四月初三。晴れて風烈し。朝『杏花余香』印刷校正。夜芝口の金兵衛に飰す。

四月初四。晴。近鄰の桜花一時に満開となる。鶯頻りに鳴く。哺下土州橋に行きて健康診断を請ふ。帰途銀座に飰す。新橋橋上のビラにもう一押だ我慢しろ南進だ南進だとあり。車夫の喧嘩の如し。日本語の下賤今は矯正するに道なし。

四月九日。春雨瀟ゝたり。終日バーレーの『万国史』をよむ。この書余が少年の頃英語の教科書に用ゐられしことあり。今日たまたまこれを読むに米国人の米国を愛する誠実なる感情藹然として人を動かすものあり。愛国心を吐露せし著述中の最も良きものといふべし。日本にはかくの如き出版物殆なし。

四月十九日。くもりて風冷なり。哺下土州橋病院に至る。院長いつもの如く外来の患者をなほざりにして徃診に出で不在なり。限りある力にて限りなく働かむとするなるべし。帰途電車にて歌舞伎座前を過るにあたかも開場間際と見え観客入口の階段に押会ひ雑沓するさま物凄きばかりなり。劇場の混雑は数寄屋橋日本劇場のみにてはあらずと見ゆ。近年歌舞伎座の大入つづきかくの如き有様にては役人が嫉視の眼もおのづから鋭くなるわけなり。近き中に必制裁の令下るなるべし。観客の風采容貌の醜陋なること浅草六区と大差なきが如し。

四月二十日。晴。冬の洋服にては暑をおぼゆるほどなり。薄暮浅草に行きオペラ館踊子と共に森永に夕餉を食す。この日日曜日の人出浅草は銀座よりも少し。

四月念一。晴。後に陰。

四月念二。くもりて暗きこと秋の如し。薄暮細雨Xの如し。池の端揚出しに夕餉を食す。浅草に行かむとせしが雨また降出せし故電車にて家に帰る。或人よりたのまれし画賛二首を書す。

    椿の画に
 朝がほにまさるあはれは咲くままの
    すがたもかへず散るつばきかな

    人形の画に
 物言はぬ土人形のゑがほこれ
    世わたる道のしるべなるらめ

四月廿九日。朝の中より雨しとしと降りて静なり。西沢一鳳の『伝奇作書』をよむ。燈刻銀座鳩居堂に至り白扇を贖むとするに品切なり。美濃屋にて問へば僅に四、五本残れりといふ。偶然歌川氏に逢ひフロリダ茶店に憩ふ。田舎の婆小娘三、四十人ばかり隊をなし濡鼠となりて入り来るを見る。この人ゝコーヒーを飲み西洋菓子を貪り喰ふなり。現代の世帯人情は最早や論外なり。目を掩ひて見ざるに若かず。

    噂のきき書き

出征軍人の妻また戦死軍人の未亡人に関する醜聞は一切新聞雑誌に記載することを禁ぜらるるを以てかへつてこれをよい事にして淫行をなすもの近頃は甚多くなりしといふ。日本橋区かきながら町に鈴木といふ私娼の置屋あり。この置屋に住込みかせぎゐたる女なにがしといふものは出征兵士の妻なり。夫婦馴合にてかせぎゐたるなり。二年あまりして良人は戦地より帰り私娼の妻と共に上野坂本町辺に家を借り妻の妹を田舎より呼寄せ地獄屋をいとなみをれりといふ[丸]浅草興行町の踊子何某は一座の役者の妻なりしが、その役者招集せられ戦地に赴きし後、他の役者といい仲となり遂に妊娠するに至れり。先夫帰還の際は八、九月にてかくすにも隠されず、離婚にて無事に話はつきたれど踊子は再び舞台へ出ること能はざるを以て、カッフエーの女給となり今は好き自由に客をとりをれりといふ。

四月三十日。午後土州橋より亀戸に至り菅廟に賽す。鳥居前の茶店皆店を閉め葛餅団子その他悉く品切の札を下げたり。藤棚下の掛茶屋にては怪しげなる蜜豆サイダーを売りゐたり。この日風冷にて藤花いまだ開かず杜鶻花のみ満開なり。電車にて浅草に至りしが日なほ暮れず、米作に夕餉を食しオペラ座館に少憩してかへる。


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Last-modified: 2015-01-05 (月) 01:26:43 (876d)