九月初九 日曜日、昨夜深更より東南の風烈しく暑気忽夏の如し、五叟の次男日曜日を除きて日々未明に家を出で東京なる暁星中学校に通ふ、途上の所見を語る、小田原御殿場の辺にも米国の進駐軍あり、東京の市中米兵の三々五々散歩するを見ると云、新聞紙上米兵の日本婦女を弄ぶものありとの記事を載す、果して真実ならば曾て日本軍の支那占領地に於てなせし処の仕返しなり、己れに出でゝおのれにかへるもの亦如何ともすべからず、畢竟戦争の犠牲となるものは平和をよろこぶ良民のみ、浩歎(かうたん)に堪えざるなり、今朝東京の旧友某子の書を得たり、其一節に

 十五日以来御家の大事に九太夫と伴内さては師直までうようよと騒ぎ廻る様唯々苦々しき極みに御座候、夷人も追々市内に入込みチラホラ街中にても見受ける様に相成申候、是につれ諸処に暴行沙汰も有之様子にてデマも飛廻り居候へ共如何なるものにや、されたのやさしたのやら、露は尾花と寝たと云ふなどゝ節までつけて唄つてゐた昔の人はやつぱり苦労人に御坐候、停戦に由り軍国官僚の退陣は実に積年の暗雲を一掃して秋晴の空を仰ぐが如く近来の一大快事に▼御坐候、荷風先生の時代遂に到来、万々歳に御坐候、愈々荷風時代を再現せられん事を切望に不堪候、▲老生是から先の進むべき道も五里霧中ぐづぐづと毎日を退屈しながら形勢観望罷在候、云々*

昭和二十年九月廿八日。昨夜襲来りし風雨、今朝十時ごろに至つてしづまりしが空なほ霽れやらず、海原も山の頂もくもりて暗し、昼飯かしぐ時、窓外の芋畠に隣の人の語り合へるをきくに、昨朝天皇陛下モーニングコートを着侍従数人を従へ目立たぬ自動車にて、赤坂霊南坂下米軍の本営に至りマカサ元帥に会見せられしといふ事なり、▼戦敗国の運命も天子蒙塵の悲報をきくに至つては其悲惨も亦極れりと謂ふ可し、南宋趙氏の滅ぶる時、其天子金の陣営に至り和を請はむとして其儘俘虜となりし支那歴史の一頁も思ひ出されて哀なり、数年前日米戦争の初まりしころ、独逸摸擬政体の成立して、賄賂公行の世となりしを憤りし人々、寄りあつまれば各自遣るかたなき憤惻の情を慰めむとて、この頃のやうな奇々怪々の世の中見やうとて見られるものではなし、人の頤を解くこと浅草のレヴユウも能く及ぶところにあらず、角ある馬、雞冠ある烏を目にする時の来るも遠きにあらざるべし、是太平の民の知らざるところ、配給米に空腹を忍ぶ吾等日本人の特権ならむと笑ひ興ぜしことありしが、事実は予想よりも更に大なりけり、我らは今日まで夢にだに日本の天子が米国の陣営に微行して和を請ひ罪を謝するが如き事のあり得べきを知らざらりしなり、此を思へば幕府滅亡の際、将軍徳川慶喜の取り得たる態度は今日の陛下より遥に名誉ありしものならずや、今日此事のこゝに及びし理由は何ぞや、幕府瓦解の時には幕府の家臣に身命を犠牲にせんとする真の忠臣ありしがこれに反して、昭和の現代には軍人官吏中一人の勝海舟に比すべき智勇兼備の良臣なかりしが為なるべし、我日本の滅亡すべき兆候は大正十二年東京震災の前後より社会の各方面に於て顕著たりしに非ずや、余は別に世の所謂愛国者と云ふ者にもあらず、また英米崇拝者にもあらず。惟虐げられらるゝ者を見て悲しむものなり、強者を抑へ弱者を救けたき心を禁ずること能ざるものたるに過ぎざるのみ、これこゝに無用の贅言を記して、穂先の切れたる筆の更に一層かきにくくなるを顧ざる所以なりとす、*


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Last-modified: 2015-01-10 (土) 17:04:48 (895d)