三月朔 好晴、午後太牙の婢阿久??の二嬌相携へて来る、操といへるは震災の頃新橋の妓なりしと云ふ、霊南坂下喫茶店に入りて茶を啜り倶に銀𫝶に至れば日既に暮る、生田葵?翁来る、夕餉を食して初更家に帰る、夜に入つて余寒甚し、

三月二日 快晴、晡時散歩、夜に入つて春寒厳冬の如し、

三月三日 快晴、余寒忍ぶべからず、終日家に在り、竹田書店?事実文編を送り来る、

三月四日 曇りて寒し、午後雪降りてまた歇む、晩太牙に赴きて飰す、帰途雪紛々たり、燈下詩経衛風を読む、荷風全集第一巻印刷校正摺を関氏の許に郵送す、

三月五日 隂晴定まらず、晩風月堂に飰す、給仕人のはなしに此頃舶来の洋酒の硝子壜の底を巧みに切抜き不良の酒と入れ替へしたるもの多し、横浜辺の商人の為す所なり、ウイスキイ最も多く葡萄酒キユイラツソオ酒之につぐと云ふ、食後太牙楼に立寄り邦枝子に面す、

三月六日 晴れて風寒し、晩太牙に赴きて飰す、大島従弟生田葵翁来る、此夜太牙の婢女高島田或は丸髷に結ふ者多し、まり子といへるもの卓子の傍を過ぎければ、呼び止めて、目に馴れし姿にあらで高島田花の木かけのまり子美し、と紙片にかきて与へしに、似合はずとなげく乙女の高嶋田日本娘のかみならなくにと答へぬ、亦酒間の一興といふべし、二更家に帰り燈下柳北の日誌を編纂す、

三月七日 晴れて稍あたゝかし、晩間太牙を過る、邦枝福田の二子に逢ふ、初更家に帰りて中央公論社依嘱の草稿をつくる、此夜家婢の語る所を聞くに今夕大坂辺自身あり被害甚しと、家婢銭湯にて人の語る所を聞き来りしなり、虚実知るべからず、伝聞のまゝをしるすのみ、

三月八日 関西地方の震災山陰道(もっとも)甚しといふ、此日午後より微雨、夜に至つて風甚し、

三月九日 午後より東南の風烈しく雨滝の如し、日暮に至り風西に転じ勢少しく衰へ、夜に入つて雨も亦歇む、風月堂にて夕餉を食し太牙に立寄りて帰る、途次月を見しが帰宅の後窓外復び雨声あり、此夜暖気初夏の如し、

三月十日 感邪臥牀、晴れて風邪烈し、

三月十一日 晴れて風あり、病いまだ痊えず、

三月十二日 風歇みて暖し、午後湘南亭を訪ひ晩間太牙に赴きて食事をなす、偶然関君に逢ふ、初更前家に帰る、

三月二十日 雨歇まず風亦烈し、大石君の約あるを以て風雨を衝いて中洲病院に赴く、久振りにて診察を請ふ、瘰癧?よろしからず左方の胚尖瘰癧の為に圧下せられ畸形を呈すと云ふ、病院を出るに雨雪に変ず、銀𫝶太牙にて昼飯を食し家に帰る、風雨夜に至つてますます*烈し、彼岸に入りて此の雪を見る、奇なりと謂ふべし、燈下日高浩氏の短篇小説氷雨を読む、

三月廿一日 快晴、晡時邦枝子太牙より電話をかけ来たりしかば直に赴く、日高子在り、大島生田栗島澄子?の良人某氏前後して来会す、此夜生田氏文壇の旧事を語り出して二時間あまりに及び旁人の倦労するを察せず、二更の後諸氏と共に帰る、月あり、春夜の光景愛すべし、燈下[[信夫の文集を読む、

三月廿二日 好晴、窓外の瑞香開く、晩餐の後小石川原町阿部氏の病院を訪ひ電気治療を試む、帰途神田に出て古書肆を歴訪し九段坂を登りて湘南亭に憩ひ妓阿千と飲む、

三月廿三日 微隂風なくして暖なり、終日門を閉ぢて詩経を読む、豳風を畢る、夕餉の後銀𫝶太牙に赴き浜氏と語る、浜氏曾て常磐津文字兵衛につきて常磐津浄瑠璃のけいこす、予は清元薗八など習ひゐたりし頃のことにて折々築地の酒亭田川にて相会せしなり、此夜帰途雨に値う、

三月廿四日 薄暮、晡時銀𫝶庄司に赴きて理髪す、風月堂にて夕餉をなし阿部氏の医院に赴き電気治療をなすこと一昨日の如し、初更家に帰る、


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Last-modified: 2015-03-23 (月) 09:50:39 (734d)