昭和十二年九月八日。 南風吹きすさみ塵烟濛々たり。朝の中より民衆歓呼の声遥に聞こゆ。晡下午睡より覚めて顔を洗ひ居たりし時、勝手口に案内を請ふものあれば戸を開き見るに、従兄永井素川氏なり。ケントン夏服にパナマ帽をかぶりたり。西大久保伯母上危篤なれば直に余が車に乗りて共に行かるべしと云ふ。何はともあれ一寸顔を出されたし、是僕が一生の御願なりなど、言葉軽く誠に如才もなき勧め方なり。余は平生より心の底を深く覚悟する所あれば、衣服を改め家の戸締りなどして後刻参上すべければ御安心あるべしと、体よく返事し素川君を去らしめたり。風呂場にて行水をなし浴衣のまゝ出でゝ浅草に至り松喜に夕餉を食し駒形の河岸を歩みて夜をふかし家にかへる。*  

九月九日。 晡下雷鳴り雨来る。酒井晴次来り母上昨夕六時こと切れたまひし由を告ぐ。酒井は余と威三郎との関係を知るものなれば唯事の次第を報告に来りしのみなり。葬式は余を除き威三郎一家にて之を執行すと云ふ。共に出でゝ銀座食堂に夕飯を食す。尾張町角にて酒井と別れ、不二地下室にて空庵小田某他の諸氏に会ふ。雨やみて涼味襲ふがごとし。

〔以下欄外朱書〕母堂鷲津氏名は恒文久元年辛酉九月四日江戸下谷御徒町に生る儒毅堂先生の二女なり明治十年七月十日毅堂門人永井久一郎に嫁す一女三男を産む昭和十二年九月八日夕東京西大久保の家に逝く雜司谷墓地永井氏塋域に葬す享寿七十六

    追悼
 泣きあかす夜は来にけり秋の雨
 秋風の今年は母を奪ひけり

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九月十三日。 晴。午後写真機を提げて芝山内を歩む。怠徳院廟の門前を過きむする時、通行の僧余を呼留め増上寺境内に兵士宿泊するがため其周囲より山内一円写真を撮影することを禁じたり。憲兵に見咎められて写真機を没収せられぬやう用心したまふべし、と言ふ。余深くその忠告を謝し急ぎて大門を出づ。芝神明宮祭礼にて賑なり。家にかへり午睡一二時間。岩波書店編輯掛佐藤氏来り『濹東綺譚』五千部印税金千四百七拾円小切手を渡さる。又旧作『腕くらべ』改板の校正摺を示す。夜銀座ふじあいすに夕餉を食す。安藤千香歌川酒泉の四氏に逢ふ。帰宅の後校正摺を一閲す。*


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Last-modified: 2016-06-23 (木) 21:16:44 (310d)