昭和十二年四月十五日。晴れたる空暮方に至り俄にかきくもりて雨そそぎ来る。燈刻銀座不二氷菓舗に飯して帰らむとする時雨車軸を流すが如し。三丁目ふじあいす地下室に入るに安東氏?在り。千香女史?ついで来る。拙作『綺譚』朝日紙上に出でたりと云ふ。帰途新橋にて清潭翁の来るに会ふ。夜半雨霽る。

▼[欄外朱書]『濹東綺譚?』此日ヨリ『朝日新聞』ニ連載*

昭和十二年四月三十日。 くもりて南風つよし。午後村瀬綾次郎?来りて母上の病すゝみたる由を告ぐ。されど余は威三郎が家のしきみを跨ぐことを願はざれば、出でゝ浅草を歩み、日の暮るゝをまち銀座に飯し富士地下室に憩ふ。いつもの諸氏の来るに会ふ。是日平井程一氏{佐藤春夫門人}書を寄す。拙作『濹東』についての批評なり。

    余と威三郎との関係

一 威三郎は余の思想及文学観につきて苛酷なる批評的態度を取れるものなり。
一 彼は余が新橋の芸妓を妻となせる事につき同じ家に住居することを欲せず、母上を説き家屋改築の表向の理由となし、旧邸を取壊したり。余が大正三年秋余丁町邸内の小家に移りしはこれがためなり。邸内には新に垣をつくり門を別々になしたり。
一 余は妓を家に入れたることを其当時にてもよき事とは決して思ひ居らざりき。唯多年の情交俄に縁を切るに忍びず、且はまた当時余が奉職せし慶応義塾の人々も悉く之を黙認しゐたれば、母上とも熟議の上公然妓を妻となすに至りしなり。
一 彼は大正五年某月余の戸籍面より其名を取り去りて別に一家の戸籍をつくりたり。これによりて民法上兄弟の関係を断ちたるなり。
一 彼は結婚をなせし時其事を余に報知せず。(当時余は築地に住居せり)故に余は今日に至りても彼が妻の姓名其他について知るところなし。
一 余が家の書生たりしもの{先考の学僕なり}の中、小川守雄米谷喜一の二人は母上方へ来訪の際、庭にて余の顔を見ながら挨拶をなさゞりことあり。是二人は平生威三郎と共に郊外遠足などなし居りし者なり。
一 地震{大正十二年}の際、余母上方へ御機嫌伺に上りし時、威三郎の子供二人余に向ひて「早く帰れ早く帰れ」と連呼したり。子供は頑是なきものなり。平生威三郎等が余の事をあしざまに言ひ居るが故に子供は憚るところなく、此の如き暴言を放ちて恐れざるなり。
一 以上の理由により、余は母上の臨終及葬式にも威三郎方へは赴くことを欲せざるなり{威三郎一家は母上の隠居所に同居なせるを以てなり}
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Last-modified: 2016-08-28 (日) 10:05:00 (210d)