三月十八日。くもりて風寒し。土州橋に徃き木塲より石塲を歩み銀座に飯す。家に帰るに郁太郎より手紙にて、大久保の母上重病の由を報ず。母上方には威三郎の家族同居なすに以て見舞にゆくことを欲せず。万一の事ありても余は顔を出さゞる決心なり。これは今日俄に決心したるにはあらず。大正七年の暮余丁町の旧邸?を引払ひ築地の陋巷に移りし際、既に夙(はや)く覚悟せしことなり。余は余丁町の来春閣?を去る時其日を以て母上の忌日と思ひなせしなり。郁太郎方へは二十年むかしの事を書送りてもせんなきことなれば返書も出さず。当時威三郎の取りし態度のいかなるかを知るもの今は唯酒井春次一人のみなるべし。酒井も久しく消息なければ生死の程も定かならず。*


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Last-modified: 2015-01-10 (土) 15:17:18 (804d)