一月初二日曜日。晴。年賀状と共に時勢を痛論する手紙頻々として来る。皆未見の士の寄するところなり。これを総括して其大意を摘録すれば左の如し。*

現政府の方針は依然として一定せず何を以て国是となすや甚不明なり。されどこの度文学雑誌を一括してこれが発行を禁止せし所を以て推察すれば学術文芸を以て無用の長物となすものゝ如し。文学を以て無用となすは思想の転変を妨止し文化の進歩を阻害するものなり。現代の日本を以て欧洲中世紀の暗黒時代に回さんとするものに異ならず。斯の如き愚挙暴挙果して成功するや否や。若し成功せば国家の衰亡に帰着すべきのみ。斯の如き愚挙を断行する国が単に武力のみを以て支那印度南洋の他民族を治め得べきものなるや。現政府の命脉長きに非ざるべし。云々。*

昭和十九年一月十八日。晴。昨夜より風邪気味なり。午後歌川氏細君訪来りて雞卵菓子を饋らる。日も暮近き頃電話かゝりて十年前三番町にて幾代と云ふ待合茶屋出させ置きたるお歌たづね来れり。其後再び芸妓になり柳橋に出てゐるとて夜も八時過まで何や彼やはなしは尽きざりき。お歌中洲の茶屋弥生の厄介になりゐたりし阿部さだといふ女と心やすくなり今もつて徠徃もする由。現在は谷中初音町のアパートに年下の男と同棲せりといふ。どこか足りないところのある女なりと云。お歌余と別れし後も余が家に尋ね来りし事今日がはじめてにはあらず。三四年前赤坂氷川町辺に知る人ありて尋ねし帰りなりとて来りしことあり。思出せば昭和二年の秋なりけり一円全集にて意外の金を得たることありしかばその一部を割きて茶屋を出させやりしなり。お歌今だに其時の事を忘れざるにや。その心の中は知らざれど老後戦乱の世に遭遇し独り旧廬に呻吟する時むかしの人の尋来るに逢ふは涙ぐまるゝまで嬉しきものなり。此次はいつまた相逢うて語らふことを得るや。もし空襲来らば互にその行衛(ゆくえ)を知らざるに至るべし。然らずとするも余はいつまでこゝにかうして余命を貪り得るにや。今日の会合が最終の会合ならんも亦知る可らず。これを思ふ時の心のさびしさと果敢さ。これ人生の真味なるべし。〔以下朱書〕松過ぎて思はぬ人に逢ふ夜かな*

一月念五。細雨霏々。去年十二月末より殆雨なかりしなり。▼凌霜子電話。菅原氏来信。昏暮谷町の混堂に浴す。

 街談録

過日きゝたる或人の所説をしるす。

現代日本のミリタリズムは秦の始皇抗儒焚書の政治に比すべし。ナポレオンの尚武主義とは同一ならず又徳川家康幕府の政策とも決して同様ならず。此の一は基督教国の軍国主義なり。他の一は儒仏二教の上に築かれし軍国主義なり。此点より考察すれば現代日本の軍人政治の何たるかはおのづから明白となるべし。云々。*


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Last-modified: 2015-01-10 (土) 16:57:27 (806d)