に帰らむとする時高伯?撫象の二氏来る、人丸栄龍の二妓を招ぎ飲むで夜半に至る、

正月初四 天気牢晴、寒気日に従つていよいよ甚し、午前中臥褥に在りて列子を読むこと昨日の如し、午下中洲に徃き冬牆子の診察を受く、脚脛の浮腫猶全く去らざるは脚気のためならむと云ふ、帰途銀座に出でしが日早く晡ならむとして風又寒ければ直に家に帰る、燈下旧稾を浄書す、

正月初五 晴れて寒し、終日執筆、夜三番街に徃く、葵山撫象の二氏来り飲む、深夜家に帰る、

正月初六 すこしく暖なり、午後お歌来る、銀座藻波に飰して初更家に帰る、此日寒の入りなり、

正月初七 晴天、風邪吹きいでゝ復びさむし、村口書房の郵送し来りし目録を見るに蜀山人の随筆麓のちり塩田随斎?の遺稾などめづらしきものあり、直に徃きて購はむかと思ひしが思ひ返して止みぬ、晩間風の歇むのを待ち牛門より三番町を訪ふ、此夜妓家酒亭既に門松を取除きたり、

正月初八 晴天昨日に比すれば差暖なり、淮南子を読む、

正月初九 晴れて好き日なり、午後中洲に徃く、脚気猶痊えず尿中蛋白質ありと云ふ、憂ふべきなり、三番町に立寄らむかと思ひしが晩間寒きを以て銀座を歩みて家に帰る、不在中日高笄阜子来訪すといふ、

正月十日 晴れて暴に暖なり、頭痛岑々然たり、勉強して筆を執る、晡時お歌来る、昏黒相携へて銀座に出て銀座食堂に飰す、蛤の吸物味甚佳なり、家に帰りて淮南子を読む、此日不在中小田内?子来訪、生魚一を恵与せらる、

正月十一日 晴れわたりて暖なること春の如し、午後中洲に徃き脚気の駐車をなす、帰途船行、永代橋に抵る、日猶没せざるに水烟既に蒼茫として河上を(こめ)る、黄昏家に帰りて山形ホテル食堂に飰す、給仕人の持来る夕刊新聞紙を見るに、郡部居住の三宅やすといふものゝ家に強盗押入りたる記事あり、三宅やすは婦人雑誌の記者なる由、盗賊に向ひて汝はわが名を知りて此家に押入りかと聞きたヾし、盗賊知らずして入りたる趣を答へしに、三宅は自らその名を名乗りて聞かせし由、新聞の記事に見えたり、固より新聞の伝る所なれば真偽は知るべからず、若し真なりとせば三宅という女は自惚の強いこと驚くべきことなり、一二の雑誌新聞に筆を執れば転嫁万人悉く其名を記憶するものと三宅は思ひゐるものと見えたり、泥棒に向ひてわが名を知れりやと問ふに至りては其の迂愚(うぐ)寧ろ憫むべきの至なり、余は固より三宅なる女を識らず、いかなる雑誌にいかなる文章を出しゐるや更に知るところなし、唯新聞を見てあまりに滑稽*に感じたれば之を記し置くのみ、思ふに当世の女文士または女政治家の如きものはいづれも自惚のつよきことかの三宅某に劣らざるなるべし、

一月十六日 晴天、北風吹き出でゝ復び寒くなりぬ、正午お歌昼餉の惣菜を持ち来る、午後書篋を整理す、昏黒お歌を伴ひ銀𫝶食堂に飰す、寒風歇まず、加ふるに正月十六日の故にや露天の商人出で来らず銀𫝶通行人寥々(りょうりょう)たり、溜池にてお歌に別れ家に帰る、

一月十七日 晴れて北風吹きつゞきぬ。夜三番町を訪ふ、月鎌の如し。

一月十八日 晴また陰、午後中洲に徃く、帰途看山町街の一酒亭に飲む、三番町を過ぎて帰る、

一月十九日 曇りて後に晴る、午後執筆、書篋を整理し春陽堂改造社両書店の一円本を屑屋に売る、金弐拾五円を得たり、夕餉して後三番町を訪ふ、

一月二十日 晴れて寒し、終日机に凭る、昏黒銀座にて食料品を購ひ三番町に徃く、英児撫象梨尾の三子楼上に在りて飲む、妓栄龍染子?人丸等来りて興を(たす)く、三更前一同松莚子の邸に徃く、余車を倩ひて独り家に帰る、是夜一座の談話によるに、過日女記者三宅某の家を襲ひたる強盗は世人の呼んで説教強盗となすものあり、兇器をさしつけながら諄々として因果をふくめ婦女を犯し金を受取りて去るが故に説教強盗と呼ばるゝなりと云ふ、三宅某も陵辱せられたるなり云ふ、又其家に在りし十八歳の女子も犯されたるなりと云ふ、この手段を用る賊始は一二人にてありしが今は之に倣ふもの次第に多くなり、重に郡部の邸宅を襲ふ、辱めを受けたる女子鮮からざる由なり、

〔欄外朱書〕昭和八年十月三十一日説教泥棒岡崎秀之助懲役二十年の刑に処せらる岡崎は賊に説教第二世と云ふ

一月二十一日 晴れて風寒し、興味なけれど筆を執る、午後中洲に徃き診察を乞ふ、尿中の毒依然として有りといふ、帰途銀座を過ぎて三番町に徃き夕餉をなす、杵屋五叟電話にて問安せらる、二更家に帰る、寒気机に向ふ可からず、枕上淮南子を読んで眠る、

一月二十二日 曇りて風なし、雪ならむと思ひしに暮方より風吹き出でゝ晴れたり、午後お歌来りしかば出雲町の藻波に飰し三番町を過ぎて帰る、

一月二十三日 晴れて寒し、正月元日微雪ありしのみにて今日に至るまで一滴の雨もなし、庭の土乾き塵埃樹木の葉につもりて灰の如し、市中道路の塵終日濛々たり、風邪流行すといふ、是日笄阜子の書に接す、鄙稾中央公論の誌上に出でたるを一読したりとて批評を寄せられしなり、

一月廿四日 晴天寒気日に従って益甚し、室内水道の口凍りて水出でず、終日草稾をつくる、初更三番街に徃く、撫象英児梨尾?の三子来りて飲む、妓国丸?千代野?人丸染子?若福?等来る、若福近日郵船にて渡米すべしと云ふ、深更家に帰る、腹痛甚し、

一月廿五日 晴天風寒し、黄塵を衝いて車を中洲に馳す、此日脚気注射を行ふ日なればなり、尿中蛋白質益増加すといふ、帰途三番町に立寄り夕餉をなす、初更撫象子亦来り飲む、

一月廿六日 快晴稍暖なり、晡下お歌来る、銀座食堂に飰し三番町を過ぎて帰る、お歌明日参州豊川稲荷に参拝に赴くべしといふ、

一月廿七日 昨夜風暖なり、晴れて後に曇る、終日草稾をつくる、昏黒車を買つて松莚子の約に赴く、岡田池田二氏あり。清潭市村座稽古のため送れて来る、此夜酒間の談話小山内薫氏亡後のことに及ぶ、こゝに大畧をしるす、小山内氏頓死の際土方与志?後輩の身を顧ず自らせゝり出で、故人の旧友とは何等の相談もなさず勝手の振舞をなし、遺骸を多摩群の墓地に埋葬せり、然るにわれ等の知る所によれば先年故人の母堂死去の折は牛込若松町なる済松寺にて葬式を行ひ、同寺の境内に葬りたり、土方は何故母子処を異にして埋葬せしにや、其意われ等の解するに苦しむ所なり、さて又昨日小山内氏宅にて故人三十日の法会ありし時、松莚子之に赴きしに、水上水上瀧太郎首席に坐し部下の者を引連れ家事の整理をなし居たり、これは故人の妹岡田八千代?の依嘱によれるものなりといふ、そはともあれ、水上は松莚子の来りて挨拶をなすにも係らず、目礼だもなっさず、一言の返答をもなさず、松莚子帰りぎはに、お先に失礼をいたしますと言いて礼をなしたる時も、水上は依然首席に坐したる儘にて一言も物いはず、返礼をもなさゞるといふ、此の無礼傲慢の態度には松莚子も唖然として言ふ所を知らず、又水上の心中をも察しかね今以てあきれ居る次第なりとの事なり、水上は余が慶應義塾?教授たりし頃理済系の学生なりしが、文藝にも野心あり、屢余の教室にも出入せし者なり、その頃には先輩と見れば随分如才なく、先生先生*と下にも置かぬやうに、遠くから帽子をとりし程なりが、学校卒業後西洋にも行き、少しく其名を世に知らるゝや忽一変して此くの如き倨傲無礼の態度をなすに至る、是水上一人のみには限らず、当世の文士は皆斯くの如し、誠に厭ふべきの限りなり、是等の事を聞くにつけても、余は平生文壇の豎子?鼠輩?と交友なき事を自ら賀せざるべからず、

一月廿八日 曇りて寒し、午後中洲に徃く、途中雪降出して歇まず、車に乗りて帰る、夜に入りて雪歇み寒気却て甚し、旧稾を浄写すること(わづか)に二三枚にして早く寝に就きぬ、是日検尿、蛋白質大いに減ずといふ、

一月廿九日 晴れて寒し、旧稾を浄写す、晡時日吉町庄司理髪店に徃き風月堂に飰す、帰途酒館太牙を過ぎて又一酌す、

一月三十日 晴れて寒し、終日草稾を作る、夜三番町を訪ひ夜半に帰る、

一月三十一日 よく晴れてまた寒し、執筆半日、午後睡魔に襲はる、目覚むれば日既に晡なり、夜三番町を問ふ、撫象子来り飲む、撫象英児等昨夜も一昨夜も深更に来りて野暮な遊びをなし、藝者を人間あつかひにせず、玩弄侮辱すること全く色情狂者の行為に似たるものありと云ふ、余お歌の語るところを聞き、今更の如く芝居活動写真等に関係する人間の趣味性行のいかに劣陋野卑なるかを知り、慨歎すること甚し、彼等当世の青年は待合に出入するも藝者の心意気も察せず、お客となる作法も知らず、人情もなく全く醜怪なる獣にひとしきものなり、彼等は今日の劇場に演ぜらるゝ江戸の戯曲を品評し、俳優の技藝を批評すれど、酒の飲み方も知らず遊び方もわからぬやうにては、近松が作りたる梅川小春の心事のわからう筈はなし、(ただ)に江戸文学を解する能力なきのみにはあらず、西洋の騎士精神などといふ事も彼等には到底理解すること能はざるものなるべし、人心の下落せしことも亦甚しきなり、


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Last-modified: 2015-02-07 (土) 05:20:00 (839d)