九月初一{旧七月十八日} 晴また陰。起きて顔滌へば正午なり。此日また禁酒禁姻の令あり。ラヂオ頻に君が代を奏す。燈刻{七時}花村に夕飯を喫して浅草に至る。公園の興行物午前より大入なりと云ふ。木村時子花岡某等と森永に小憩してかへる。*

九月初二。 午後平井君来る。閑話昏暮に至る。共に出で、数寄屋橋にて別れ、有楽町停車場にて一昨日約束せし女に逢ふ。共に銀座を歩み芝口の安飲屋千成に飯す。帰途明月皎然たり。此日新聞紙独波(=ポーランド)両国開戦の記事を掲ぐ。シヨーパンとシエンキイツツの祖国に勝利の光栄あれかし。*

九月十四日。 晴。暑気昨日の如し。午後銀座第百支店及土州橋病院に至り浅草の米作に飯す。この店は料理あまり安き方ではなし。一汁三菜にて一人前大低二三円を要す。然るに客の風采を見るに小商人または小工場の主人らしきもの多く、其中には家族づれにて酒盃を傾るものもあり。この有様は戦争の禍害を示すものにあらず寧その利福を語るものなるべし。*

昭和十四年九月十五日。 黄昏花村に至り夕飯を喫して後、三越店頭に立ちて電車を待つ。女の事務員売子等町の両側に群をなして同じく車の来るを待てり。飄々たる薄暮の涼風短きスカートと縮らしたる頭髪を吹き飜すさま亦人の目を喜ばすに足る。余は現代女子の洋装を以て今は日本服のけばけばしき物よりも遥に能く市街の眺望に調和し、巧に一時代の風俗をつくり出せるものと思へるなり。見るからに安ツぽききれ地の下より胸と腰との曲線を見せ、腕と脛とを露出して大道を潤歩するその姿は、薄ツペらなるセメントの建物、俗悪なるネオンサインの広告、怪し気なるロータリーの樹木草花などに対して、渾然たる調和をなしたり。之を傍観して道徳的悪評をなすは深く現代生活の何たるかを意識せざるが故なり。〔以下一行半切取〕*

九月十九日。晴雨定りなし。晡下浅草玉の井を歩み日本橋に飯してかへる。谷中氏電話あり。銀座に至るに常盤座踊子三人谷中氏と共に在り。梅林に入りて笑語す。 〔欄外朱書〕独露両国ノ兵波蘭土ヲ占領ス*

昭和十四年九月二十一日。 昨日の涼しさに似ず残暑再び燬(や)くが如し。終日鄰家のラヂオに苦しめらる。燈刻出でゝ花村に飯し銀座を歩む。驟雨を独逸猶太(ユダヤ)人の茶店に避けてその霽るゝを待つ。家へかへれば既に十時なり。此夜尾張町のあたりに酔漢多く、{この間約半行切取。以下行間補}軍人の徃々女子を携ふ{以上補}るを見る。醜態憎むべし。余は平生より日本人の酒に酔ひたる程見苦しくまた厄介なるものはなしと思へるなり。厄介とは傍人に迷惑をかけながら毫もこれに心づかざることを謂ふなり。酔漢の中には半ば心づきて居るものもあれど、酒の上の暴言乱行は許さるべきものと承知の上にて敢てするもの尠からず。横着甚だしきものなり。日本の酔漢はおのれ一人酔ふことを好まず、必ず傍人に盃を強ひる癖あり。其の心理は明かに解釈しがたけれど、遺伝の陋習与つて力あるものゝ如し。人の家に不幸ありし時、吊悼のために集り来る日本人の通夜をなすと称して徹宵飲酒口論をなす有様を見なば{此間一行弱切取。約五字抹消。以下行間補}事自ら明かなるべし{以上補}。概して日本人は各個性の趣味嗜性の如何については考慮する余祐なく、唯おのれの好むものを人に強ゆること、恰も保険会社勧誘員の喋々呶々(どど)するに似たり。戯作者式亭三馬が四十八癖を著して酔人を罵りしは百五六十年もむかしの事なり。今日昭和戦勝国の酔漢を見るに、一世紀以前の状態と更に異るところなし。兇暴なる行為は却てそれよりも甚しくなれり。〔以下八行弱切取〕*

九月念五。 晴。晡下土州橋より浅草に徃く。帰途電車内にて酔漢の嘔吐するもの二人あり。女車掌これを見るや直様袋に入れたる砂を持来りて汚物の上にまきちらすなり。袋入の砂は平生車中に用意してあるものと見えたり。世界中いづこの街にも此の如き乗客を見ることは稀なるべく、此の如き準備をなせる車を見ることも亦絶無なるべし。{以下三行強切取。以下欄外補}余は此の如き醜態を目撃する毎にこの民族の海外に発展することを喜ばざるものなり。〔以上補〕*


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Last-modified: 2015-01-10 (土) 15:49:36 (894d)