二月四日。朝十時頃より雪降り来り夜に入るも歇まず。大風起り夜十時頃電燈消滅す。雪あかりに裏窓より赤坂辺を望み見るも終夜一点の燈影なし。この日節分なり。ふと思出せしことあり。節分の日大雪にて車も通ぜず歩行すること能はざりし話を、かつて芝派の女師匠芝加津といふ老婆より聞きしことあり。明治十六、七年のころの事なるべし。翌朝出入口の雨戸をあけむとせしも雪つもりて容易にあける事能はざりしといふ。

二月五日。晴。薄暮銀座食堂に飰す。この日夕刻に至るも道路の雪を取捨てたる処なきため電車の通行稀なるに乗合自働車も悉満員にてこれまた乗るべからず。円タクの賃銭いつもより二、三倍高くなれり。昨夜芝居見物の客は歌舞伎座はじめいづこも桟敷廊下等に宿泊せしといふ{この日立春}

二月六日。晴。寒気ややゆるやかなり。終日読書。夜もまた家にあり。名月残雪を照らす。

二月七日。くもりて雪少しく降りしが暮方に歇む。

二月八日。正午の頃より雪降り来る姑くにして雨となる。

二月十四日。晴れて風静なり。この頃新聞の紙上に折々相沢中佐軍法会議審判の記事あり。〔この間一行抹消。以下行間補〕相沢は去年陸軍省内にてその上官某中将を斬りし者なり。新聞の記事はその〔以上補〕最も必要なる処を取り去り読んでもよまずともよきやうな事のみを書きたるなり。されど記事によりて見るに、相沢の思想行動は現代の人とは思はれず、全然幕末の浪士なり東禅寺英国公使館を襲ひあるいは赤羽河岸にヒュウスケンを暗殺せし浪士とは根本において異る所あり。余は昭和六、七年来の世情を見て基督教の文明と儒教の文明との相違を知ることを得たり。浪士は神道を口にすれどもその行動は儒教の誤解より起り来れる所多し。そはともあれ日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なき事の三事なり。政党の腐敗も軍人の暴行もこれを要するに一般国民の自覚に乏しきに起因するなり。個人の覚醒せざるがために起ることなり。然りしかうして個人の覚醒は将来においてもこれは到底望むべからざる事なるべし。〔以下六行抹消〕

二月廿四日。昨夜霽れわたりし空再び曇りて風また寒し。午後徒らに眠を貪る。燈刻銀座に徃かむとせしが顔洗ふが面倒にて家に留り、夕餉の後物書かむと机に向ひしが何といふ事もなく筆とるに懶く、去年の日誌など読返して徒に夜をふかしたり。老懶とは誠にかくの如き生活をいふなるべし。芸術の制作慾は肉慾と同じきものの如し。肉慾老年に及びて薄弱となるに従ひ芸術の慾もまたさめ行くは当然の事ならむ。余去年の六、七月頃より色慾頓挫したる事を感じ出したり。その頃渡辺美代とよべる二十四、五の女に月〻五十円与へ置きしが、この女世に稀なる淫婦にてその情夫と共にわが家にも来り、また余が指定する待合にも夫婦にて出掛け秘戯を演じて見せしこともたびたびなりき。初めのほど三、四度は物めづらしく淫情を挑発せらるることありしが、それにも飽きていつか逢ふことも打絶えたり。去月二十四日の夜わが家に連れ来りし女とは、身上ばなしの哀れなるにやや興味を牽きしが、これ恐らくはわが生涯にて閨中の快楽を恣にせし最終の女なるべし。色慾消磨し尽せば人の最後は遠からざるなり。依てここに終焉の時の事をしるし置かむとす。

一余死する時葬式無用なり。死体は普通の自働車に載せ直に火葬場に送り骨は拾ふに及ばず。墓石建立また無用なり。{新聞紙に死亡広告など出す事元より無用}
一葬式不執行の理由は御神輿の如き霊柩自働車を好まず、また紙製の造花、殊に鳩などつけたる花輪を嫌ふためなり。
一余が財産は仏蘭西アカデミイゴンクウルに寄附したし。その手続は唯今の処不明なり。余が家は日本の法律にて廃家する事を得ず。故に余死する時家督相続人指定の遺書なければ法律上余が最親の血族者に定まるなり。余は余が最親の血族者が余の志を重じ余が遺産の全部を挙げて仏蘭西のアカデミイに寄附せられむことを冀ふなり。
一余は日本の文学者を嫌ふこと蛇蝎の如し。
一余が死後において余の著作及著書に関することは一切これを親友〔この間約六字切取〕の処置に一任す。
一余が死後において、余の全集及その他の著作が中央公論社の如き馬鹿〻〻しき広告文を出す書店より発行せらるることを恥辱と思ふものなり。
一余は三菱銀行本店に定期預金として金弍万五千円を所有せり。この金を以て著作全集を印刷し同好の士に配布したしと思ふなり。

夜も既に沈々としてふけ渡りたれば遺書の草案もこれにて止む。

二月廿六日。朝九時頃より灰の如きこまかき雪降り来り見る見る中に積り行くなり。午後二時頃歌川氏電話をかけ来り、〔この間約四字抹消。以下行間補〕軍人〔以上補〕警視庁を襲ひ同時に朝日新聞社日〻新聞社等を襲撃したり。各省大臣官舎及三井邸?宅等には兵士出動して護衛をなす。ラヂオの放送も中止せらるべしと報ず。余が家のほとりは唯降りしきる雪に埋れ平日よりも物音なく豆腐屋のラッパの声のみ物哀れに聞るのみ。市中騒擾の光景を見に行きたくは思へど降雪と寒気とをおそれ門を出でず。風呂焚きて浴す。

  〔朱書〕森於兎 台北東門前町一五八文化村四条通

九時頃新聞号外出づ。岡田斎藤殺され高橋重傷鈴木侍従長また重傷せし由。十時過雪やむ。

二月廿七日。曇りて風甚寒し。午後市中の光景を見むと門を出づ。東久邇宮門前に憲兵三、四名立つ。道源寺阪を下し谷町通にて車に乗る。溜池より虎の門のあたり野次馬続〻として歩行す。海軍省及裁判所警視庁等皆門を閉ぢ兵卒これを守れり。桜田その他内曲輪へは人を入れず。堀端は見物人堵をなす。銀座尾張町四辻にも兵士立ちたり。朝日新聞社は昨朝九時頃襲撃せられたる由なれど人死は無之。印刷機械を壊されしのみなりといふ。銀座通の人出平日よりも多し。電車自働車通行自由なり。三越にて惣菜を購ひ茶店久辺留に至る。居合す人々のはなしにて岡田斎藤らの虐殺せられし光景の大略及暴動軍人の動静を知り得たり。〔この間一行抹消〕歌川竹下織田?の三子と三十間堀河岸の牛肉店末広に至り晩餐をなす。杉野教授千香女史おくれて来り会す。談笑大に興を添ふ。八時過外に出るに銀座通の夜店遊歩の人出いよいよ賑なり。顔なじみの街娼一両人に逢ふ。山下橋より内幸町を歩む。勧業銀行仁寿公堂大坂ビル皆鎮撫軍の駐屯所となる。田村町四辻に兵士機関銃を据えたり。甲府より来りし兵士なりといふ。議会の周囲を一まはりせしが〔この間六字抹消。以下行間補〕さして面白き事なく〔以上補〕野次馬のぞろぞろと歩めるのみ。虎の門あたりの商店平日は夜十時前に戸を閉すに今宵は人出賑なるため皆燈火を点したれば金比羅の縁日の如し。同行の諸子とわかれ歩みて霊南阪を上るに米国大使館塀外に数名の兵あり。人を誰何す。富豪三上の門内に兵士また数名急速するを見たり。無事家に帰れば十一時なり。この日新聞紙には暴動の記事なし。

二月廿八日。朝来雪また降り来る。午後銀座に徃く。霞関日比谷虎の門あたり一帯に通行留なり。叛軍は工事中の議事堂を本営となせる由。雪は四時頃に至り歇む。茶店久辺留に小憩し薄暮宇田川町乗替の電車にて帰る。燈下マルクオルランの小説『女騎士エルザ』を読む。春寒なほ料峭たり。

二月廿九日。陰。朝小山書店主人電話にて問安せらる。午後門を出るに市兵衛町表通徃来留なり。裏道崖づたひに箪笥町に出で柳のだんだんとよぶ石段を上り仲の町を過ぎ飯倉片町に出づ。電車自働車なければ歩みて神谷町より宇田川町を過ぎ銀座に至り茶店久辺留に憩ふ。四時過より市中一帯通行自由となる。杉野教授?と金兵衛酒店に飰す。叛軍帰順の報あり。また岡田死せずとの報あり。電報通信社々員宮崎氏より騒乱の詳報を聞く。夜十二時家に帰る。


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Last-modified: 2015-02-26 (木) 12:59:05 (763d)