六月初四。晴。『鳩の町』初日。午前十時弁当を携へて大都劇場に至る。寺島町カフェー組合より男女俳優に贈りし幟七流ほど立てられたり。『鳩の町」第二場のところへ余通行人に扮し女優純子と共に出でて景気を添へたり。三十年前有楽座にて清元一枝会開催の時床に上り『落人』を語りしむかしを思出でて覚えず失笑す。今宵も終演後女優らと福島に一茶して小川氏と共にかへる。毎夜吾妻橋前神谷バーの曲角に街娼の佇立(たたず)めるに逢ふ。銀座辺の女に比すればその姿何となく物哀に見らるるも川風寒き土地柄なればなるべし。

六月初五。日曜日。晴。午前永田秀吉竹原荘一氏来話。午後大都劇場。

六月初六。晴。夜雨。

六月初七。雨。午後大都劇場。偶然木戸氏に逢ふ。七時過終演後桜むつ子高杉由美沸け伊勢雄らと共にむつ子の後援者鈴木氏に招がれ広小路裏のとんかつ屋に晩餐を食す。帰途雨甚だし。

六月初八。梅雨濛々。哺下大都劇場。終演後いつもの人々と福島に少憩してかへる。

六月初九。淫雨濛々。午前河出書房編輯員来話。哺時浅草。大都終演後高杉由美橘浩二と福嶋喫茶店に少憩してかへる。枕上服部誠一の『東京新誌』を読む。

六月十五日。晴。午前木戸氏来話。夕刻より浅草。仏蘭西映画La grande Illusionを見る。帰途地下鉄入口にて柳島行電車を待つ。マツチにて煙草に火をつけむとすれども川風吹き来りて容易につかず。傍に佇立みゐたる街娼の一人わたしがつけて上げませう。あなた。永井先生でせうといふ。どうして知つてゐるのだと問返すに新聞や何かに写真が出てゐるぢやないの。鳩の町も昨夜よんだわ。わたし此間まで亀有にゐたんです。暫く問荅する中電車来りたれば煙草の空箱に百円札参枚入れたるを与へて別れたり。*

六月十六日。雨夕刻小ぶりとなるを見浅草に行く。大都劇場終演後桜むつ子橘浩二らと喫茶若松に少憩してかへる。

六月十七日。晴。哺下大都劇場。小川氏と共にかへる。この日全集第九巻梓成る。

六月十八日。晴。夕刻いつもの如く大都劇場に至る。終演後高杉由美子等と福嶋喫茶店に小憩し地下鉄入口にて別れ独電車を待つ時三日前の夜祝儀若干を与へたる街娼に逢ふ。その経歴をきかむと思ひ吾妻橋上につれ行き暗き川面を眺めつゝ問荅すること暫くなり。今宵も参百円ほど与へしに何もしないのにそんなに貰つちやわるいわよと辞退するを無理に強ひて受取らせ今度早い時ゆつくり遊ばうと言ひて別れぬ。年は廿一二なるべし。その悪ずれせざる様子の可憐なることそゞろに惻隠の情を催さしむ。不幸なる女の身上を探聞し小説の種にして稿料を貪らむとするわが心底こそ売春の行為よりも却て浅間しき限りと言ふべきなれ。*

六月廿一日。雨。夕飯の後浅草に至る。東武駅の前曲角に街娼今宵はいつもより多く傘さして行人を呼留むるさま哀なり。*

六月廿五日。晴。後に隂。籾山梓月子書あり。晡下浅草大都劇場。帰途吾妻橋畔にて電車を待つ時その辺に徘徊する街娼多く巡査に捕へらるゝを見る。人だかりに交りて橋畔の派出所を窺ふに過日余に話しかけし女の姿も見えたり。*


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Last-modified: 2015-02-03 (火) 16:50:41 (780d)