昭和二年七月九日 晴れて風涼し。午前扇面揮毫、午後銀座太牙に立寄り、自働車にて濹上弘福寺に赴き森先生の墓を掃ふ、是日先生の忌日なり、墓前に手向けたる花に大なる名刺さがりてありし故之を見るに慶應義塾大学部教授文化学院教授与謝野寛とあり、先師の恩を忘れず真心より其墓を拝せむとならば人知れず香華を手向け置くも可なるべし、肩書付の名刺を附け置くは売名の心去らざるが故なり、老狐の奸策さてもさても悪むべきなり。是日人足数名墓地内の墓を掘り石を運びゐたり、柩の板とおぼしき腐りたる板を運ぶもあり、大きなる瓶を掘り出さんとするもあり、泥土の悪臭堪えがたきばかりなり、森先生の墓石にもなにやら番号を附けたればやがて他所に移さるゝならん歟、墓地の周囲には芸者家待合櫛比し三囲(みめぐり)稲荷のほとりまで延長したり、花川戸より三囲に渡る橋は未成らず、駒形には粗末なる鉄の釣橋出来上りたり、帰途自働車にて麹坊の湘南舎に上り、妓を招ぎて晩餐を食し一浴して家に帰る、*

七月二十四日 細雨霏々たり、昨日の炎暑に比して今日は肌寒きこと晩秋の如し、寒暖計を見るに正午華氏七十八度を示したり、何となく心地爽快ならず、臥牀に伏して『恕軒遺稿』を読む、薄暮起出で山形ホテルにて食事をなすに、心地少し快くなりしかば、銀座太牙に赴き見るに葵山君既に在りて余の来るを待てり、歌舞伎座狂言方蟹助福蔵?の二人高島屋門弟咲枩と共に来り会す、帰途電車の中にてたまたま鄰席の乗客『東京日々新聞』の夕刊紙を携へ読めるを窺ひ見るに、小説家芥川龍之介自殺の記事?あり、神経衰弱症に罹り毒薬を服せしと云ふ、行年三十六歳なりと云ふ。余芥川氏とは交無し、曾て震災前新富座の桟敷にて偶然席を同じくせしことあるのみ、さればその為人(ひととなり)は言ふに及ばず自殺の因縁も知ること能はざるなり、余は唯ひそかに余が三十六七歳の比のことを追想しよくも今日まで無事に生きのびしものよと不思議なる心地せざるを得ざるなり、家に帰り一浴汗を洗ひて直に枕に就きぬ、雨猶歇まず、お久が身の上の事につきて思ひわづらふ中いつか眠りに落ちたり。*


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Last-modified: 2015-01-16 (金) 13:47:25 (804d)