昭和十五年五月初一旧三月廿四日}晴。朝岩波店員来話。掃庭。午後平井来話。黄昏土州橋医院に至る。院長余が自炊の生活過労のおそれありとて頻に入院静養の必要を説く。浅草に行かむと思ひしが院長の忠言を思起し銀座を過りてかへる。余が下女を雇はず単独自炊の生活を営み初めしは一昨々年昭和十二年立春の日よりなれば満三年をすごせしなり。*

五月初二。晴。午後平井君来話花村に飯して銀座を歩む。疲労甚しく全身に水腫あり。昭和三年頃の病状に似たり。 *

五月初三。 晴れて風あり。

〔欄外朱書)諾威(ノルウエー)出征の英仏軍利あらず北走す。*

昭和十五年五月初五{日曜日}薄暮物資買はむとて銀座に至るに晴れし空俄にくもり疾風砂塵を捲く。傘持たねばいそぎ家にかへる。銀座辺の噂に、本月一日例の興亜何とやらと称する禁慾日にて、市中の飲食店休業す。芸者も休みなり。女供この日を書入れとなし市外の連込茶屋また温泉宿へ行くもの夥しく、殊に五月の一日は時候もよき故遊山の女づれ目に立ちしかば、警察署にては女給芸者等を内々に取調ベ、当日遊山に行きしものは営業停止の罰を加へんとすといふ。〔以下十一行強切取。以下欄外補〕巡査等の目には人の遊ぶのがよくよく羨しと見えたり人の遊ぶのはその人の勝手ならずや彼らは袖の下さへ当てにすればよきに非らずや。〔以上補〕*

五月十六日。 晴。南風烈し。午後日高氏来話。夜ひとり浅草に至りて飯す。余は日本の新聞の欧洲戦争に関する報道は英仏側電報記事を読むのみにて、独逸よりの報道〔此問約八字切取。以下行間補〕又日本人の所論は〔以上補〕一切之を目にせざるなり。今日の如き余が身に取りては列国の興亡と世界の趨勢とは縦へ之を知り得たりとするも何の益するところもなく亦為すべきこともなし。余は唯胸の奥深く日夜仏蘭西軍の勝利を祈願して止まざるのみ。ジャンダルクは意外なる時忽然として出現すべし。*

五月十八日。 晴。全集編纂のため旧作を通読す。前日もこれがため徹宵眠ること能はざりき。晡下物買はむとて銀座に徃く。号外売欧洲戦争独軍大捷を報ず。仏都巴里陥落の日近しと云ふ。余自ら慰めむとするも慰むること能はざるものあり。晩餐もこれがために全く味なし。燈刻悄然として家にがへる。*

昭和十五年五月二十九日。晴午後土州橋に至る。夜菅原氏来話。RenéDumesnil:PortraitsdeMusisiensfran?çais(1938)を貸与せらる。先月来水道の水不足にて銀座築地辺二階に水上らず水洗便所使用すること能はず。不便甚だしと云ふ。

〔欄外朱書〕清元栄寿大夫没年四十六

〔欄外朱書〕92 白耳義(ベルギー)国王独軍門二降ル。*

五月三十一日。 晴れて蒸暑し。夜平井氏と銀座に会す。〔此問二行切取。以下欄外補〕独軍の勝利につれ日本新政府の横暴益甚しからむことを慮り岩波より〔以上補〕出版すべき余が全集中には『冷笑』『監獄署の裏』の如き作品は刪除して収截せざることゝせり。明一日には市中の芸者遠出する事を禁ぜらる。*


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Last-modified: 2016-08-28 (日) 10:14:24 (214d)