昭和十一年四月十日。新聞の雑報には連日血腥きことばかりなり。昨九日の新聞には小学校の教員其友の家にて或女を見染め妻にせんと言寄りしが、娘承知せざれば教員は直に女の親元に赴き掛合ひしが同じく断られたり。教員は警視庁人事相談掛のもとに到り相談せしに、是亦思ふやうに行かず、遂に殺意を起し劇薬短刀等を持ち娘の家に乱入せしところ、娘は幸外出中にて教員は家人の訴により其塲にて捕へられたりと云ふ。乱暴残忍実にこれより甚だしきはなし。現代の日本人は自分の気に入らぬ事あり、また自分の思ふやうにならぬ事あれば、直に凶器を振ツて人を殺しおのれも死する事を名誉となせるが如し。〔此間三行抹消。以下行間補〕過日陸軍省内にて中佐某の其上官を刺せしが如き事に公私の別あれど之を要するにおのれの思ひ通りに行かぬを憤りしが為ならずや〔以上補〕人生の事若し大小となくその思ふやうになるものならば、精神の修養は無用のことなり。むかし屈原は世を憤りしが人を殺さず、詩賦を貽(のこ)して汨羅(べきら)の鬼となりき。〔此間一行弱抹消。以下行間補〕現代日本人の暴悪残忍なるは真に恐るべし〔以上補〕今朝の新聞には市内の或銀行の支配人にて年既に五十を越えたるが、借金に苦しみ其妻と其子三四人を死出の旅の道づれとなせし記事あり。〔此間一行弱抹消。以下行間補〕邦人の残忍いよいよ甚だしく其尽る処を知らず〔以上補〕此世はさながら地獄の如くになれり。是日陰。風寒きこと厳冬の如し。*


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Last-modified: 2015-01-10 (土) 14:05:00 (806d)