九月初一 {旧七月/十日} 晴れまた陰。写真フイルム品切。煙草もこの二、三日品切なり。町の噂に近き中民家にて使用する鉄道器を召し上げられるるとて、鉄瓶釜の如きものは今の中古道具屋に売るもの尠からむ由なり。刻烟草のむ烟管も隠さねばならぬ世の中とはなれり。

[欄外朱書] 市中ノタキシ車数半分位ニナルトイフ。

九月初二。晴れて風すずし。夜浅草漫歩。オペラ館踊子と森永に飯す。

九月初三。晴。日米開戦の噂しきりなり。新聞紙上の雑節殊に陸軍情報局とやらの暴論の如き馬鹿ゝゝしくて読むに堪えず。

九月初六。南風歇まず秋暑甚し。土用中花開かざりし夾竹桃昨今に至り花満開となれり。街頭の流言に過般内閣総辞職の事ありしその原因は松岡外相の魯国于役の際随行せしものの中に間諜ありしがためなりといふ。

〇無題録

今日我国の状態は別に憂慮するに及ばず。唯生活するに甚不便になりたるのみなり。今日わが国において革命の成功せしは定業なき暴漢と栄達の道なかりし不平軍人と、この二種の人間が羨望妬視の極旧政党と財閥、即明治大正の世の成功者を追退けこれに代わりて国家をわがものにせしなり。かつては家賃を踏倒し飲酒空論に耽りゐたる暴漢と、朋党相倚り利権獲得にて富をつくりしは成金との争闘に、前者勝を占めしなり。今日のところにてはいまだ日浅きを以て勝利者の欠点顕著ならざれども遠からずして志士軍人らそれら勝利者の陋劣なること、旧政党の成金と毫も異なるところなきに至るは火を見るよりも明となるべし。幕末西藩の志士の一たび成功して明治の権臣となり忽堕落せしが如き前例もあることなり。ここに喧嘩の側杖を受けて迷惑するは良民のみなり。火事に類焼せしと同じく不時の災難にてこれのみは如何ともする道なく、唯不運とあきらめるより外はなし。手堅き商人は悉く生計の道を失ひ威嚇を業とする不良民愛国の志士となりて世に横行す。されど暴論暴行も或程度に止め置くこと必要なり。牛飲馬食も甚しきに過ぐれば遂には胃を破るべし。隴を得て蜀を望むといふ古き諺もあり。志士軍人輩も今日までの成功を以て意外の僥倖なりしと反省し、この辺にて慎むがその身のためなるべし。米国と砲火を交へたとへ桑港(サンフランシスコ)や巴奈馬(パナマ)あたりを占領して見たりとて長き歳月の間には何の得るところもあらざるべし。もし得るところありとせんか。そは日本人の再び米国の文物に接近しその感化に浴する事のみならむ。即デモクラシイの真の意義を理解する機会に遭遇することなるべし。(薩長人の英米主義は真のデモクラシイを了解せしものにあらず。)

九月七日 {日曜/日} 秋風凉爽。銀座夜歩。街頭の集会広告にこの頃は新に殉国精神なる文字を用出したり。愛国だの御奉公だの御国のためなぞでは一向きき目なかりし故ならん歟。人民悉く殉死せば残るものは老人と女のみとなるべし。呵々。

九月十八日。秋霖霽れず既に袷の時候なり。水天宮門外に漬物屋二軒並びてあり。いづれも品物あしからず。人の噂に梅干もよき物はやがて品切となるべければ今の中の蓄へ置くがよかるべしといふに、今夕土州橋まで行きたれば立ち寄りて購ひかへりぬ。

九月十九日。淫雨晩晴。夕陽紅に天空を染む。出でて浅草に飯す。帰宅後『本朝文粋』を読む。

九月二十日。燈刻芝口に飰して後芝公園を歩む。神明宮祭礼なり。増上寺三門前の老松枯れし後切去られて今は殆なし。御霊屋門際の松も一、二本残れるのみ。これも遠からず枯死すべし。この日晴れて日の光照りわたれり。

九月念一。 {日曜/日} 晴。秋蟬再び啼く。終日困臥。バルビゥッス著ゾラの評伝をよむ。

九月念二。晴。土州橋に徃く。


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Last-modified: 2015-01-10 (土) 13:41:22 (804d)