正月元日 陰暦十二月九日 風なく晴れてあたゝたかなり、起き出でゝ顔洗へば忽にして午砲のひゞきを聞きぬ、年賀の客来たらざるを幸中央公論の草稾をつくる、午後四時二十分大地鳴響きて強震あり、戸外に走出るものあり、元旦この強震そもそも*何の兆なるや、昏黒壺中庵に徃き雑煮餅を食す、夜半半輪の月を仰ぎ見つゝ家に帰る、小波先生の郵書あり、其の近著金色夜叉真相の刊行につきて(つまびらか)にその事情を漏らされたり、書簡の終に思出に若かえるや年忘の一句をしるされたり、

正月二日 晏起既に午に近し、先考の忌日なれば拝墓に徃かむとするに、晴れたる空薄く曇りて小雨降り来りしかば、いかゞせむと幾度か窓より空打仰ぐほどに、雲脚とぎれて日の光照りわたりぬ、まづ壺中庵に立寄り、お歌を伴ひ自働車を倩ひて雑司ヶ谷墓地に徃き、先考の墓を拝して後柳北先生の墓前にも香華を手向け、歩みて音羽に出で関口の公園に入る、園内寂然として遊歩の人もなく唯水声の鞺鞳(たうたう)たるを聞くのみ、堰口の橋を渡り水流に沿ひて駒留橋に到る、杖を留めて前方の岨崖を望めば老松古竹宛然一幅の画図をなす、此の地風景昭和三年に在つて猶斯くの如し、徃昔の好景蓋し察するに余りあり、早稲田電車終点より車に乗り飯田橋に抵り、歩みて神楽阪を登る、日既に来れ商舗の燈火燦然として松飾の間より輝き出るや、春着の妓女三々五々相携へて来徃するを看る、外套の夜色遽に新年の景況を添へたるが如き思あり、田原屋に入りて晩餐をなし、初更壺中庵に帰りて宿す、

正月三日 快晴、終日壺中庵に在り、晡下地震ふこと元日の如し、夜銀座を歩み家に帰る、

正月四日 今日も好く晴れたり、門巷遣羽子のひゞき終日絶る間もなし、午後鵬斎先生文鈔を読む中いつか華胥にあそぶ、夜お歌来る、

正月五日 晴れて風なし、猶甚しからず、中央公論二月号の草稿を嶋中氏の許に郵送す、薄暮寒月を踏んで壺中庵に徃き夕餉を食す、初更家に帰り直に寝に就く、

正月六日 天気牢晴、和気冲融なり、終日鵬斎先生文鈔を読む、晡下銀𫝶を歩み香を購ひ、酒舗太牙に憩ふ、昏暮壺中庵に至り夕餉をなすこと昨夜の如し、二更の後仙石山の細径を歩みて帰らむとするに、寒月の光冴えわたりて屋瓦草木霜気を帯びて斉しく銀盤の如し、此夜路傍の松飾既に取除かれたり、家に帰るに鹿塩秋菊君の葉書あり、初歴高天原の月日かなの一句を書かれたり、此日館の入なり、

正月七日 快晴風あり、金沢市今村君の書を得たり、同市は去年四月大火災に罹り今村君の邸宅亦類焼し蔵書画をも烏有に帰せしめたりと云ふ、夜寒月昼の如し、

正月八日 晴れて風なけれど寒気甚し、午後執筆読書、薄暮散策、銀𫝶風月堂に登りて飰す、帰途壺中庵を過ぐ、阿歌正月なればむかしの朋輩に祝儀をやりたしといふ、余も藝者の姿は正月にかぎるものと思へば、月中に車を走らせて望獄街妓窩に徃く、寒気幸にして昼に比すれば稍ゆるやかなり、車を降り横町横町*を歩みてまず新築の景況を観察す、此の地の妓窩は大正癸亥の災に焼亡し久しく仮普請にて営業しゐたりしが、去年中区区劃整理とやらをなし畢りて、道路はいづれも真直になり、路地の広さも三間ほどになり、自働車の通過自在にして待合は三階建のもの多く、旧観全く一変したり、されば狭斜の名も今はふさはしらからず、宛然公娼の遊廓の如し、都下の妓街は独り此の地のみならず、災後区劃整理をなせし処は道路いづこも直線となり、狭斜特有の憂鬱なる趣は全く失はるるに至れり、今は新橋も柳橋も山手の白山富士見町などゝ変りなく、皆一様になりぬ、寒き夜に足音を忍び、或は雨のふる夜傘のかげに姿をかくし人知れず逢瀬をたのしむなどといふ趣は、復興後の堂々たる花柳界に在つてはいかにも不釣合なる事なるべし、先夜お歌と一宿せし待合に入り、夜もふけしがまゝ暁を待つ事となしぬ、

正月九日 正午壺中庵に帰り、一睡の後家に帰る、空曇りて風なし、日高君片瀬より句を寄せて曰く、不二ばかり暮れ残りけり春の海、是日亦葵山翁の書に接す、

正月十日 曇りて風あり、薄き日影折々窓に映ず、中央公論に送るべき草稿に筆をとること僅二三枚にして日は暮れたり、気候(あかしま)に暖くなりて頭痛を催す、暖炉の火を消して後机上の寒暑計を見るに華氏六十五度を示したり、初更阿歌銀𫝶築紫堂?の菓子茶つふをを持ち来る、暖気夜半に至りてますます*甚しく疎雨(そう)窓を撲つ、阿歌車を呼びて帰りし後、燈下執筆四更に及ぶ、

正月十一日。快晴異例の暖気猶去らず、人々地妖の来らむことを怖る、午後日高君来談、晡下葵山君来る、相携へて銀𫝶に出て太牙に登りて飰す、帰途壺中庵を訪ふ、是日成嶋未亡人?及下谷の姪光代の書に接す、

正月十二日 昨夜寝に就きてより俄に悪寒を感じ今朝に至り気分頗悪し、終日褥中に在り昏々として睡る、晩間木村富子脚色する処のすみだ川謄写摺一冊を読む、すみだ川は余が二十年前の旧作小説なり、昨冬木村婦人夏目先生の小説を脚色して好評を博せしなりとふ、されどすみだ川は脚本には適さざるもの故前の如き大当はいかゞならむ、是日薄晴、風ありて寒し、

正月十三日 病臥昨日の如し、終日いづこよりか知らねど電話のかゝること頻なり、病のため一々起き出でゝ応接するに遑あらず、午後木村君脚本の事につき返書を認めて清潭子の許に送る、夜曇りて風なし、やがて雪となるべし、

正月十四日 曇る、午後光代来談、午後来客を避けゆるゆる*病を養はむと車にて壺中庵に徃きしが阿歌不在なり故空しく帰り来りて直に臥す、木村夫人脚本の事につき復び清潭子の書に接す、

正月十五日 朝来微雪、正午い至つて晴る、風邪半痊ゆ、晩間壺中庵に在り、三村竹清翁の来書に答ふ、竹清翁頃日蜀山人自筆本あやめ草放歌集の二書を獲たりと云ふ、二更の後家に帰り直に寝に就く、

正月十六日 晴れて暖なり、藤間静枝突然書を寄す、書中なまめきたる文字も見ゆ、怪しむべきかぎりなり、午後コレットの作シヱリイを読む、昏黒壺中庵を過ぎ麹坊の待合山弐といふ家に登りて夕餉をなす、内儀はもと北郭の娼なりしといふ、夜半壺中庵に帰りて宿す、是夜温暖春の如し、

正月十七日 晴れて暖なり、終日壺中庵に在り、晡時八幡宮宮門電車通の銭湯に入る、築地の僑居を去りてより殆十年町の湯に入りしことなかりしかば当時の事なにくれとなく思返しぬ、昏黒お歌新籹成るを待ち銀𫝶に出て藻波といふ洋食屋の登りて飲む、番頭池上という者兼てより顔馴染なればなり、室内の装飾家具食器共に清洒(せいしゃ)なり、料理もさして悪しからず出入する客も甚しく野卑ならず、まづは風月堂につぐべき処なるべし、食後新橋より日陰町を歩み壺中庵に帰りてまた宿す、是夜手套をなさざるにも更に寒さを覚えず、

正月十八日 雨霏々たり、午前中能嶋欣一とよべる琴曲の師匠訪ひ来るべき筈なれば、九時過壺中庵を出でゝ家に帰る、中能嶋氏は余が姪光代に琴を教る縁故もあり、又その母なる中能嶋菊子といひて本所一ツ目ニ在りし頃余は竹翁の門人に尺八を携へ菊子女史のさらひの会に徃きたる事もありしなり、それ等の縁故あるも以て中能嶋氏は余に向ひて新曲の歌詞をつくり玉はれかしと言ふ、是日午後愛宕山放送局にて中能嶋松仙同欣一尺八は古童忰にて東獅子を演奏すべしといふ、午後巌谷撫象君来る、木村富子脚色すみだ川本郷座にて興行せらるる*につきてより撫象君稽古監督を依嘱されたりと言ふ、夜に入るも雨やまず、枕につきてより琴曲の歌詞を考へつゞけしかど辞句思ふが如く浮び来らず、遂に打捨てゝ眠る、江戸俗曲の新作につきては余既に持論あり、江戸の音楽は既に完成したる藝術なり、今日新曲をつくらむと欲するのは徒に蛇足を添ゆるに過ぎず、労多くして㓛なきものなり、琴三絃等を手にする藝人は徒に新曲をつくりて名を成さなんと欲するよりも、専心に技藝を磨き従来のあり来りの曲を上手に演奏せむことを其身の勤めと心得べきなり、江戸の音楽は之を譬ふれば恰書道の如きものなるべし、書家にして新に字を作り出す者はなし、書家の事業は一生を費して晋唐古名家の筆法を学ぶに在り、古人の筆法を学び聊かにても之に近寄らむことを一生涯のつとめとなすなり、書の極致は古雅の一言に尽く、古雅の趣は多年手法の錬磨により偶然に得来るものなり、琴三絃の道も全く之と異る所なし、されば清元節を学ぶものは北洲梅の春の如きものを完全に演奏するやうに心懸くべし、琴曲師なれば組歌を完全に演奏するやうに勉むればそれにて能事は畢れるなり、然る時は古曲の中に自ら神秘なる新しき味生じ来りて聴く者をして覚えず耳を傾けしむるに至るべし、余故人藤間勘翁の踊を屢その稽古場にて見し時余が持論の誤りに在らざることを信じたり、されど余が持論は当世の藝人には迎えらるゝものにはらず、故に余は新曲制作の事につきて意見を問はるゝ事ありても口をつぐみて荅へざるなり、

正月十九日 好く晴れて暖なり、昼餉すませし頃日高君改造社出版物のことにつきて来談、晡下銀座太牙に赴き復び日高君と語る、暮夜出雲町洋食店藻波に登りて飰し、庄司に立寄り壺中庵を過ぎて二更後家に帰る、此夜太牙女給仕人の語る所によれば、藤間静枝とその若き情夫勝見某との艶聞放置新聞紙上に掲載せられたり、数日前のことといふ、余は平生新聞を手にせざるを以て何事も知らざりしが、女給の談話によりて数日前静枝余の許に突然寒中見舞の手紙寄越せし所以を知り得たり、

正月二十日。快晴。温暖昨日の如し。正午関君来訪。人形町通舞踏場の景況を語ること頗る精細なり。踊子は警察の取締厳重にて場内にも刑事入込みをるを以て、舞踏の際には客とはあまり口をきかず、唯踊の相手をなすのみなれど、十時かぎり閉場の後は客の誘ふがままにいづこへも行くとのことなり。一夜の相場三拾円位、多きは百円なり。目下東京には人形町の他に日本橋東大工町辺に踊場あり。踊子を雇ひ置く処はこの二箇所のみなりといふ。日の暮れてより西北の風吹きいで門外の打水忽凍る。燈下読書、二更の後寝に就く。

正月廿一日。晴れて風強し。旧臘より中備日報とやら称する地方の新聞社、端書または手紙にて揮毫の催促をなすこと頗急なり。返事の手紙など出す時はかへつて後難を招ぐ虞れあればそのままに打棄てて置くなり。去る年東京の時事新報社創業何年とやらの祝賀紀念のためなりとて、(あまね)く余の文士俳優等の書画を請ひあつめ、数日新聞社の一室につるし置きし後人知れず売棄てになせしことあり。善悪何事かにかかはらず新聞社の催しには関係せざるがよし。終日俳諧註釈集を読む。昏黒壺中庵に行き一宿す。徹宵風歇まず。この日大寒。

正月廿二日 風邪歇みて好く晴れたり、正午起き出で食事して後炬燵に寝そべりうつらうつら*とする程に小窓の障子いつか暗くなりぬ、雑誌の草稿をつくること年と共に興味薄らぎて今はいかに勉強せむと思ひても筆を執ること能はずなりぬ、文筆の興全く索然たる時雑誌記者または青年文士の訪問を受くるはまことに苦痛のかぎりなり、されば壺中庵に隠れて茫然として半日を送るに若かず、夕餉すませて後お歌を伴ひ物買ひにと銀𫝶に出で初更過ぎて家に帰る、

正月廿三日 曇りて暗き日なり、されど一昨日大寒に入りてより晷の永くなりたること稍際立つやうになりぬ、年の改まりし頃には夕方五時にはあたり全く暗くなりてゐたりしが、今は五時半を過ぎざれば窗外昏黒とはならざるなり、午頃画伯小村雪岱氏芝居書割のことにつきて問ひ来られしが、谷町まで煙草買ひに出でたる後にて面晤することを得ず、終日俳諧註釈集所載の七部婆心録を読む、夜雪ふり出でしが須臾にして雨となれり、

正月廿四日 雨歇みて暖なること頭痛を催すばかりなり、正午起出でゝ七部婆心録を読みつゞくること昨日の如し、日も暮れかゝりし頃葵山君問ひ来る、葵山君のはなしに徳嶋日々新聞紙上に博文館が余及び小波先生の手許より版権侵害の賠償金を取立てたる事につき書肆の貪慾を悪む論文出でたりと、但し何人の筆なるや審ならずといふ、又葵山君の談に大橋新太郎の娘先頃毒薬を服して自殺したり、此の娘の実母は元紅葉館の女中なりし例のお須磨なり、大橋の家には以前にも自殺をなしたる男の児あり、これは新太郎が先妻の生みたる児なれど先妻は舅なる大橋佐平と密通しゐたりしため、男親は新太郎なるや又は佐平なるや判明せず、それ等のためかの男の児は精神錯乱して自殺せしなりと云ふ、小説よりも遥に奇怪なるはなしなり、昏黒葵山君と倶に銀座通の洋食店藻波に徃き晩餐をなし、帰途酒肆太牙に憩ふ、葵山君の紹介にて始て報知新聞記者本山萩舟氏と語る、風采質朴なる老人なり、是夜酔客の中裾模様の藝者二三人引きつれ来り盛にシヤンパンを抜*いて豪遊するものあり、一座の中に西洋人もまじりたればまづはブローカーなどいふものなるべし、閉店の時刻来りて始めて席を立ち尾張町四ツ角にて葵山君と別れ電車にて家に帰る、空曇りて風生暖し、

正月二十五日 空晴れわたり、昨日にもまさりて更に暖なり、午後三菱銀行に赴き、去秋改造社及び春陽堂の両書肆より受取りたる一円全集印税金五万円ばかりになりたるを定期預金となす、実は旧臘より今春にかけて手堅き会社の株券を買はむと兼ねてより相知れる仲買にたのみ置きしが、思はしき株なき様子なりしを以て、定期預けとはなせしなり、丸ビル館内を歩み丸善支店にてルネヱ、ボワレーヴの小説二三冊を購ひ家に帰る、川尻清潭氏より来書あり、木村夫人脚色の戯曲すみだ川上演の事につき、明夜市川寿美蔵市川松鳶大谷友右衛門の三俳優と晩餐を倶にすべき催しあれば是非にも出席せよとの事なり、余は去年の暮木村氏夫人が余の旧作を脚色すべき企てあるを耳にせし時より、上場の際稽古に立逢ふこと又は相談会の催しの如き煩累を避けたく思ひゐたりし故、予め其の趣は手紙にて川尻君に伝へ置きしなり、然るにそんな事は知らぬ顔にて万事先方の都合好きやうに取り計らひ、人して結局いや応言はさず先方の計画通りにさせてしまふ手段まことに巧みなるものなり、是芝居道に関係する者の常に用る手段なり、政界には政治家の常用する奸策あり、書肆雑誌社には亦この仲間の常用手段あり、いづれも利のために信義を軽んずること糞土の如し、余はこの度始めて是を心づきたるにはあらず、されど目の当たりその事に遭遇し芝居道の徒輩とは心をゆるして交るべきものに非らざる事をつくづく*感じたるなり、返書を認め明夜宴席に赴かざる事を通知するも無益ならむと思ひし故、そのまゝに打捨て置く事となしぬ、

正月廿六日 快晴暖気例ならず、来訪の客を避けむとて午後より壺中庵に赴きて、ボアレーヴの二人の小説家と題せられし短篇小説集を読む、夕餉の膳に、お歌近所の仕出屋より蒲焼を取よせければ箸を取るに、石炭殻の臭気を帯びたり、思ふに深川養魚池などより捕り来りしなるべし、胸わろくなりて食ふべからず、今日都下の鰻屋にて石炭殻の臭気を帯びさる鰻を料理する店は日本橋の小松、霊厳嶋の大黒屋、明神下の神田川のみなりといふ、但し余は平生鰻を好まざる故人の語る所を耳にするのみ、麹町五丁目に丹波屋といふ鰻屋あり、以前は名高きものなりしが近頃はその絶えてその名を聞かず、

正月廿七日  曇りて暖し、午後より雨降り出しぬ、気候例ならず暖なれば寒の雨とは思はれず、瑞香の蕾多きくふくらみたるに雨のしとしと*と音もなく降るさま春の日の如し、是夜松莚氏の家に例月の酒宴あり、来客は池田川尻の三氏及び余なり、款語夜半十二時に到る、自働車にておくられて家に帰る、松莚君の自働車は之と同種のもの目下東京市中には二三台あるのみにて其の価弐万五千円なりと、楽屋裏にて評判高きものなり、去年の暮新に購はれしものなり、乗心地甚好し、是日午前書肆春陽堂金子九拾五円持参、

正月廿八日 曇りて午後より雨となる、夜に入るも暖気三四月の如し、

正月廿九日 曇天、本郷座稽古を見る心なき故それ等の趣何くれとなく書き認めて巌谷氏の許に送る、終日ボアヴェヱヴの短篇小説を読む、晩間銀座に出で藻波に登りて飰す、帰途壺中庵を訪ふ、風吹き狂ひて寒し、

正月三十日 晴れて寒し、家に在る時は今日あたりは芝居稽古場より出席を迫り来るに相違なしと思ひ、朝の中より西ノ久保の家に徃く、晡時帰宅せむとするに門外の横町に飛白の書生羽織を着たる薄髭の男徘徊し居り、余の顔を一瞥し後をつけ来る様子甚不気味なれば、その儘崖道づたひに住友邸の背後を一周し漸くにして家に入る、夜弦月の光おぼろにして淡霧模糊たり、

正月卅一日 風邪の気味にて伏す、晴れて寒し、


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Last-modified: 2015-02-05 (木) 03:07:51 (779d)