七月初一{旧五月十五日}くもり蒸暑し。手箱にしまひ置きし煙草入金具の裏坐に金を用ひしものあるに心付き、袋より之を剥ぎ取りて五六個紙につゝみたり。思返せば大正三四年の頃袋物を好み煙草入紙入などあまた作りしことありき。表の金具はもとより金ぴかの物を忌み、素赤また四分の一銀などを選みしが其裏座の周囲には幅輪とか称して十八金の用ひしものなきにあらず。故に之を剥取り紙に包み晩間再び吾妻橋の上より浅草川の水に投棄てたり。むざむざ役人の手に渡して些少の銭を獲んよりはむしろ捨去るに若かず。拾取りしものゝ之を政府に売りて銭に換るは其人思ひのまゝなり。広小路松喜の店口に顔馴染の女中立ち居たれば入りて夕飯を喫す。オペラ館楽屋口に至るに菅原明朗氏来れる由、知らすものありたれば、避けて池の渚の藤棚に憩ふ。須臾にして一人の踊子楽屋の裏口より顔を出し、演芸既に終りいつもの如く稽古始りし由を報ず。西川千代美及幕内の男鰐と綽名せらるゝ者と共に森永喫茶店に至るに、菅原氏其妻智子等四五人の姿見えたれば、かけ放れたる裏口のテーブルに坐して茶を喫す。此夜千束町浅間神社の縁日にて公園一帯に賑なり。*

七月八日 晴。ますます暑くなりぬ{摂氏三十度}夜八時過銀座に飯して浅草に徃く。昨夜公園の飲食店はいづこも混雑甚しく十時過ぎても客の出入絶えやらず。酒を飲むものも多かりしといふ。

昨日岡崎のはなしに、去月中銀座西二丁目辺裏通にて陸軍士官一人通行人と口論をなせし最中、何人とも知れず後より士官の佩刀を抜きて持逃げせし者あり。警察署及び憲兵隊より銀座西二三丁目の家々に触を廻し、右仕官の刀見附次第届出つべき旨申渡せしが今以て不明の由。*

昭和十四年七月十日 くもりて風涼し。朝早く土州橋に至り丸の内を過りてかへる。町の辻々到る処に排英演説会の立札を見る。文久年間横浜焼打のころの世に似たり。此日の新聞に戸川秋骨君{名明三}病没の記事あり。行年七十歳と云ふ。

〔欄外朱書〕戸川秋骨没年七十*


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2015-01-10 (土) 15:43:04 (835d)