昭和十一年五月十六日。曇りて風甚冷なり。晡時佐藤春夫氏来る。三笠書房出版『荷風読本』のことにつきてなり。夜銀座に徃き不二あいすに飯す。帰途また雨。

  玉の井見物の記

初めて玉の井の路地を歩みたりしは、昭和七年堀切四木の放水路堤防を歩みし帰り道なり。其時は道不案内にてどの辺が一部やら二部やら方角更にわからざりしが、先月来屢散歩し備忘のため略図をつくり置きたり。路地内の小家は内に入りて見れば、外にて見るよりは案外清潔なり。場末の小待合と同じくらゐの汚なさなり。西洋寝台を置きたる家尠からず、二階へ水道を引きたる家もあり。又浴室を設けたる処もあり。一時間五円を出せば女は客と共に入浴すると云ふ。但しこれは最も高価な女にて、並は一時間三円、一寸の間は壱円より弐円までなり。路地口におでん屋多くあり。こゝに立寄り話を聞けば、どの家の何といふ女はサービスがよいとかわるいとか云ふことを知るに便なり。七丁目四十八番地高橋方まり子といふは生れつき淫乱にて若いお客は驚いて逃げ出すなり。七丁目七十三番地田中方ゆかりと云ふは先月亀井戸より住替に来りし女にて、尺八専門なり。七丁目五十七番地千里方智慧子といふは泣く評判あり。曲取の名人なり。七丁目五十四番地工藤方妙子は芸者風の美人にて部屋に鏡を二枚かけ置き、覗かせる仕掛をなす。但し覗き料弐円の由。警察にて撿梅をなす日取りは、月曜日が一部。火曜日が二部。水曜日が三部と云ふ順序なり。撿梅所は玉の井市場側昭和病院にて行ふ。入院患者大抵百人以上あり{女の総数は千五六百人なり}入院料は一日一円なり。女は抱えとは云はず出方さんといふ。東北生れの者多し。越後の女も多し。前借は三年にて千円が通り相場なり。半年位の短期にて二三百円の女も多し。此土地にて店を出すには組合へ加入金千円を収め権利を買ふなり。されど一時にまとまりたる大金を出して権利を買ふよりも、毎日金参円ヅゝを家主又は権利所有の名義人に収める方が得策なり。寝台其他一切の雑作付きにて家賃の代りに毎日参円ヅツを収るなり。其他聞く処多けれど略して記さず。

▼〔欄外墨書〕氏神祭礼六月六日より七八日白髯明神及長浦の某神社合祭の由

〔欄外朱書〕東清寺境内玉の井稲荷の縁日は毎月二日と二十日となり此縁日の夜ハ客足少き故女達ハ貧乏稲荷といふ由▲

〔欄外朱書〕毎日参円ヅゝ出すといふは家一軒の事に非ず自前でかせぐ女が張店の窓一ツを借る場合の事なり家の主人に毎日参円ヅゝ渡シ前借ハせず自由にかせぐ事を得る規約ありと云ふ*


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2015-01-10 (土) 14:06:04 (804d)